$今ここに在る奇跡 静寂に包まれた本当の自分(真我)で在るとき、あなたに恩寵が降り注ぎます-夕日と海と一体


今回は、個人セッションを受けられているT.Yさんに、
セッション後のご感想を頂きましたので、
僕の返信を含めてご紹介させて頂きます。

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T.Yさま

こんにちは。ヒロです。

ご丁寧なご感想頂きありがとうございます。


> ヒロさん、こんにちは。T.Yです。
> 先日もセッションありがとうございました。
>

どうもありがとうございました。


> セッション中は悩まず
> リラックスしてマインドを見ていることができて
> 助かりました。
>

とてもいい状態でしたね。


> 日常では、意識が向く先をネガティブなものから
> 楽しいことなどに、意識的に変えることで、
> ネガティブな感覚を活性化させない工夫も
> したいと思いました。
>

そうですね。

意識を向けているものが活性化されていきますので、
何を活性化させていくのかはとても大切になります。


ただ、ポジティブやネガティブという
価値判断を行うのは、マインドになります。

真我には、マインドで捉えたうえでの
ポジティブやネガティブといったものはなく、
相対的なものを超えているという観点は
忘れないようにされてくださいね。


相対的な価値判断が何もない領域、
在るがままの意識そのものこそ、
ただ在ることによる純粋な楽しさや喜び、
本当の幸せ、平和、自由、穏やかさがあります。

マインドで何かしら判断する前の状態で、
いつもその意識が在るということ、
状況や環境に影響を受けることなく
変わらずに気づいているということを
より自覚できるようになるといいですね。


> 一番は、意識そのものに意識を向けることなので、
> 意識の視点で、楽しめたらと思います。
>

それが一番大切なことですね。

これは間違っているとかではございませんが、
言葉の表現としては、「楽しめたら」よりは、
「楽しんでいるそのもの」になることがいいですね。

「楽しむ」は個人という行為者の視点であり、
マインド(自我)においては、楽しむためには、
大抵は何かしらの条件が必要になりますが、
在ることを楽しむために、何の条件も必要ないのが、
在るがままの意識そのもの、真我の視点になります。


※補足
もちろん、行為によって楽しむということを
否定しているつもりは一切ございません。

行為することを超えて楽しいことが、
本当の自分として在るという意味です。

行為による楽しさも、存在していること、
在ることの中で楽しむことができます。


自己の存在感覚にそっと意識を向けると、
存在しているだけで喜びであり、有難く、奇跡であり、
今という、在るがままの新鮮で未知なる無限の側面を、
純粋な視点で楽しんでいくことができます。

在るがままの赤ちゃんが、いきなり笑顔になるように、
純粋な存在としての楽しさそのものになります。


> 個人やマインドも真我から起こってきていて、
> 真我だから絶対大丈夫だということ。
> すべてが愛。
>

マインドを含めた全てが愛であり、逆に、
愛でないものは、何もございません。

愛そのものである本当のT.Yさん(真我)、
その愛の中にあるマインド(個人、自我)、
マインドがどんなにネガティブに考えていようと、
いつでも決まって、ひとつの愛の中にあります。


ただ、真我だから~というのはマインドになります。

愛そのものである真我に、愛から生まれた全てに、
大丈夫であるという根拠は何も必要ありません。

いつでも、どんな時も、全ては大丈夫です。


> 体験したいことを体験している、
> ネガティブな気持ちも体験したいことだったのだ
> という理解で見ることで、
> 安心が起こってくれば良いと思いました。
>

そうですね。

人生に起こる全ては体験する為、
本当の自分を知っていく(思い出す)為、
無限の可能性を見出していく為とも言えます。

そして、本当の安心も、
本当の自分として在ることです。

>
> それでは次回は、1月19日(木)午後3時から
> よろしくお願いいたします。
>
>
> T.Y


また次回もよろしくお願いいたします。

どうもありがとうございました。

ヒロ

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T.Yさん、ご丁寧なご感想頂きありがとうございました。


個人セッション(お試し)のご案内はこちらより。


最後までどうもありがとうございました。