$今ここに在る奇跡 静寂に包まれた本当の自分(真我)で在るとき、あなたに恩寵が降り注ぎます-トンビと夕日


今回は、個人セッションを受けられているY.Yさんより、
セッション後のご感想を頂きましたので、
僕の返信を含めてご紹介させて頂きます。


> ヒロ様
>
> こんにちは。前回のセッションの感想を送付します。
>

いつもありがとうございます。


> 前週はGW期間ということもあり、
> 全般的に落ち着きながら過ごせました。
>
> ヒロさんのセッションを受けて1年間経ちましたが、
> 昨年と比べて、精神的な落ち着きが相当高まりました。
>

とても大きな変容ですね。

一段とクリアになられているご様子も伺えます。

精神という深いところからの落ち着きは、
日常からの在り方としても支えになりますね。

1年という単位で振り返った時は、
より変化の差が分かると思います。


> 後は、まだ人に伝えるレベルに
> なっていないなというところでの、
> 自分の土台のなさというものがあるようです。
>
> まずは、アウトプットすることに、
> もう少しフォーカスしてみようと思います。
>

アウトプットしていくことも大切ですね。

ただ、本質的な事柄については特にですが、
人に伝えるレベルかどうかの判断は、
マインドからの知的理解だけではないということも、
一つ重要なポイントになっていきます。

相手に同じ言葉を伝えるうえでも、どの位置、
どの視点(角度)から言葉が出てきているのか、
相手に言葉で本質的な事柄を伝えること以上に、
在り方の方が重要になってくることが言えます。
(意識的な在り方ということでもあります。)


そして、人に伝えるべきときが来たら、本質であり、
全ての土台となっている存在(真我、在る)から、
自然に言葉が溢れてくる感覚も出てきます。

意識的に成熟してくると、相手との間で、
間の無いひとつ(全体)として繋がる意識から、
日常のさりげない普通の会話の中からでも、
自然に共鳴が起こってくることもあります。

本質を言葉(文章)で伝えようとしなくても、
自然に本質が伝わっていくということですね。


> 最初の共鳴では、今日は最初1時間くらいお話する時間があり、
> この段階で頭の中もかなりクリアになっていました。
>
> 肉体的にも視界に入ってくる光量が
> 増えてきたような感じがありました。
> また、今に寛げているという感覚もありました。
>

とても良い感覚ですね。

今に寛げるスペースは、魂から求める、
安らぎと癒やし、至福と平安と言えます。


「光量が増えてきたような感じ」

意識的にクリアになってきていますね。

視界から捉える光を感じている存在は、
全てを照らす光そのものでもあります。


> アイコンタクトでは、それほど特徴的な変化はなく、
> ただ在るという感覚でした。
>
> ただ、肉体的にお腹がすいてきたり
> ヘッドセットで耳の後ろが痛かったり、
> そちらに捕らわれていた感じもありました。
>
> ハートの共鳴では、耳の痛さとかお腹の好き具合を
> マインドで何か判断しているなという部分を、
> 意識の源にありながら、マインドを捉えようとして、
> それなりにそういう状態にあれた感覚がありました。
>

意識の源から起こっていることを、
客観的に捉えられていらっしゃいますね。


> ニュートラルの共鳴では、全体性の中で
> マインドの働きを捉えられた感じがありました。
> 日常的にも、こうあり続けられるのではないかという
> 予感も得られました。
>

いい予感ですね^^

全体性に気づいている意識そのものとして、
日常から在り続けることはとても大切です。


> 最後の瞑想でも、全体性を意識しながら、
> その中にマインドがあることを意識できてました。
>
> そんな中で一つ疑問が出て来まして、
> 自分の中で何か悪いことをするときに、例えば、
> 体によくないものを食べたりするときに、
> 真我から何か「それをやめなさい」
> というような働きかけがあるのか、
> どうかという疑問がふっと湧いて来ました。
>

全ての出来事は自然本位に起こる流れの中で、
善し悪しの判断や、価値基準、考え、感情、思い、
選択、行動などはマインドを通して働いていきます。
(マインドも自然に起こってくることも言えます。)

真我からは何か特定の出来事に対して、
意図や目的を持った働きかけはありません。

何故なら、真我(全体性、ひとつ)の視点では、
全ての人、動植物、自然、物事、出来事、
世界(宇宙)は、完璧な愛の調和の中にあり、
既に全てが完全で欠けたところがないからです。

逆に、全体(世界、宇宙、全存在)に、
意図や目的を持つことなく自然本位に、
毎瞬働きかけがあるとも言えます。


顕れとしてのマインド(個人)の視点から捉えると、
選択、行動、進化、発展、変化、成長という流れの中にあり、
既に完璧というのは受け入れがたいかもしれませんが、
純粋意識(気づき、真我)から捉えた視点は完璧です。

真我は、相対的なこの世界を映し出している源であり、
全ての命を宿す永遠の生命、愛と光そのものです。


意図や目的ということでお伝えさせて頂くと、
今ここで目の前の全てがリアルに顕れていることが、
真我が真我自身の表現(自ら)を知っていく為であると、
僕が個人的に感じることを付け加えさせて頂きますね。

その源である真我が、本当のリアリティーと言えます。


> なぜかというと、こういう考え方をしてしまうと、
> 本当の自分(真我)と今の自分
> (マインド的なるもの)とが
> 対立構造になってしまうなと思ってしました。
>

全ての対立を生み出してしまう元は、
分離意識を持つマインドになります。

真我の視点では全てはひとつであり、
マインドは真我の反映と言えますね。


たとえマインドが真我に対立しても、
真我は動じることがないどころか、
いつも愛で育み、愛で見守り続けます。

逆に、真我からマインドに対して、
対立を仕掛けることもありえません。

真我(愛)が、本当のY.Yさんです。


> ヒロさんから、マインドも全体の中の働きの一つで、
> 分離はしていなくて真我しかないという
> お話があったかと思います。
>

そうですね。

真我(存在、生命、源、愛)しかありません。
(言葉上の真我しかないという意味ではありません。)

マインドもこの世界も、それの反映であり、
全てがひとつの源から起こっていることです。


> 今週の前半は、全体性のなかにマインドがあなという
> 感覚で過ごすことができましたが、木曜日くらいから
> またマインド中心になっていたようです。
>
> それでは本日もどうぞよろしくお願いします。
>

こちらこそ、どうぞよろしくお願いします。

どうもありがとうございました。

ヒロ