
こんばんは。ヒロです。
今回は、個人セッションを受けられているM.Kさんより、
セッション後のご感想を頂きましたので、
僕の返信を含めてご紹介させて頂きます。
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M.Kさま
こんばんは。ヒロです。
ご丁寧なご感想頂きありがとうございます。
> こんにちわ M.Kです
>
>
>
> 先日はセッション有難うございました
>
どうも有難うございました。
>
> 感想です
>
>
>
> 今日は共鳴中気ずいてるそのものに意識を向けれと
>
> 気ずいてるそのものになって、
>
> 全くこの世から離れたとゆうか
>
> その意識だけになって飛び立ったとゆうか
>
> そんな感じがし
>
> とんでもないゾーンに足踏み入れた感じがて
>
> 驚くと在るに戻った感じでした
>
未知なるゾーンに突入されましたね。
真我そのものは、この世の全てであると同時に、
それ自体は独立した存在とも言えますので、
その視点においての体験だったのだと思います。
体験がきっかけとなり、捉える視点や角度によって、
この世界の捉え方も変わってきますね。
それでもやはり基本は、在ることに戻ります。
(在ることそのものが未知とも言えますね。)
>
> セッション全体に在るが馴染んでいて、
>
> いままでは在るの意識だけど、
>
> 胸を張って今在るですとは言えなかったのですが
>
> 在る、その状態でヒロさんと話していると自分たちが
>
> どの空間で会話してんだろうと思えるほどでした
>
> 会話も在るで話すので
>
> 口がどう動いて言葉をどう出るのか
>
> これがヒロさんの言うマインドを使うと言うことなのか
>
そうですね。
お話しをさせて頂くことはマインドの働きですが、
マインド(個人)である思考や言葉も、
全てが在る(真我)から自然に起こります。
在るという純粋な意識は、空間を越えており、
その意識の中で全てが起こっておりますので、
そのものの意識として深く入っていきますと、
空間的な認識が、いつもと異なったように
感じられる場合もあるかもしれませんね。
在ること(真我、純粋意識、空)そのものは、
時間と空間を越えて在るからです。
>
> 思ったのが、今までも顕れに気ずき、
>
> 顕れがスクリーンのように
>
> 平面だとゆうことは感じているが、
>
> よく言う映像が火事でもスクリーンは影響ない、
>
> の話を解釈すると在るで段々顕れが薄れ
>
> その先に何か凄いものが顕れると誤解していました
>
> 気ずいているそのものが真我なのだと感じました
>
仰るとおりですね。
真我は、純粋な気づき(純粋意識)そのものです。
その気づきの中で全てが起こっており、
気づきそのものは、起こることからは、
直接影響を受けることはございません。
これまでの人生を振り返って頂いても、
たった一度も、純粋な気づきそのものが、
何かに影響を受けたことはないはずです。
よく例えで言われている映画のスクリーンは、
それをご理解頂くうえでも分かりやすいですね。
スクリーンに映し出されるものがどんな状況であれ、
スクリーンは何一つ変わらずにスクリーンのままです。
>
> 瞑想では家の前を車が通り、
>
> その音が自分の体を通り抜ける体験し
>
> 今までよりも言葉にすると深く感じられました
>
意識的により深まってきておりますね。
共鳴でもそれが伝わってきます。
>
> 次回もよろしくお願いします
>
こちらこそ、また次回もよろしくお願いいたします。
どうもありがとうございました。
ヒロ
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M.Kさん、ご丁寧なご感想頂きありがとうございました。
個人セッション(お試し)のご案内はこちらより。
最後までどうもありがとうございました。