$今ここに在る奇跡 静寂に包まれた本当の自分(真我)で在るとき、あなたに恩寵が降り注ぎます-茂庭っ湖の朝日


今回は、個人セッションを受けられているNさんより、
セッション後のご感想を頂きましたので、
僕の返信を含めてご紹介させて頂きます。

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Nさま

こんにちは。ヒロです。

いつもご感想ありがとうございます。


> ヒロさま、こんばんは。
>
> セッションありがとうございました。
>

どうもありがとうございました。

>
> とらえられない。
>
> そんな感じでです。
>
> ただ在る。
>
> でも、とらえられない。
>
> そのもの。
>
> でも、究極の安らぎ。
>

いいですね。

ただ在ること、そのものとして在ること、
究極の安らぎが在るのを捉えられていらっしゃいます。

そして捉えようとされなくても、真我はいつも在ります。


ある意味、いつもそう(真我)であるので、
それは捉えようがないとも言えますね。

在るがまま、そのまま自然に在ります。

>
> マインドは、こう言います。
>
> 「だから?何?」
>
> そして、
>
> 「つまらない。」って。
>
>
> マインドが、
>
> どんなに騒いでも、変わらないですけど。
>

マインドが騒いでもそのままにしておきましょう。

「だから?何?」「つまらない」と聞こえてきても、
今はそのようなマインドが働いていることに、
そのまま、起こるがままに気づいていてください。

気づき(純粋意識)の中でマインドが働いていますので、
気づいている状態からそれを客観視する感じです。


マインドからの抵抗の可能性もありますが、
それも浄化の流れで起こることがあります。

たとえマインドがどんなことを言ってきたとしても、
気づきそのものは何も影響を受けることはありません。
(それは起こる現象面においても言えることですね。)


気づきそのものに意識を向け続けていると、
マインド(思考)は常に変化しているということや、
一時的なものだということが分かると思います。

そして、だんだんとマインドは落ち着いていき、
最後に残るのはやはり、気づき(在る)だけとなります。

気づきは、いつも必ず在るということですね。


たとえマインドが落ち着かなくても、
思考と思考の間にある静かな存在に、
意識を向け続けてみてください。

マインドも気づきの中で起こっているのであり、
気づき(純粋意識)がないと、マインドもありません。


自分自身の気づきが全てであることに気づくと、
つまらないや楽しいという相対的なものを超えて、
ずっと変わらずにそれが在ることに気づけます。

それが気づきそのものとしてただ在る、
在るがままで完璧な本来のNさん(真我)です。

>
> ありがとうございました。
>
> 次回もよろしくお願いします。
>
> N
>

また次回もよろしくお願いします。

どうもありがとうございました。

ヒロ

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Nさん、ご丁寧なご感想頂きありがとうございました。


個人セッション(お試し)のご案内はこちらより。


最後までどうもありがとうございました。