$今ここに在る奇跡 静寂に包まれた本当の自分(真我)で在るとき、あなたに恩寵が降り注ぎます-サロマ湖の黄昏


今回は、個人セッションを受けられているJ.Sさんより、
セッション後のご感想を頂きましたので、
僕の返信を含めてご紹介させて頂きます。


> ヒロさん、こんばんは。韓国在住のJ.Sです。
> セッションの時間がいつも延長になってしまってすみません。
>

大丈夫です。


> こうして一週間に一度セッションを行うことで
> 1人ではまったく要領を得なかったのに、
> 少しずつでも感覚をつかんでいることに喜びを感じています。
>

プロセス自体に喜びを見出せるのは、
とても素晴らしいことですね。

少しずつでも感覚をつかんでいくことは、
本当の自分を知っていく喜びでもあります。


> スピ系メールの"マインドが共鳴する”についても
> ヒロさんの見解をきいて納得です。
>
> 動物や植物、果ては石とも話せちゃうらしい
> ヒーラーさんとかの話は、
> 口当たりのいいファンタジーくらいに思ってたんですが、
> 人間は確かにそういう能力を持ちえるんですね。
>
> だからといってそういう人が悟っているとはいえないわけで…。
> 通じてはいるのでしょうが…。
>

意識の中で顕現されているマインドをはじめ、
人や動植物、自然、地球、宇宙に至る全ては、
共鳴しているといってもいいかもしれませんね。

状況や環境に関係なく、いつでもどんな物でも、
共鳴は起こっているということでもあります。

それ自体が悟っている(目覚めている)と
言えるのかどうかは分かりません。


ただ、このゼロ意識共鳴に関してお伝えすると、
マインドの共鳴ではなく、意識の共鳴になります。

この時空間にあるマインドという枠を超えた、
ゼロ(真我、無、空)の意識が本当の自分です。


> 今日はアイコンタクトで自分の視点、意識、
> 焦点がきょろきょろと定まらないのに”きづき”ました。
>
> またハートの共鳴のときは
> 近所から聞こえてくる音によって
> 自分が聴覚を(危険を察知するために)まさに
> はりめぐらしているのにも気づきました。
>
> それが恐れという本能からきていることと、
> マインド以前に恐れがあるんじゃないかというほど
> 深いことを感じました。
>

恐れ自体が本能にあるとのお話しでしたが、
それはひとつ言えることかもしれませんね。

恐れというのは自然に働いてくるものでもあります。

弱肉強食と言われる動物の世界にも恐れはあり、
自分より強い動物に食べられる危険性がある為、
恐れの本能が自然に働いて身を守る習性があります。


人間でも、生きていくうえで恐れることがないと、
肉体の生命において危険性が及ぶことがあります。

仕事中でも、運転中でも、外を歩いている時でさえも、
日常からいつでも危険を察知できるように働くということですね。


この相対的な世界における人間の感情(本能)には、
細かく分けると多様な表現があると思いますが、
大きく分けると二種類あると言われています。

それが、愛と恐れの感情です。

人が何かを判断したり、選択したり、
行動したりする動機においても、必ず、
この愛か恐れのどちらかに由来します。


その愛と恐れの感情(本能)の源が真我です。

真我の反映である相対的なこの世界には、
愛と恐れの相関関係が常時働いています。
(無限の相関関係が働いているとも言えます。)

大いなる無条件の愛(真我)の中で、人として、
愛や恐れの本能が働いているということですね。


ちなみに、この世界に恐れがあるのは、
愛を知る為にあるとも言われています。

愛を知る為に、愛の真逆がなければ、
愛が愛であることに気づけないということですね。


しかし真実は、一元性である愛しかなく、
恐れも、大いなる愛の表現の一つです。

真実の愛に触れられた時、
恐れが入り込む余地はなくなります。

もしくは、恐れの感情すらも愛せるようになります。


> これからはこのように外に向けていた感覚を
> 内に向けるようにすればいいわけですね。
> (内ってどこ??これが今日からの課題だな)
>

内というのは、在ること(真我、実在)そのものです。

存在感覚、在るという感覚、気づいている意識、
純粋意識(気づき)、生命、源、リアリティなどです。

外とは、その内側の源から現れている現象や、
マインド(個人)を含めた物質世界になります。


本当は内と外という境はなく、分離もしていませんが、
在るという感覚に気づいていくまでのプロセスでは、
内側に意識を向けるようにしていくのがポイントです。

在ることを確かな意識として確立してくると、
在るという中で、外側(物質世界)の全てが、
そこから起こっていることに気づけるようになります。

外側は、内側の反映であるということでもあります。

そして、内と外という境(区別)もなくなっていき、
全てがひとつであることもご理解頂けるようになります。


> 自分のそんな感覚にさえ無自覚に生きてたわけですよ。
> あと、セッション後、夕方に一時間ほど眠ったのですが、
> その後とても怒りの感情とかで荒れてまして、
> 気晴らしに外出したんですが、
> なかなかおさまりませんでした。
>
> 私は色々な面で弱いので近所の子供たちに
> 保育園に行く前からいじめられてたそうで、
> やはり現実の人生経験がもとになっていることを考えると
> しばらくは被害者意識や恐れからくるネガティブな感情に
> 振り回されてしまうかもしれません。
> ブログなどでも整理してみようと思っています。
>

そのようなネガティブな感情が起こってきたら、
それに気づいている視点が大切になります。

気づいている意識が(真我、在る)であり、
その気づき自体は、その感情に影響を受けずに、
いつも変らずに気づき続けています。

それが感情の起こってくる源でもありますので、
源がその反映に影響を受けようがないとも言えます。


マインドは、これまでの人生経験や体験、
学んきた概念、記憶、観念から物事を判断し、
無意識にその基準に合わせて反応します。

幼少の頃から長年の間培われてきたマインドは、
非常に根深く根強いパターンがありますので、
それをクリアにしていくプロセスにおいても、
J.Sさんの無理のないペースで進めていきましょう。


> ありがとうございました。


どうもありがとうございました。

ヒロ