今回は、個人セッションを受けられているM.Fさんより、
セッション後のご感想及び、ご質問を頂きましたので、
僕の返信を含めてご紹介させて頂きます。
> ヒロさん
>
> 先日は有難うございました。感想を送ります。
>
どうもありがとうございます。
> 日夜、真我や悟りについてマインドで考え理解しようとしていますがやはり、マインドではどうしても実感できず、
> 悟りや気づきはただ訪れるのを待つしかないんだなと再認識致しました。
>
そうですね。
それぞれの方に適切なタイミングで
気づきは訪れてくると思います。
マインドはそれを早急に求めがちになりますが、
マインドを超えた真我は求めることなく在ります。
知的理解を同時に進めていきながらも、やはり、
在るということに意識を向けていくことが大切です。
在るということに気づいている時点で悟りです。
もっと簡潔に表現しますと、在るだけで既に悟っています。
存在(在ること)に気づいている時点で、
既に目覚めている状態ということですね。
ただその存在に気づいているか、気づいていないか、
意識的であるか、無意識であるかの違いとも言えます。
> 悟ることに執着せず、地道に学んでいきたいと思います。
> 今回は大した感想を書くことが出来ず申し訳ありませんでした。
>
大丈夫です。
執着自体はマインドの働きになりますので、
悟りに対する執着も徐々に、
外していくことも必要になるかもしれませんね。
焦ることなく地道に進めていきましょう。
> 次回もよろしくお願い致します。
>
>
> M.F
また次回もよろしくお願い致します。
どうもありがとうございました。
ヒロ
M.Fさんより頂いたご質問です。
> ヒロさんのブログを見て質問です。
>
> 意識を今に存在している自己に戻すということは、「真我」と真我の一部分である「自我」の両方を感じている今の自分を感じるという事でしょうか。
> これなら最小の労力なのでやってみます。
>
はい。ぜひ試されてみてください。
真我に意識を戻すのは、何も難しいことではなく、
必要最小限の労力で瞬時に戻ることが出来ます。
なぜなら、M.Fさんは最初から既に真我だからです。
今、この瞬間から、気づいている時点で真我です。
いつも今この瞬間瞬間に、在るということですね。
感じるというのも感覚的なものを捉えるうえでは、
適切な表現であることは言えるかもしれませんが、
感覚は常に同じではなく変化するものだと思います。
変化しないものが真我(純粋意識、在る)であり、
気づいている意識(純粋な気づき)そのものですので、
感じている状態よりは、気づいている状態が
真我(在る)を捉えられている状態とも言えます。
感じているものを含めて気づいている状態です。
また、昨日のブログ記事の返信に、
「意識を今に存在している自己に戻す」というのは、
ご理解頂きやすく表現させて頂いたものです。
ここで言う「意識」「今」「存在」「自己」は、
違うものではなく、同じものの異なる言い回しです。
もっと詳細にご説明させて頂きますと、
今に在る意識が、存在(在ること)そのものです。
存在というのは自己(真我)のことであり、
その自己は純粋意識ということでもあります。
純粋意識がいつも今に在るということですね。
そして、真我と自我は分離しているわけではなく、
自我は真我の中の一部分ということが言えます。
(それは顕れの世界においても同じことですね。)
真我と自我を合わせて、気づきは一つしかなく、
いつも全てに気づいているのが真我(在る)です。
ご質問ありがとうございました。
それでは失礼いたします。
ヒロ