
今回は、個人セッションを受けられているK.Hさんより、
セッション後のご感想を頂きましたので、
僕の返信を含めてご紹介させて頂きます。
> こんばんは。K.Hです。
>
> 先日はセッションありがとうございました。
>
どうもありがとうございました。
> 久しぶりに、共鳴前からボーッとなってました。
>
> 共鳴:気づきではなく、
> 対象にフォーカスしていたように思います。
> まだ気づきとマインドの区別が曖昧。
>
マインドや対象(現象、世界)を含めて、
全ては毎瞬のように変化しているのであり、
その変化にフォーカスする習慣が根強くあるので、
純粋な気づき(真我)そのものに意識を定めながら、
マインドを区別してくには、マインドの性質のご理解と、
ある程度の意識的な成熟も必要になっていきます。
純粋な気づきは、真我(無、空、在る)そのものであり、
分かりやすい表現を使うと、存在感覚、生命、不動、
不変、沈黙(静寂)、今、それやこれなどになります。
マインドや対象にフォーカスした場合を含めて、
気づきの中から顕現されているものは、
全て変化していると捉えてもよろしいかと思います。
しかし、たとえマインドや対象にフォーカスを向けていても、
気づき自体が無くなってしまうことはないということも、
日常からの在り方としても大切なポイントになります。
いつも変らずに気づいている今があるから、
全てに気づくことができるということですね。
真我(在る、純粋意識、気づき)は、いつも今に在ります。
下記は例になりますが、
今、~を考えていることに、気づいている。
今、~を思っていることに、気づいている。
今、~しなければいけないことに、気づいている。
今、~の不安や悩みを考えてしまうことに、気づいている。
今、~の過去を思い出していることに、気づいている。
今、~を想像(イメージ)してることに、気づいている。
今、~の感情が出てきていることに、気づいている。
今、~を感じていること(感覚)に、気づいている。
今、~の聞こえる音や見えるものに、気づいている。
今、~が周りで起こっていることに、気づいている。
これらは、マインドと対象(現象)に気づいている状態ですが、
「今」と「気づいている」だけは変わることはありません。
(参考記事はこちらより。)
逆に、それ以外は毎瞬変化しているということですね。
今に気づいているのは、存在そのものです。
そして、その今に気づいている存在自体に変化はなく、
どんな状態であろうと、いつも決まって今に在ります。
マインドがあるなしに関係なく、問答無用に在ります。
> アイコンタクト:マインドは起こるけど距離があり、
> マインドと分離してた。
>
> ハートの共鳴:無・全て。
>
> 瞑想:安らぎ・楽しさ。
>
安らぎや楽しさはとても良い質ですね。
気づいている意識とマインドに距離があって、
分離しているように捉えられたのだと思いますが、
その気づいている意識(真我)の中で、
マインドが起こっていることでもあり、
全体性の視点では分離しているものはありません。
気づきの中から起こること、
全てに対して言えることでもありますね。
> これがそれだと分かるけど、
> で?何がいいの?と思ってましたが(笑)
> 少し分かりました。
>
少しご理解頂けて何よりです^^
それ(真我、無、全て、生命)が在ることは恩寵です。
たった今、存在している時点で奇跡であり、
恩寵であったことを思い出すとも言えますね。
本当の自分を知る歓びや楽しさに繋がっていきます。
> ただ意外だったのは、どうでもいいみたいです!
>
> 覚えてませんが、メールも話してることも
> 以前受けていた時とは、ダイブ変わったように思います。
>
大分変わったかもしれませんね。
> 「アメをくれ~」「ニンジンを~」とか
> 無くなったとは言いませんが、渇望はありません。
>
軽やかさがあっていいですね^^
> 次回も楽しみにしていま~す。
こちらこそ、次回も楽しみにしてます。
どうもありがとうございました。
ヒロ