今回は、個人セッションを受けられているM.Fさんより、
セッション後のご感想を頂きましたので、
僕の返信を含めてご紹介させて頂きます。
> ヒロさん 遅くなりましたが感想おくります。
>
どうもありがとうございます。
> 真我についてですが、私は真我は五感で感じていると思っていました。瞑想中の思考の無い時も、「ある」という感覚は耳で聞こえる音、肌で感じる空気や風等で「ある」を感じていると思ってました。
>
> しかしよく考えると、耳栓をして、室内の空気の流れを止め、真っ暗にしても「ある」は感じる事が出来ます。
> この「ある」という意識は視覚、聴覚、味覚、触覚、嗅覚以外の意識なのでしょうか。
そうですね。
個人が認識する感覚器官を超えた意識でもあれば、
「ある」というのはそれを含めた全ての意識と言えます。
今に気づいている意識の中で感覚が働いているのであり、
その意識と感覚は分離しているものでもありません。
音や視覚などの五感を感じていない時でも
あるを感じられたのは素晴らしいと思います。
感覚的なところからあるがままの今を感じ尽くすことも
あること(真我)を意識していくうえでも大切ですね。
(ヴィバッサーナ瞑想もそれを意識する方法のひとつです。)
視覚、聴覚、味覚、触覚、嗅覚の感覚器官は、
神経細胞を通って瞬時に脳へと届いて反応しますが、
その脳に気づいている存在があるという意識です。
感覚も脳も気づいている意識がベースにあるから、
いつも当たり前に気づき続けることができます。
もっと簡潔にすると、感覚器官以外の意識というよりは、
感覚器官に気づいている意識が「ある」ということです。
それは、感覚→神経細胞→脳という瞬時の伝達、
身体的な働きが起こる前にあります。
最初から何も変わることなく全てが起こる前にあり、
意識の中でどんなことが起ころうと今に在り続けます。
顕れの肉体も世界もその中にあり、
この瞬間瞬間にあることが全てです。
> また、熟睡している時は「ある」は感じる事は私は出来ません。
>
熟睡中は顕在的にも無意識の状態なので、
あることを意識することは難しいかもしれませんね。
(「感じる」の表現を「意識する」にさせて頂きます。)
意識的にも成熟された方や、意識的な訓練次第では
熟睡中でもあることを意識することができるようです。
ちなみに、僕も睡眠中はあまり意識していません。
(夢の中であることを自覚したことは何回かあります。)
> この「ある」という意識は死んでも存在する永遠の真我なのでしょうか。
>
セッション中にも何回かお話しさせて頂きましたが、
真我は永遠不滅の意識であり、肉体が死んでも在り続けます。
なぜなら、真我は最初からあり、生まれてもいないからです。
生まれてもいない存在が死ぬことはありません。
そして真我は、常にこの今という瞬間瞬間、
初まりであり、終わりであり、毎瞬完結した状態で、
この顕れの時間という感覚を超えて存在しています。
(時間という感覚はマインドの中で作り出します。)
> 漠然とした質問ですが、明日のセッションの時にでも教えて頂ければと思います。
はい、またお話しいたしましょう。
> では明日、よろしくお願い申し上げます。
>
> M.F
こちらこそよろしくお願いいたします。
どうもありがとうございました。
ヒロ