$今ここに在る奇跡 静寂に包まれた本当の自分(真我)で在るとき、あなたに恩寵が降り注ぎます-アゲハチョウとタンポポ


今回は、個人セッションを受けられているT.Yさんより、
セッション後のご感想を頂きましたので、
僕の返信を含めてご紹介させて頂きます。


> ヒロさん、こんにちは。T.Yです。
> 今回もセッションありがとうございました。
>

どうもありがとうございました。


> 初めの共鳴は、不動でした。
> 音や思考などの動きのあるものに気づいている意識は
> 動いていませんでした。
>

いいですね。

気づいている意識は常に不動です。

逆にそれ以外は、毎瞬動いていますね。

それが動かすことのできない動かし手とも言えます。


> 変化するものに気づいている意識は
> 変化しません。
>

そうですね。

顕れの全ては変化しているのですが、
その全てに先立ってある純粋意識(気づき)は、
不動であり、不変なるものです。


> アイコンタクトも、不動です。
> 自分の目がキョロキョロしていることが
> 少し気になっていました。
> 目がキョロキョロしていることに気づいている意識は、
> 動じていませんでした。
>
> 目のキョロキョロが気になっていたので、
> それ以外の思考が出て来ず、
> キョロキョロという動きと、
> それに気づいている意識のみで、
> 静かでした。
>

キョロキョロしていても気づき続けていますね。

その気づいている意識は静寂(沈黙)そのものです。


> ハートの共鳴は、静かさ、
> 無音を感じ取ろうとしていました。
> 意識は沈黙であることを
> なんとなく実感したと思います。
>

なんとなくでもいいですね。

無音と沈黙(静寂)についてですが、
無音というのは、聴覚によって、
外側の何かしらの対象物に類するものであり、
音が聞える、聞えないということになりますが、
沈黙(静寂)というのは、聴覚の問題ではなく、
気づいている意識そのものということですね。

聴覚から外側の静けさを意識していくことによって、
意識そのものの沈黙(静寂)が捉えやすくなることや、
その味わいが広がっていくことは言えるかもしれません。

意識が深まった状態から極端に言うと、
外側から何かしらの音が聞えていても、
内側は沈黙(静寂)であることが分かります。


> あとは、感じ取ろうとしている個人が落ちると、
> さらにダイレクトに理解が起こるかなと思いますが、
> 今は、ただそうであるということで、
> 引き続き、気づきに意識を向けていきたいと思います。
>

とても大切なことですね。

個人を認識するマインドが落ちていくことにより、
それ(真我)に気づいているダイレクトな意識状態から、
直知的な理解に繋がっていくことは確かですが、
感じ取ろう、落とそうとされなくても大丈夫です。

落ちていく必要のあるものは、
自然に落ちていくようになります。


> ニュートラルの共鳴では、
> ふと「平ら」と思い浮かびました。
> あとは前回、前々回も、
> ニュートラルの共鳴は、他の共鳴と比べると、
> 軽やかさがある気がします。
>

とても良い状態でしたね。


> 瞑想は、静かで落ち着いていて、リラックスしていました。
> 思考が起こりつつ、背景はとても静かでした。
> そのことに気づいている意識は静かそのもので、
> 気づきと静かさは別々ではなく同じであることと、
> 思考も含めたすべて、全体が、まるごとそれであることが
> はっきり分かるとさらに良いなと思います。
>

そうですね。

T.Yさんの意識的な進まれ方やご理解からは、
それがはっきり分かる日は近いと思いますよ。

>
> それでは次回も、5月3日(木)午後3時から
> よろしくお願いいたします。
> 今回もありがとうございました。
>
>
>
> T.Y


また次回もよろしくお願いいたします。

どうもありがとうございました。

ヒロ