$今ここに在る奇跡 静寂に包まれた本当の自分(真我)で在るとき、あなたに恩寵が降り注ぎます-森林の光


こんばんは。ヒロです。

今回は、セッションを受けられているTYさんから頂いた
セッション後のご感想(ご報告)と僕の返信を
参考までにご紹介させて頂きます。

(ここから)
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TY様

こんにちは。ヒロです。

ご丁寧なご感想頂きありがとうございます。


> ヒロさん、こんにちは。TYです。
> 昨日もセッションありがとうございました。
>

こちらこそ、どうもありがとうございました。


> ノイズ、呼吸、脈、声に気づいているのは一つしかない。
>
> 気づきは一つ。それが本当の自分。
>
> この気づきがマインドに焦点を当てて、
> マインドが苦しんでいるだけ。
>
> 気づきの視点からはマインドはごく一部にすぎない。
>

素晴らしいご理解ですね^^

瞑想時に行わせて頂くノイズ、呼吸、脈、声などに
意識を向けて頂くワークは、純粋に気づいているところ、
純粋な意識に気がついて頂くためのものです。

その純粋に気がついているところは、
たった一つしかございません。



それが本当のTYさんです。


それは、ノイズ、呼吸、脈、声だけに
ただ気がついているだけではなく、
全てに気がつくことができる純粋な意識そのものです。


その純粋な気づき(純粋意識)の中で、
個人のマインドにも気がついているということになります。


マインドはその全体的な気づきの中の
一つということですね。



その意識の焦点がマインドであれば、
個人のマインドに気がついている状態です。

マインドだけに焦点が当たっている時は、
その純粋な気づき(純粋意識)の存在に
気がつくことができません。

これを、一般的に分かりやすく言いますと、
無意識の状態ということになります。


僕らがお伝えさせて頂いている真我の意識の状態とは、
その純粋に気がついているところ(純粋意識)が、
純粋な気づき(純粋意識)そのものに、
気がついている状態
ということになります。



それが、ゼロ(真我、無、空)の意識です。


苦しんでいる状態というのは、
苦しんでいるマインドそのものに焦点を当てているから、
ということが言えます。


苦しんでいるマインドから、その状態にただ気づいている
その純粋な気づき(純粋意識)の観点から、
客観的に捉えられるようになっていきますと、
苦しんでいるマインドそのものに
巻き込まれなくなっていきます。


ただ、苦しんでいるマインドが起こってきている
という捉え方になってくるということですね。


苦しんでいるマインドそのものの焦点と、
それを客観的に捉えている視点とでは、
全く異なってくるということです。



客観的な視点の方が圧倒的に楽なのです。


そして、苦しんでいるマインド自体も、
徐々に落ち着いてくるようになります。


これまで苦しんでいたことですら、
苦しみだと捉えなくもなっていきます。


それは苦しみだけではなく、恐怖、不安、悩みなどの
マインドで作り出してしまう
全てのことに言えることですね。


> 気づきそのものは悩んでいないし、苦しんでいない。
>
> 静かで穏やかで平和。
>

純粋な気づき(純粋意識、真我、空、ゼロ)そのものは、
悩みや苦しみとは一切無縁であり、
悩みや苦しみを生み出すのは、マインドです。



真我(本当のTYさん)は、いつでも
静かで穏やかで平和そのものです。



> 出来事に左右されずに安心していたいと申しましたが、
> すでにそうであるところに戻りたいです。
>

大丈夫です。

これは、どんな出来事にも全く左右されず、
常に不動で揺るぎなく、絶対的に安心できる領域、
真我(本当の自分、空、ゼロ、無限の愛)という源に
戻って頂くためのセッションです。


既にそうであるところに戻っていきますので、
ご安心ください。


> 本当は何も起こっていなくて、
> 気づきだけがある。気づきしかない。
> それ以外はすべて幻想。
>

そうですね。

真実は、純粋に気づいている気づきそのもの、
真我(本当の自分、在る、ゼロ、無、空、無限の愛)しか、
実在しておりません。



それが全てであり、それ以外は幻想です。


(※補足)

真我や本当の自分という、言葉の表現自体が
それしかないというわけではございませんので、
そこは誤解をしないようにしてくださいね^^;

別に表現自体は、ハイヤーセルフでも何でもいいのです。


いつも在るのは、いつも気づいている、
たった今も気づいている、「これ」だけです。



「これだけが全て」ということです。


真我(本当の自分、在る、ゼロ、無、空、無限の愛)とは、
その、「これ」を表現しているということになります。


> 共鳴中のリラックス感は
> 真我の一つの質なんですね。
>
> 共鳴中も日常生活も
> どこに意識が向いているのかが大切ですね。
>
> 考え事に意識が向いて、
> 巻き込まれていることが多いですが、
> 訓練でそのパターンから徐々に離れていくんですね。
>

はい。徐々にそうなっていきます。

その為の共鳴セッションですから。


自分の意識がどちらに向いているのか、
たった今、意識的な焦点がどこに在るのかが、
とても大切になっていきます。


本質的な源に、意識的であるか、
無意識であるかの違いとも言えます。



考え事自体が悪いとお伝えするつもりはありませんが、
それはマインドとなりますので、そのマインドだけ、
マインドそのものに焦点が当てられている状態の時は、
ある意味、無意識の状態ということになります。

マインド(思考、感情、観念、概念、自我、エゴ)
だけではなく、常に変化をする出来事にも
同じことが言えます。


真我自体は決して変化するものではないからです。


(※補足)

純粋な気づき(純粋意識)の観点から、
今、マインドがそう起こってきていると捉えている視点は、
既にマインドそのものではないということが言えます。

また、マインドに巻き込まれてしまったとしても、
途中で巻き込まれていたことに気づけた時点で、
そのマインドから開放されていくことに繋がります。


それは、先程もお伝えさせて頂いたように、
起こってくる出来事全般に言えることでもありますね。


日常からは、マインドや出来事に巻き込まれていたと、
途中で「気づく」というのがポイントになります。



> 本当は何も起こっていないという視点を持ちながら、
> マインド面からは、自分にできることから
> していけたらと思います。
>

その視点も大切ですね。

真我自体は、何も起こっておらず、
ただ在るだけです。



> でも、これをやってみようというものが
> 考えてもなかなか出てこないし、決められないので、
> やってみたいことが起こってきたらそうしたいし、
> 決められないときは、気づきに意識を向けることに
> 専念できればいいなと思います。
>

そうですね。

TYさんのマインドからの理解も
順調に進まれており、素晴らしいですね^^

日常からも、(純粋な)気づき自体に
意識を向けて頂きながら、
この調子で着々と真我を深めていきましょう!


> ヒロさん、いつもありがとうございます。
> それでは次回も、9月2日(金)午後3時から
> よろしくお願いいたします。
>
>
> TY


こちらこそ、いつもありがとうございます。

また次回もよろしくお願いいたします。

どうもありがとうございました。

ヒロ

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(ここまで)

TYさん、ご丁寧なご感想頂きありがとうございました。


お試しセッションをご希望の方は、
こちらよりお願いいたします。


PS



最後までどうもありがとうございました。