
今回は、個人セッションを受けられているM.Fさんより、
セッション後のご感想を頂きましたので、
僕の返信を含めてご紹介させて頂きます。
> ヒロさん
>
> 先日は有難うございました。
> 遅くなりましたが感想を送ります。
>
どうもありがとうございます。
> 先日共鳴では、はじめて大きな変化を感じる事ができました。
>
> ハートの共鳴のとき、深い瞑想でぼーっとした時
> (眠りそうになった?)、突然からだの下から
> 何か電気でも走ったような渇がはいったようなものが
> ビビッと感じました。
> これはやはり共鳴による現象でしょうか。
>
そうかもしれませんね。
全体の中から働くエネルギーの流れが、肉体を通して
一時的に電気が走ったように感じられたのかもしれません。
ちなみに、僕もそのように感じられる場合は時折あります。
しかし、その感覚も一時的なものであり、
共鳴自体はその感覚がなくても起こっています。
> また日月火と実生活を過ごして、理解した事があります。
>
> いまさらこのような初歩的なことを言うのも心苦しいですが、
> 自分は時おり、真我を感じる事で、
> 不安や悩みを無くそうとしていました。
>
> しかし真我を道具にして、物事を改善しようとする事自体が
> 自我である事に気づきました。
>
とても大切な気づきですね。
> 真我をただ感じているだけでいい。
> 悩みが起きればそれを受け止めて、
> いつもどうり悩めばいいんだと思いました。
>
> 悩みや不安の本当の原因は、その悩みや不安を
> 解決しようとする自我であるのではとも思いました。
>
そうですね。
悩みや不安を作り出すきっかけを含めて、
それを解決しようとする働きも自我になります。
この顕れにおいて自我には自我の役目があり、
真我はその自我の働きをいつも一番近くで
起こるがままを見守っています。
> 悩みや不安から脱出しようとするのではなく、
> 「いつもどうり悩めばいいんだ」という姿勢、
> それが「今に生きる」「今を容認する」
> ということではないかと思いました。
>
自我の起こるがままを容認して今に生きる、
とても素晴らしい在り方ですね。
仰るとおり、悩みが起これば、それを容認しながらも、
その悩みに対する自我の働きが自然に起こります。
自我から起こってきたものは、
自我自身の自然な働きに任せる感じです。
そして、どのような悩みが起こってこようと、
真我には一切影響を受けることはありません。
自我から起こる悩みはきりがありませんし、
その悩みが解決してもまた次の悩みが出てきます。
真我(純粋意識、愛)そのもので在れば、
悩みを悩みだと捉えなくなる場合があります。
何故なら、自我の中で作り出す悩みは大抵、
先の未来に対するものであるのに対して、
真我は常に今に在るからです。
今に在るとき、主体が自我ではなく真我に在り、
真我には元々悩みがなかったことにも気づけます。
もしくは、自我から起こってきているものであると、
気づきの視点から客観的に捉えていくことができるので、
その悩みと同化することなく冷静に見守ることができます。
そして、自我から起こる悩みは一時的ですので、
悩みが起こってきている途中でも冷静で在るままに、
それはいずれ解決して通り過ぎていきます。
または、解決する前に通り過ぎる場合もあります。
その悩み自体が今に在る自己の存在に対して、
直接的に影響を受けることはありませんし、
問題が問題ではないことにも気づけるからです。
不安や悩みを作り出す自我(マインド)ではなく、
自我から起こってくることに対しても影響を受けず、
一切揺るがすことができない不動の実在として、
今に在るのが本当のM.Fさん(真我)です。
>
> 次回もよろしくお願い致します。
>
> M.F
また次回もよろしくお願い致します。
どうもありがとうございました。
ヒロ