
こんばんは。ヒロです。
今回は、体験セッションを受けて頂いたAYさんに、
スカイプにてセッションを行わせて頂きました。
セッション後のご感想(ご報告)を頂きましたので、
僕の返信までを参考までにご紹介させて頂きます。
(ここから)
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AY様
こんにちは。ヒロです。
ご丁寧なご感想頂きありがとうございます。
> ヒロさん
>
> 昨日は、遅くまでセッションしていただき
> 本当にありがとうございました。
>
こちらこそ、遅くまでどうもありがとうございました。
> 昨日のセッションの感想です。
>
> はじめに、日常的な変化や最近の事象などの
> 話しから入らせていただいておりますね。
>
> 私は、最近、前ほど思考に囚われる事が
> 少なくなってきました。
>
> 勿論、嬉しい事もイライラする事もありますが、
> そのときの思考でいっぱいいっぱいになる事が
> 以前より少なくなってきました。
>
素晴らしいですね^^
日常的な変化や最近の事象などのお話しをして頂くことは、
AYさんが、ご自身の変化を振り返りながら、
それを改めて認識して頂くことにも繋がりますね。
「前ほど思考に囚われる事が少なくなってきました」
「思考でいっぱいいっぱいになる事が
以前より少なくなってきました」
着々と進まれていらっしゃると思います。
AYさんが日常の合間合間で、
それ(真我)に意識を向けて頂くことが、
増えてきていらっしゃるからだと思います。
>
> そして、セッション中にどのような状態か?
> とヒロさんに聞かれましたが、話をすると
> 色々な疑問があたまに浮かんできます。
>
> 全て真我から起こっているとおしゃってましたが、
> そもそも真我とは一体何なのか?
>
真我(本当の自分)に気づかれてからでも、
マインドからの疑問は起こってきますね。
「そもそも真我とは一体何なのか?」
真我とは、自分を含めた全ての全てであり、時空を越えて、
個人というマインドを越えたところに存在していますので、
真我自体をマインドで理解し、説明することは難しいです。
マインドから理解を進めていくことは大切ですが、
真我を理解することの一番の近道は、
真我そのもの、本当の自分で在り続けることです。
それを深めていくことが何よりも大切であり、
同時に、より理解を深めていくことができます。
在り続けることによって得られる理解とは、
無限の可能性と無限の愛で在るということです。
(※補足です)
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僕が以前、真我に目覚めてまだ間もない頃に、
読んだことがあるお勧めの書籍を
ご紹介させて頂きます。
真我(悟り)について最初に読む本としては、
とても分かりやすく書かれております。
エックハルト・トールの
「悟りを開くと人生はシンプルで楽になる」です。
書籍では「真我」という表現は
出てこなかったかもしれませんが、
今に在る、本当の自分、大いなる存在、
キリスト・神意識などの表現は出てきたと思います。
この書籍で言う「悟りを開く」という表現は、
「真我に目覚める」と同じ意味です。
「真我に目覚める=悟りを開く」です。
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真我は、ただ在るだけと捉えることもできますが、
ただ在るだけのことの中には、全てが含まれていますので、
在るだけで全てが満たされているということが言えます。
全てが含まれ満たされている、このただ在るという、
それ自身で在ることによって、様々な側面を
捉えていくことができるようになっていきます。
> 真我という言葉を発した瞬間に、
> それは言葉になっているため
> それは真我と呼ばれたそれぞれの認識・
> 感覚なのかもしれない。
>
> 真我は、目に見えることもないですし、
> 手で触る事もできない、
> 今感じているのが、真我なのかなという
> 曖昧な感覚になってしまいます。
>
> などあらゆる疑問が浮かんできます。
>
「真我と呼ばれたそれぞれの認識・
感覚なのかもしれない」
真我は変わることなく常に存在し続けているものですが、
全体性である一つのところから、
多様性として存在する個人個人が、
それぞれのマインドを通して認識いていくことや、
感覚的に捉えられることもまた多様であり様々ですね。
「今感じているのが、真我なのかなという曖昧な感覚」
真我は揺るぎなくそれとしてしっかり在るものですので、
曖昧な感覚はマインドからの影響は強いかもしれません。
目に見えるもの、手で触ること、今感じていることなど、
全ては真我の中から起こってきていることであり、
AYさんの個人のマインドを通して感じ取っている状態を、
観照している存在が、真我と捉えることができます。
真我自体は何も起こってはいません。
ただその中で起こっている、ただそうであるということに、
気づいている(観照している)だけです。
> 昨日は、直接、お聞きしましたので、
> ちょっと不快な気持ちになられたかもしれません。
>
> 私は、ヒロさんとのセッションを通して、
> ただ在るだけという事は、感じることも
> 理解もできました。
>
> ただ在るだけ・・・。
>
お気遣い頂きありがとうございます。
大丈夫です。
僕は真我を体験して頂くだけでなく、
それをお伝えさせて頂く立場でもありますから。
「ただ在るだけ・・・」
先程もご説明させて頂きましたが、
ただ在るだけという理解は間違ってはおりませんが、
このただ在るの中には、自分という個人を含めた
全ての全てが在るという認識も
忘れないようにしてくださいね。
在るは無限ですから、これから更に、
このただ在るから様々な側面(質)を
感じ取られてくると思います。
> こう考えると、人間世界、地球のあらゆる事は、
> 勝手に意味つけされている事が多いと思ってしまいます。
>
そうですね。
現実世界のことを意味づけしているものは
マインドになります。
> 言葉を発した瞬間に、それは、マインドが働きます。
>
> 思考をした瞬間に、それもマインドが働きます。
>
> 唯一マインドが働かないのは、ただ感じている状態、
> この時は、マインドを通して感じている状態とも
> 呼べるかもしれませんが、この状態が真我と共鳴
> している瞬間なのでしょうか。
>
マインドを通して言葉を発する瞬間、思考をした瞬間、
ただ感じている状態などの全てを観照しているのが
真我(本当の自分、在る、ゼロ、無、空)です。
マインドそのものとして捉えている状態はマインドです。
感覚的に捉えられている状態は、
在るがままにそれそのものとなっておりますので、
真我の意識の状態に近いのかもしれません。
> 今回は、真我に対する自分の認識が
> かなり疑問に残るセッションでした。
>
これまでの概念を越えたところの気づきとも言えますので、
マインドでは理解ができない真我という未知のゾーンは、
個人を通したマインドの認識からは、
疑問が出てきて当然ですね。
> 私の今の認識は、かなり大げさに言うと、
>
> 真我=〇
> マインド=×
>
> という印象が感じられますし
>
> 真我→マインド
>
> とも教えていただきました。
>
「真我=〇 マインド=×」
マインドが悪いわけではありません。
ただ、全ての源である真我の在り方そのものや、
それを定着させ、マインドから理解を深めていく過程で、
マインドが抵抗してくる可能性はかなり高いです。
真我を一番捉えにくくしているのが、マインドなのです。
AYさんが生まれ、物心がついてからこれまでの間、
これが当たり前の自分だと捉えてきたマインドは、
強力なパターンとして培ってきているものだからです。
「真我→マインド」
真我の中でマインドが働いています。
真我は在るだけで完璧ですが、
マインドは不完全です。
> 今の私は、真我という言葉の理解が
> 少し必要なのかと思ってます。
>
> かなり支離滅裂な文章になってしまいました。。。
>
いいえ。ご丁寧に素直なご感想を頂き
ありがとうございます。
これからもそれで在りながらも、
着々と理解を深めていきましょう。
> ここまで読んでいただき、本当に
> ありがとうございました。
>
> AY
>
こちらこそ、どうもありがとうございました。
ヒロ
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(ここまで)
AYさん、ご丁寧なご感想頂きありがとうございました。
お試しセッションをご希望の(悟りたい)方は、
こちらよりお願いいたします。
PS
彼がエックハルト・トールさんです。
「考え続けるか、繋がって生きるか?」
PS2
海の向こうに揺るぎなくそびえ立つ太陽の映像と、
アコースティックギターのアルペジオが渋く鳴り響き、
途中でリズムが入るところから音に厚みが増し、
シンプルで奥深くてかっこいいです。
最後までどうもありがとうございました。