
今回は、個人セッションを受けられているY.Yさんより、
セッション後のご感想を頂きましたので、
僕の返信を含めてご紹介させて頂きます。
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Y.Yさま
こんばんは。ヒロです。
ご丁寧なご感想頂きありがとうございます。
> ヒロさま
>
> こんにちは、昨日もセッションありがとうございます。
>
どうもありがとうございます。
> 先週は、年末年始のボケも抜けるような
> 仕事ずくめの1週間で、
> マインドにとらわれる傾向が強かったです。
>
> ただ、ヒロさんとのセッションを録音したものを
> 通勤途中で聞くことによって大夫、
> 落ち着きを取り戻せた感じがありました。
>
それは良かったです。
セッションを思い出すことをきっかけとして、
感覚を取り戻して頂くこともできますね。
また、過去の音声でも、今聞いているのであり、
そこで時空を超えた共鳴が起こるとも言えます。
真我は、時間と場所を選ぶことなく、いつも
Y.Yさんから一番近い位置に在ります。
真我そのものの視点から捉えた場合、
「近い」という表現には語弊がありますが。
> ただ、まだ、平日は、仕事とか将来に対して、
> まだ足りてないことや、未熟だなと思うことが多く、
> マインドがざわついていた感があります。
>
> また、マインドから捉えた現在や未来を意識してしまい
> 感情に左右されてしまうようですが、
> それをそのまま受け入れるということが、
> 全てを受け入れるということなんだと思います。
>
そうですね。
マインドは自らの不完全性にフォーカスし、
その不完全性に対する埋め合わせをする思考や、
何らかの対策を考える傾向が強いかもしれません。
一般的にも言えることですが、その未熟さを補う為、
人生をさらにより良くしていく為の思考や行動が、
人としての進化、成長に繋がるということが言えますね。
しかし、それらに気づいている気づき(意識)そのものは、
マインドが考えていることとは別に在ります。
未熟や何かが足りないと思うこと、ざわつくこと、
感情に左右されてしまうというマインドが、
その時起こってきていることに気づいていれば
直接それらに巻き込まれることはございません。
気づきそのものは、起こってくるがままに、
在るがままに、ただ気がついているだけだからです。
マインドは無意識のうちに様々なことを考え、思い、
感情的になったりしますが、それに気づいている意識は、
その起こるがまま、在りのままを受け入れております。
> 今回のセッションでは、
> マインドにとらわれがちだったのか
> あまり質問も出なかったので、
> 早い時間に共鳴を始めていただきました。
>
> 最初の共鳴では、いくつかイメージが頭に浮かんだり、
> 逆に何も考えないで居られるときも瞬間的にですが、
> あったりしました。
>
> 無限の広がりの中に意識があるというような
> お話をしましたが、ヒロさんのおっしゃるように、
> 意識があるから無限の広がりがあるということで、
> 意識の理解が至っていなかったことに
> 明確に気づきました。
>
無限の広がりを意識しているのは、意識そのものであり、
その意識が無ければ、無限の広がりもありません。
そして意識そのものは、広さに限らず、
全てにおいて、「無限」とも言えます。
意識そのものに気づくことが出来たY.Yさんは、
シンプルに、純粋な意識(存在)として在りながらも、
その意識が持つ更なる側面、無限性を直知し、
ご理解頂けるようになっていきます。
> アイコンタクトでは、眠った時のように夢を見てました。
>
> また、自分の意識だけがあるというような、
> 無限の広がりを意識が見ているという
> 捉え方もあったりしました。
>
> 「眠った時のような夢」というのは
> それ自体がマインドなのかどうかはよくわかりませんが、
> ただ、在るものとして受け入れられた感じがしました。
>
いいですね。
夢もマインドから作り上げるものですが、
それを見ている、観察しているものが真我(在る)です。
> ハートの共鳴では、眠気も深まりましたが(笑)、
> ただ在るという感覚も深まってきて、
> 意識から無限の広がりを捉えられました。
>
> その中でも、イメージがチラチラと湧いて来ましたが、
> ただ、座ってそのままでいるということが
> できるような予感もしてます。
>
そうですね。
イメージがチラチラと湧いてきても、そのまま、
ただひたすら在るという状態がいいですね。
> イメージ的にはターミネーター2の最後の方で、
> ターミネーターが溶鉱炉に自ら入って、
> 溶けてしまう時の表現で、ターミネーターのモニターが
> ぶちっと切れて、無限の中に溶け込んだような
> イメージが浮かんできました。敢えて言うならばですが。
>
そうでしたか(笑)
マインド(自我、個人)が
落ちていくイメージ(例え)ということですね。
マインドが落ちた在るがままの視点では、
意識が持つ無限性に開かれていきます。
> 立場を変えての共鳴では、自分の立場が
> わかっていなかったのですが、
> 共鳴を提供しようとしておらず、自分の中で、
> 何か感情を刺激するようなイメージが
> チラチラと浮かんでいたと。
> まっさらな状態ではなかった感じがしました。
>
> 意識の源にきづきながらも
> マインドがでしゃばっている状態でした。
>
マインドは自らの存在を無くしたくないと、
無意識に抵抗してくることがあります。
(実際に無くなることはありません。)
> また、ただ在るということは
> どういう状態なのかということを
> 考えている自分がいたように思います。
>
> 感情的にいい事も悪いこともそのまま受け止めるとは
> どういうことなのか、ということですね。
>
> まだ、自分の中で「楽しくありたい」と願う気持が
> 強くでただ在ることへの不安というか、
> 満足できないのではないかと思う心がある感じです。
>
ただ在るというのは、その思い、感情的、気持ち、不安、
満足できないのではないかと思う心が落ち着いた先に、
本当の自己としての、在るがままの意識が広がります。
「感情的にいい事も悪いことも
そのまま受け止めるとはどういうことなのか」
ということにつきましては、感情的にも、
良い悪いという価値判断をしているのは、
マインド自らであるということが言えます。
そのマインドを客観的に観察している意識は、
そのままを受け止めている(受け入れてる)状態です。
その意識に、意識を合わせていくことによって、
マインドを含め、起こる全てを客観的に、
ニュートラルな視点で捉えていくことができます。
> 嫌な事避けるための予防線を張りがちというか、
> 全て起きていることをただ受け止められるという方が
> 早いかもしれないですが、、、。
>
そうですね。
> ヒロさんからは「あまりこうなって欲しいと
> 思うことが少なくなってきて、在るだけで
> 素晴らしいということに気づいて、
> 楽しくないことでも楽しめて、
> 何気ないことでも楽しめる」
> というような話がありました。
>
在ることの素晴らしさに気づいている者は、
それそのものこそ真に価値があるということを
知っているということが言えます。
在ることが無ければ全ては無く、
それが本当の意味で全てであり、
本当の自分であることに気づいているからです。
※補足
楽しくないことや何気ないことでも楽しめるというのは、
マインドから捉えた視点を分かりやすく表現したものです。
楽しいことや何気ないことも、根本的に、
自己が存在している感覚がなければ、
それらを一切感じ取ることもできません。
自己の存在感覚そのものに意識を向けることによって、
マインドから捉えたうえでの相対的な価値基準を超えた、
真の価値に気がつくことができるようになります。
> 確かに自分のなかでは「条件付きの楽しさ」とか、
> 良い事が起こるには何か条件があって、穏やかな環境で、
> 体調がいい状態でないとダメとかという捉え方で、
> マインドが活発な状態だなと思いました。
>
仰るとおり、マインドはそのような習性がありますね。
何かしらの条件や環境、もしくは体調が整わないと
楽しくない、満たされない思いが出てきてしまいます。
しかし真我には、何かしらの条件や環境、
体調などに関係なく、それに影響されることもなく、
いつでもフラットに、ニュートラルに在り続けます。
> そうではなくて、条件が整ってなくても、
> そのまま受け止められるという在り方も、
> 有りうるなという予感がしました。
>
その予感の通り、有りうります。
そのまま受け止めるという在り方に、
何かの条件は必要ありませんね。
> ただ、一方で、今の自分の課題とか、
> 仕事面でやらないといけないこととかが、
> 日常の生活の中で頭の中を占めてしまい、
> ちょっとした焦りの気持とかがでてきていて、
> セッション中もそんな感じがありました。
>
> なので、テクニック的に、未来のことや課題とか
> 問題とかを考えるだけの時間を作って、
> それ以外の時間は計画したことだけをただ実行する
> という方法もあるのかなと思いました。
>
そうですね。
未来のことを計画すること、課題や問題、
考えることやそれらを実行することは、
マインド的にとても大切なことではありますが、
それらを含めた全ても在ることの中で起こります。
そのご理解があれば問題はございませんが、
一番気をつけることを敢えてお伝えさせて頂くと、
そのマインドの中の考えにフォーカスし過ぎて、
やはり在ることを忘れてしまうことです。
在ることを忘れてしまうということは、
自己の存在において無意識とも言えますので、
マインドが主体となってしまう可能性があります。
> 今やれないこととわかっていながら、頭の中では
> マインド的にざわついてしまう状態が続いてます。
>
今やれないことはやれないので、
今やれることからやればいいということですね。
> 最後の瞑想では、マインドに囚われることを
> 嫌がっている自分自身がマインドに囚われていることの
> 現れだなと気づけたり、また、実は、さきほどの
> 日々の計画を立てて、それ以外の時間は
> 何も囚われないようにすること自体、
> 嫌な事を避けようとするマインドに
> 囚われていることだと気づきました。。。
>
> これは今日のセッションで、
> かなり自分の中では重要な気づきでした。
>
重要な気づきですね。
意識的になることは、
様々な気づきをもたらすようになります。
> この感想を書いているのは翌日なのですが、
> 今も、今まで以上に起きていることを
> そのまま受け入れられている感じがします。
>
とてもいい感じですね。
> あとは、今週の仕事の時でもその状態を
> 維持できれば良いなと思ってますが、あまり、
> 意識しないでリラックスして過ごしてみます。
>
はい。是非リラックスして過ごされてください^^
> ではまた来週もよろしくお願いいたします!
>
また来週もよろしくお願いいたします!
どうもありがとうございました。
ヒロ
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Y.Yさん、ご丁寧なご感想頂きありがとうございました。
個人セッション(お試し)のご案内はこちらより。
最後までどうもありがとうございました。