
今回は、個人セッションを受けられているJ.Sさんより、
セッション後のご感想を頂きましたので、
僕の返信を含めてご紹介させて頂きます。
> ヒロさん、こんばんは。韓国在住のJ.Sです。
>
>
> 今日はセッション中には特別に
> 感覚的なものを感じられなかったのですが、
> 先週からの疑問、内側ってどこ?というのが
> ずばり”真我”なのですね。
>
真我でいう内側とは、マインドを超えた純粋意識
(純粋な気づき)のことです。
一般的な認識では、内側とはマインドになり、
思考、感情、心などに当たると思いますが、
真我の視点ではマインドも外側になります。
> 普段思考と同一化していると、感覚や感情は
> 思考よりも内側だという方向性で感じられますが、
> 感覚や感情は個人的なものですし、
> "個人”というものはまだまだ外側にあるもので、
> もっと内側に意識を向けるのが課題だと思いました。
>
そうですね。
もし内側に意識を向けるのが難しいようでしたら、
起こってくる思考、感情、感覚に気づいている意識に
意識を向けるようにされるとよろしいかと思います。
この気づいている意識が、内側になるからです。
意識が意識自体に気づいている状態とも言えます。
マインドはその気づいている意識の中から
起こってくるものでもありますので、
客観的に気づいている時点で、
意識の主体がマインドではなく、
気づきが主体で在ることができます。
純粋意識(純粋な気づき、真我)とは、
全てを観照している全体意識とも言えます。
個人も全てもそれから起こりますので、
本当はただ唯一のそれしかありません。
ひとつであり、全てである真我だけが唯一の実在です。
> 時間の感覚もマインド、個人というものも
> 記憶を元に構成されたマインド、
> これを超えていくことが”それ”に気づくポイントで、
> 感情や感覚にとらわれないというのも、
> コツのひとつなわけですね。
>
そうですね。
時間の感覚や、個人だと捉えている認識は、
時空間にある記憶の中で培われたマインドです。
マインドをクリアにしていくことや、
マインドを超えていくことによって、
それに気づきやすくなることは言えますね。
ただ、マインドが落ち着いてくること、もしくは、
マインドを超えた意識から捉えた視点では、
感覚的なところは大切になってくるかもしれません。
> 言葉で整理するのは簡単ですが
> なかなか実践はかんたんじゃないですから…。
>
> わかってないくせに質問は多いですが、
> それによってヒントも得ています。
> 宗教団体にいるので霊の話なんかもしますが
> 霊能力というのも”それ”とは違いますね。
>
目覚めた意識と霊能力を兼ね備えた方も
いらっしゃるかもしれませんので、
違うとは言い切れませんが、霊能力自体が、
目覚めた意識と言えるのかどうかは分かりません。
(まったくの別物とも言えるかもしれません。)
本質は至ってシンプルであり、特殊な能力も必要なく、
それが、それに気づいているだけで目覚めと言えます。
>
> 『”それ”が”それ”に気づき、
> 個という現象がおこる。』このヒロさんの
> 一言がみちしるべです。ありがとうございました。
>
どうもありがとうございました。
ヒロ