宮本武蔵に学ぶ!
「相手の立場に立つ」というコンセプトを、聞いたことが
“ない”という人はいるだろうか。
恐らく、いないだろう。
それほど、このコンセプトは普及している。
きっと、社会人なら、誰でも、一度や二度は聞いたことの
ある言葉ではないだろうか。
しかし、「相手の立場に立つ」ということが、
実際に何をすることなのか、明確に意識できている人は
いるのだろうか。
そこで、今日は、まず、この剣術家の言葉を紹介し、
次に、相手の立場に立つことについて書いてみたい。
ご存じ、巌流島で佐々木小次郎と戦った、
宮本武蔵が、自著『五輪書』において、
果たし合いの相手と立ち合う時、相手をどう「見る」かについて
語った言葉である。
武蔵は、同書において、「観の目」のことを
「敵合近づくとも、いかほども遠く見る目」、
さらには、「意は目に付き、心は観に付く」と書いている。
きっと、世間一般としては、「観の目」とは、「心眼」、
もしくは「大局を見る目」のことなのであろう。
しかし、私が、この言葉に啓発されたイメージは、
まさしく今日の問題意識である「相手の立場に立つ」である。
そこで、それを説明するために、ちょっとした関数表現の
フレーミング(枠組み)を使わせてもらいたい。
Y = F (x, y, z)
↓
意見 = 思考(事実, 視点, 価値観)
関数表現になれた方なら、もうお分かりだと思うが、
「事実」「視点」「価値観」の3つの変数をもとに、
関数「思考」が、弾き出した出力が、意見であるということだ。
また、変数とか関数とかの表現を使わずに、
シーケンスに気をつけて、通常の文章の形で表現してみると、
意見とは、発言者が、自分の置かれた視点から、
(意識・無意識にかかわらず)、自分の持つ価値観を基点に、
事実を捉え、当たり前の思考をした結果、の出力である。
となろう。
しかし、これだけ読むと、当たり前すぎて、
ありがたみがないと思われるかもしれない。
そこで、私がもっとも強調したいことにメリハリをつけ、個条書きにしてみよう。
1. 「事実」そのものは、人によって変わらない。
2. さらに、意外なくらい「常識的な思考」にも、人による差はない。
3. 一方、「位置」と「価値観」は、人によって異なる。
4. そして、「位置」の違いは、想像してあげることも容易だが、
5. 「価値観」は、見た目では理解できない。
6. そのうえ、往々にして、本人さえも気づかない「価値観」もある。
ポイントは、人によって、そんなには思考の違いはない。
意見の違いは、主に価値観からくる、ということだ。
意見の違いを、「思考」の違い、と思い込むことは多い。
しかしながら、大概の違いは「価値観」の違いからくるのだ。
従って、相手の価値観を理解し、相手の位置から、
同じ事実を見てみれば、なるほど、そう考えるに違いない、
と自然に納得できることは多い。
さて、こうして書き進めてくれば、さては、武蔵の言葉に啓発された
私のイメージとは「観の目=価値観を見抜く目」だな、
と思われているに違いない。
全くその通りである。
別に、「観の目=心眼」や「観の目=大局を見る目」に、
異を挟むつもりは、全くない。
しかしながら、コミュニケーションの観点で言わせてもらえるならば、
いささか屁理屈ではあるが、「観の目=価値観を見抜く目」とし、
それを磨くことが、コミュニケーションの修行にほかならないと言いたいのである。
最後に、この感覚を、私なりの言葉にまとめて終わることにしよう。
しょせん、人は相手の立場に立てるわけがない。
そもそも、そう考えることが不遜である。
しかしながら、誰にでも、そのために心がけるだけなら、できることはある。
「相手の価値観を理解しよう。
できない時は、少なくとも、理解していないことを理解しよう」
世の中に、そう変わった思考の人はいない。
きっと、価値観が違うだけなのだ。
きっと、この前提に立つだけでも、コミュニケーションは円滑になるに違いない。