今回は、Y.Yさんからいただいたセッション後の感想を
ご紹介させていただきます。


ヒロ様

こんにちは。
前々回のセッションの感想を送付します。

今週の一週間もよい感じで過ごすことができました。

最初の共鳴では、最近読んだ本の中で書いてあった記述で、
唯識という概念があって、ウィキペディアで調べたりしたんですけど、
大乗仏教の考え方らしいんですが、今まではあまり自分の現実や生き方とは
関係ない話だと思っていたんですけど、そうではなくて、
昔からみんな生きるために必要なものとして捉えてるからこそ、
今でも概念として生きているんだなということを感じました。

そのような世界を見てみるのも面白そうだなと思いました。
わかりやすい唯識の本を興福寺の住職が書かれているようです。

アイコンタクトでは、ならまちの瞑想会のときの感覚が蘇ってきて、
意識だけであるという状態の静けさがでてきた感じがしました。

ハートの共鳴では、海に例えると、
海上のさざなみと海の奥深くでの静けさを感じました。
平穏な中にいるという感じもありました。

ニュートラルの共鳴では、すっかりと落ち着いた感じがありました。

瞑想では、、この一週間で肉体と思考に
シフトしていたなということについての気づきがあり、
意識の源の気づきの部分で捉えることができました。


それでは、本日もよろしくお願いいたします。
先週の感想も続いて送ります。



Y.Yさん、ご感想ありがとうございました。

落ち着きもさらに増してこられていいですね。

意識の質は平穏であり、静けさそのものであることを、
落ち着いた状態で在るとそれをより感じられると思います。

日常、マインドの方にシフトしてしまっても、
意識の源からそれらに気づいていれば大丈夫です。

マインドに気づいている時点で既にその意識(真我)です。

唯識という概念も面白そうですね。

参考にさせていただきます。

どうもありがとうございました。

ヒロ


P.S.

※参考までに、Wikipediaから唯識についての説明の一部を
 下記に引用させていただきます。

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唯識(ゆいしき)とは、個人、個人にとってのあらゆる諸存在が、
唯(ただ)、八種類の識によって成り立っているという
大乗仏教の見解の一つである(瑜伽行唯識学派)。

ここで、八種類の識とは、五種の感覚(視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚)、
意識、2層の無意識を指す。よって、これら八種の識は総体として、
ある個人の広範な表象、認識行為を内含し、あらゆる意識状態や
それらと相互に影響を与え合うその個人の無意識の領域をも内含する。

あらゆる諸存在が個人的に構想された識でしかないのならば、
それら諸存在は主観的な存在であり客観的な存在ではない。
それら諸存在は無常であり、時には生滅を繰り返して
最終的に過去に消えてしまうであろう。

即ち、それら諸存在は「空」であり、実体のないものである(諸法空相)。

このように、唯識は大乗仏教の空 (仏教)の思想を基礎に置いている。

また、唯識と西洋哲学でいう唯心論とは、
基本的にも、最終的にも区別されるべきである。

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