■よかったね、より、うれしい
■「できてよかっね。」「君はすばらしい」・・・ほめられているけど、なんとなく残る違和感。「うれしいよ」・・・ほめれてはいないけど、ジーンと来る暖かさを感じる。 何が違うのか? 私は人から、気持ちは分かるけど、なにがとっつきにくさを感じるって言われた。その人が言うのには、表現を聞いていると、「よかった」「スゴイ」・・・が多いんだよね。 評価されいる気持ちになるし、君が離れていく。
がーん。
そんな気持ちは無いのに。いや、本当は合ったのかもしれない。自分を合えて客観的においておき、(ある意味、自分は安全圏においておいて)、他人を評価の目で見る考え方があったのだと思う。 人は、感性がある。敏感な人ほど、相手の行動を感じて反応する。 この方の違和感も、感受性の高い人が、正確に自分を表現してくれた。出してくれた勇気が嬉しい。
■自分では気がつかなかったが、私は、自分が評価され、うまくいくことを考える癖がある。あると思う。そして、人と本当の意味で係わり合いを避けて、合理化して付き合っていく、そんなところがある。いや、合理化して付き合うことが大切。自分を高みにおいて、自分は他人とは違うと考えるほうが良いとさえ思っていた。 どこかで覚えた思考・行動体系である。 そして、この「自分を高みに置く」「うまくいくことを考える」ことは、人との本当の意味での関わり合いを避け、(場合によっては人を利用して、)結果のみを考えることになっていく。 そして結果のみを追う習慣が、よかったね という言葉が私の中で生まれる。
よかったね という言葉が生まれる時、同時に、結果を得るための過程で生まれた気持ちは存在していない。 常に意識は結果を追い求め、「あした・あそこ」「意識ここにあらず」という状態が生まれている。 今やっていることは、なくなればもっと良い。それで結果を得られるならば。 結果を得る過程において、自分が関わり、過程を味わっていくことは気にしていなかった。いや、もっと言うと、過程を味わうことは意味の無いことだったと思っていた。
■過去の経験だが、面接で、合格すればよい。と考えると、合格するための手法を考えてしまう。それはそれで必要である。しかし、その組織が好きで、好きだからこそ、組織の社風も知りたくて、そして、憧れの組織の人たちにあえる。嬉しい。私のことも良く分かってもらって、お互いがOKであれば、一緒に働きたいと考えるのとでは、大きく違ってくる。後者は、面接は合格のための過程、後者は、面接も味わう場であり、楽しませる場になる。 その違いは、目に現れるという。作ったテクニックの目は、笑っていない。その場を楽しみ、相手と会えてよかったと思う気持ちあるとき、目は笑っているという。 経験が豊富な人は、この目の感じを敏感に受け取る。 意外に、訓練などで身に着けたこと、テクニックで処理をしようとしている時、相手はそのことを感じ取っているのかもしれない。私はあなたを見てないって事を。意識する、意識しないに関わらず。
■自己紹介書、会社・組織の案内を見て、これ会社・組織名を変えても分からない、写真と名前を変えればどこでも通用するなって思う表現が多い。 合理的かもしれないが、自分も相手も大切にしていないって思う。 私は、今、ここを大切にして、人と関わり続けるほうが性格にあっていると感じる。そのほうが楽。 過程を味わうのも結構楽しい。
■とはいえ、思いだけでは物事は進まない。 人の器(人間関係構築×計画力)×願望×弱者の戦略、このバランスだけは忘れないように。 どれひとつ抜けてもつらいです。 ま、人それぞれ、人生は一回。お好きなように。それがいいです。