今回は、個人セッションを受けられているM.Fさんより、
セッション後のご感想を頂きましたので、
僕の返信を含めてご紹介させて頂きます。
> ヒロさん
>
> 先日は有難うございました。感想を送ります。
>
どうもありがとうございます。
> さて、いつも感じている事ですが、共鳴中での感想ですが、
> ブログで感想を書かれている他の方々はかなり多くの体験をされていて羨ましいのですが、
> 自分の場合、ほとんど特別な体験や特別な感じ方は無く、いつもの瞑想と同じ感覚です。
> また、共鳴しているという実感もありません。
>
> 普段の瞑想の時は、確かに体全体の力が抜けここちよい気持ちになり、
> それが対象の無い感謝の気持ちになります。
> しかしそのまま眠ってしまう事も多々ありますがこの感謝の気持ちこそが真我による無条件の愛ではないかと思っていますので、
> 普段の瞑想も大切にしながら、共鳴にも取り組んでいき、日常生活でも対象の無い感謝の気持ちが持てるようになればいいなと思います。
>
とても素晴らしいことですね。
感謝の気持ちは真我そのものの質と言えます。
対象の無い無条件の愛の表現ですね。
> ただヒロさんから「在る」事を理解する事の大切さを教えてもらい、大変よく理解できるようになりました。
> 確かに、楽しい時も困難な時も、それを評価やジャッジせず、
> ただ淡々と事実のみを知っている存在がある事は頭(マインド)では大変よく理解しているつもりです。
>
それは何よりです。
> また最近では、真我に任せるという事も少し出来るようになった気がします。
> 以前までは、自我で何かを決断し、実行した直後には必ずと言っていいほど、他の方法が思い浮かび、
> 「他の方法の方が良かったのではないか」という強い後悔の念が沸き起こっていましたが、
> 最近では、それは真我が決めた事なので、真我を信じて、任せてみようと少しは思う事が出来るようになりました。
>
起こるがままを許容する大切な視点と言えますね。
全ては真我(愛)という安心の中で起こっていることです。
それから起こることを信じて任せてみることは、
真我そのものとしての在り方に一段と近づきます。
ただ、真我に対しての「信じる」や「任せる」というのは、
マインドから真我を捉えている視点ということは
ここでは敢えてお伝えさせて頂こうと思います。
信じるというのは、信じていないこと、
任せるというのは、任せていないことが
前提に言える表現とも捉えられますね。
真我(在ること)は、信じる前に在り、
任せる前に条件無く在り続けるものです。
既に、信じているそのものが真我です。
既に、任されているから存在しています。
信頼という枠を超えた実在は、常に今に在ります。
>
> 出来ればあせらずにもう少し気長に「悟り・気づき」について学んで行きたいと思いますので、
> 次回から2週間に1回のペースにしたいのですがよろしいでしょうか。
>
了解です。
焦らず気長にというスタンスも大切ですね。
> では次回もよろしくお願い致します。
>
> M.F
次回もよろしくお願い致します。
どうもありがとうございました。
ヒロ