
今回は、個人セッションを受けられているT.Yさんに、
セッション後のご感想を頂きましたので、
僕の返信を含めてご紹介させて頂きます。
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T.Yさま
こんにちは。ヒロです。
ご丁寧なご感想頂きありがとうございます。
> ヒロさん、こんにちは。T.Yです。
> 今回もセッションありがとうございました。
>
どうもありがとうございました。
> 今回のセッションも全体的に良い感じでした。
> いつもありがとうございます。
>
それは何よりです^^
いつもありがとうございます。
> ハートの共鳴時には、頭のボーっとした感覚や、
> 眩しくて目を開けていられない感覚から、
> より深まっているという自覚が起こりやすいです。
>
より深まりが増してきましたね。
自覚はとても大切になります。
> 瞑想中は、夕飯作りのことや
> 最初に聞いていただいたような話題のことが
> 思い浮かびましたが、それらに静かに気づいていて、
> 落ち着いている状態でした。
> 出てきていても問題ない状態。
とても良い状態ですね。
何かしらのマインドが働いていても、
それに静かに気づいていながら、
落ち着いている状態、何も問題のない状態は、
その落ち着いて何も問題のない意識があるのであり、
それそのものに意識が向けられている状態だからですね。
> 日常で浮かんで来ると、
> このように深く落ち着いて
> 気づいていることができません。
>
一般的に言えることでもありますが、
意識を落ち着かないマインドに向ける習慣が、
根強く残っているからですね。
> 日常では、できるだけ意識に意識を向けることを
> 続けていきます。
>
> セッション中は良くて、
> 日常はダメという判断をせずに、
> ただそうであるという理解のもと、
> 日常も楽しみたいと思います。
>
そうですね。
できれば、ただそうである理解と共に、
ただそうである視点が大切になります。
ただそうであるという視点は、善し悪しという、
何かしら価値判断をするマインドを超えて、
全受容、全肯定する真我、愛の視点です。
日常からその視点であれば、相対的な
楽しいやつまらないという価値基準を超えて、
全てにおいて楽しさを見出すことができ、
楽しさに満ち溢れた人生となっていきます。
例えば、ポジティブなことだけに限らず、
嫌なことも、悲しいことも、切ないことも、
辛いときも、苦しいときも、泣きたいときも、
人生に喜怒哀楽という感情表現があるのは、
大いなる楽しさの一つと言えますね。
その表現の全ても真我(源、愛)から起こります。
大いなる楽しさ(真我、本当の自分)の視点からは、
喜怒哀楽を含め、多様性に溢れた表現豊かな人生を、
観照しながら客観的に楽しんでいくことができます。
> セッションと日常という区別も
> なくなってくるのかもしれませんね。
> 真我とマインドという区別なども。
>
区別すること自体はマインドになります。
マインドも真我の中であり、真我から起こります。
> 静寂、沈黙という背景があるから、
> 音やマインドなどの現れに気づくことができること、
> とても理解の助けになりました。
>
> まだ分からないことも、
> なんとなく分かる気がするときは、
> 本当の自分の感覚が
> 起こってきているからかなと思います。
>
なんとなく分かる気がすることでも大きなことです。
静寂や沈黙というのは、
真我の本質的な側面の一つです。
それがあるから全てに気づくことができます。
本当のT.Yさん(真我、無、空)の意識から、
静寂、沈黙という感覚を掴んだ状態からは、
真我の本質的な側面の理解として、
府に落としやすくなりますね。
全ては静寂、沈黙から起こります。
>
> それでは次回も、3月9日(金)午後3時から
> よろしくお願いいたします。
> 今回もありがとうございました。
>
>
>
> T.Y
また次回もよろしくお願いいたします。
どうもありがとうございました。
ヒロ
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T.Yさん、ご丁寧なご感想頂きありがとうございました。
個人セッション(お試し)のご案内はこちらより。
最後までどうもありがとうございました。