今回は、個人セッションを受けられているY.Yさんより、
セッション後のご感想を頂きましたので、
僕の返信を含めてご紹介させて頂きます。
> ヒロ様
>
> こんにちは。遅くなりましたが、
> 前々回のセッションの感想を送付します。
>
どうもありがとうございます。
> 先週に大学院の合宿があり、相談に乗っていただいた一発芸ですが、
> その場の雰囲気に飲まれ、急遽別の一発芸に変えました。。。
>
そのようでしたね^^
> 一週間の間、ちょこちょこと瞑想も行いながら過ごしていたら、
> 木曜日の合同共鳴くらいの時間に急にピーンと来るものがあり、
> 共鳴が始まったような感じにもなりました。
>
瞑想をきっかけに意識が向けられると、
時空間を超えた合同共鳴の波動を
より感じて頂けるようになりますね。
共鳴をこれまでご継続されていたところからも、
鋭敏になられていらっしゃるのだと思います。
> 最初の共鳴では、セッションが始まったばかりにしては、
> かなりクリアになっており、捕らわれていない、
> 穏やかな感じがありました。
>
とてもいい感じですね。
始まったばかりからクリアに感じられるほど、
意識的に成熟してきているのだと思います。
> アイコンタクトでは、先ほどの状態を維持できていて、
> 捕らわれるということがなくなった感じがありました。
>
> 今日は朝から色々課題をこなしていたのですが、
> その疲れも取れてきて、クリアな状態になりました。
> またゼロからはじめられるような感じですね。
>
いつでもここはゼロであり、ゼロスタートと言えますね。
> ハートの共鳴では、先ほどと同じで、何か今の状態を表すような言葉はないのですが、
> ただ在るという感じがある感じでした。
>
> また、日常の煩わされているときもそれすらも気にしないでいられるような感覚を得ることができました。
>
ただ在る状態のとき、全てをあるがまま
気づいている視点から捉えることができ、
何かに煩わされているときもそのままに、
気にすることなく在れることができますね。
気づきそのものは、ただ気づいているだけで、
何も気にしていないということでもあります。
気にする対象は、気づきそのものではありません。
全てに対して気づいている対象の根底にある気づき
(気づいている意識、純粋意識)そのものとして在るとき、
それが全てに対するニュートラルな視点とも言えますね。
> 最後の瞑想では、自分自身が溶け去るような感覚がありました。
> マインドも含めて溶け去ったような感じですね。
>
自分(個人、マインド)が全体(真我)に溶け去っていくと、
自分という存在が全体(ひとつ、真我)そのものになりますね。
自分(個人)と捉えているマインドも、
全体(ひとつ、真我)の中にあります。
> それではまた本日もどうぞよろしくお願いします。
>
どうぞよろしくお願いします。
どうもありがとうございました。
ヒロ