※比喩がイマイチでただの悪口っぽくなってる所は一部表現を変えました。本人を「攻撃」したいわけじゃないので

 

 どうも僕です。

 

前置き(削除記事の転載のためグダグダ前置きを書いております)

面倒くさいはという方はスクロールしていただいて本文へどうぞ↓↓

 

このブログ記事、事業所のアカウントで書いたら理事長直々に「中嶋涼子さんへの誹謗中傷による名誉毀損罪、侮辱税で<事業所>への民事訴訟、刑事告訴へ発展することを避けるため(ほぼ原文ママ)記事を削除しました。うちのブログから書かないでください」というお達しが事後報告できましたw

 

 まぁこちらも「誹謗中傷じゃないわ!」とかって議論をするつもりもないですし、誹謗中傷ってなんやっていう定義とかウダウダいうとこっちが面倒くさいやつだと思われるのもシャクなので「了解しました」とあっさり応じ、こちらに「自分」のアカウントを作って避難させました。

 非常にすごい勢いで読んでいただいていただけに共感していただいた方、この文章の「真意」を読み取ってくださって何か感じていただいていた方には非常に申し訳ないです。

 多分本も一冊読みきらないであろうあの理事長には難しかったかもしれないなぁ…

 

 一部SNSであるような特定のナニガシからの圧力とかではありません(そんな影響力のある事業所じゃねぇ…)。上がビビってるだけです。信念とか無くなんとかトラブルなく行政からの助成金がもらいたいだけの弱小負け組経営者なので、責めないであげてください。事業所なんてそんなもんですよ…

 まぁそんな姿勢でやってきてるのでもうすぐ潰れるんですけどねwww…事業所。

 はい、僕失業。頑張ります。

 

 記事が消されたことからこの国の「福祉」のレベル、察していただけるかと

 (いい所も極稀にあるけどね)

 

 なので事業所を特定して叩いたりするのはしないようにお願いします。そんな価値もないし、風前の灯火だしあなたの時間の無駄です。

 

 

 こんなしょうもない事業所でも治療期間とか仕事ができない時期はこういう所に放り込まれるわけです。障害者と言っても人によっていろいろな部分のレベルがまちまちですので、そこに所属することの居心地はお察しいただければ…

 

 僕はもう次は就職しますけどね!もう福祉で働きたくねぇ…

 

 この記事、面白く読んでもらうため&僕自身が口が悪いため口汚く描いている部分があるのは否定できません。しかし読んでいただければわかるように、中嶋氏御本人のバックボーンであるとか普段なさっている活動、思想・人格・容姿について揶揄したり貶めている部分は一切ないと思っています(もしあったら慌てて修正します)。

 

 あくまでもインフルエンサーと名乗っていながらの今回の炎上に至った事案における、彼女の立ち居振る舞い、表現、思い違いと一般的に一部の障害者が陥る「社会は障害者VS健常者」という被害者意識と感じる部分に関しては歯に衣を着せず申しております。あと多くの人が抱えているだろう憤りを表現しているつもりです。

 好き嫌いはともかく中嶋氏の主張に一切共感できる部分がないというわけでもありませんし、知らない部分までの人間性を否定するものでもありません。もちろん特段応援もしませんが…

 

 

 ちなみに僕自身は主に「話すことができない」という障害を持っています。 

 

 事情により前置きが長くなってしまいましたが以下が本文になります。

 

 

 

 

 

本文ココカラ

 

 (事業所特定を避けるため一部改変・加筆しています)


 障害者当事者でありながらも取り巻く障害者界隈の意識の低さ、やる気のなさ、社会は障害者に悪意しか持っていないと信じて疑わない一部の被害妄想を持った人たちが一向に減らないことに正直たまに「障害者やめたいです」と思わずにいられないR氏です。なんでも助成金に頼るな~、少しは自分でも稼げぇ…



 たまには障害者自身がそこを切り込まないとあかんやろと思うのでちょうどいい炎上案件があったので書きたいと思います。



 事業所の関係でちょっと知っていた中嶋涼子氏が僕のプライベートアカウントにも火だるまになって流れてきた。
 いやもうこれはちょっと消化器どころか消防車でも手遅れなんじゃない?ってくらい燃えてて手の施しようはなさそうだった。

 一瞬彼女のポストだけ見たら映画館の対応がひどかったのかと思ったが、彼女自身がドヤ顔でポストしている内容が非常識この上なく、
これって障害者とか車いすユーザーの社会的問題となんの関係もないよねということが見えてきた。

 最近どっかで見たなと思ったら港区女子とかいう水商売のギャルが寿司屋の大将の対応が悪いとキレた投稿をし逆に自分自身が消し炭ほど燃えた事案だ。


 ようするに今回も謂わばいい歳したギャルが映画館のスタッフの業務の範疇を越えたサービスを要求し、「今までしてくれたのにもうしないってゆわれた、まじさいあく~」というのを、あたかも障害者という弱者が受けた被害かのような描写で具体的な映画館の名前まで出してSNSに晒したという事件である。

 この件について何が問題で、なぜここまで炎上したのか。同じ障害者目線で見ていきたい。
 ちなみに今回中嶋涼子氏に批判的な意見を述べた人はいわゆる「障害者は家にいろ」という障害者を排除したい極論の過激派よりも、当事者である同じ車いすユーザー障害者、障害者に関わる仕事をしている人や医療関係者、そして普段から障害のある人に理解を示している人たちが多く目立ったのが普段の炎上とは異質と感じた点である。

 まず、中嶋涼子氏は映画館の車椅子席は好きじゃないらしく家で観るようにくつろげるいわゆるグレードの高いリクライニングシートの席がある映画館に行ったらしい(3000円)。そこには少しだが階段があり、介助者は同伴しておらず劇場スタッフが車椅子を担いで上がったらしき描写がある。

 僕は車いすバスケの指導をしていたこともあり、車椅子に乗っていても腕の力だけで数メートルくらいは自力で移動できる奴を何人も知っているので中嶋氏も自力で上がり、車椅子だけをスタッフの方が運んでくれたのかと思った。だが中嶋氏は自力で階段は上がれないようで、車椅子ごと女性(まぁおそらくバイト)スタッフ二人で担いで上がったということらしい。

 女性だけでどう運んだのか詳細はわからないが、業務外どころか親切の域を超えたサービスを何度もしてもらい、且つ今後もしろという厚かましい要求をしたようである。

まずここで第1の大きな問題。
車椅子を人を乗せたまま運んだことある人は少ないと思う。僕はある。
本当に安全に運ぶなら標準以上の男性3人は必要である。4段ほどの階段らしいが、車椅子って思った以上に重心が高い。
二人だと前後に持てば横に、左右で持てば前後に、乗ってる人ごと回転して落としそうでめちゃくちゃ怖いのである。だから三人つけることを原則にしている。理想は4人。
仮に二人で運ぶ必要がある場合(普通は施設でもそんなハイリスクな移動はしない)普段からやり慣れて危険をわかっているスタッフが行うべきである。

 映画館のスタッフ女性二人ではかなり大変だったに違いない。
多分この人たちはめちゃくちゃいい人なのはわかる。きっと優しいからそうしてくれたのだろう。結婚して欲しい。
 だが問題の日はその女性たちじゃない人が対応し、それを見かねたマネージャーっぽい人にもう少し車椅子で対応できるとこで見てはどうか?と言われたことが気に入らなかったらしい。

 僕はこのマネージャー素晴らしい判断だと思う。言い方にケンがあったのかもしれないし、言葉の選び方がまずかったのかもしれない。

 でも僕が喋れたら「お前調子に乗んなよ、映画館のスタッフは己の奴隷とちゃうぞ?あぁ?」って言ってしまい本当に謝罪する羽目になっていたと思う。

 でもこのマネージャーはまずお客さんの安全、そしてスタッフの安全を考えて当然の判断をしたと思う。




 ここで重なってくるが第二の問題がある。
 そもそも自力で移動できない人を車椅子から下ろしてリクライニングシートにいわば放置していいのかという問題である(法律的な規定はない)。

 彼女を擁護する盲目的信者のポストの中に「私たちは普段見難い端っこや最前列の車椅子席に追いやられて我慢してるのに、たまにはいいじゃない」というものがあった。


 おっとこれは印象操作だ。嘘は良くないし、その配置の意味も理解していない。


 まずこのシアター配置図を見て欲しい

 




 これは僕がよく行く映画館のものなので中嶋氏が行っていた映画館と仕様は違うと思うが、別に中嶋氏とその一派の嘘を暴いてやれという意味で見て欲しいのではなく
車椅子席の場所は「こういう意図か!」と理解してほしいからなので現場を再現するのではなく参照に見て欲しい。

 なるほどこのシアターではかなり隅っこで、このシアターでしか観たい映画が放映されてなければ僕でもちょっと「外れ」だな・・・と思ってしまう。

 じゃあ中嶋信者の方のおっしゃるように車椅子席ってのは邪魔だから隅っことか悪い条件の所に置いられ、障害者はのけものにされているのか?
 だとしたらそれは由々しき問題だと思うし、僕だって許せない。絶対にだ。


 そこで次の2つの配置図を見て欲しい。




 同じシネコン内の別のシアターだ。若干小規模で狭いので車椅子席がかなり前の方にある。信者いわく「首が痛い所に追いやられている」らしい。
なるほどひどいな。こんな前の方でわざと見づらい位置に配置して嫌がらせしてるのかもしれない。だとしたら許せないな!!


 でもさっきより「隅に追いやられている」という感じではない気もしないだろうか。


 そして最後にこの配置図を見て欲しい。




車椅子席、最高の位置ではないかもしれないが悪い席と言えるほどだろうか??
僕ならもし混んでてこの席くらいならまぁ許容範囲だと思う。

ドルビーオーディオが楽しめない?家にシアターセット買えよ…。60インチのTVと合わせると映画館より楽でいいぞ~?


さて僕、防災士です。

 僕はこの配置をみて設計した人の意図は一発で理解できました。
まず通路に面した席を車椅子席にしてありますよね。要するに車椅子は低いので前の人の影で見えなくならないように配慮してあるんです。
最初の部屋の車椅子席が端っこだったのは設計上通路に面した席を設置できなかったため前の人と重ならずに斜めに観られる位置に苦渋の決断で配置したのだと思う。
そして災害時の安全のため全ての車椅子席が最短でスロープのある出入り口に行けるようになってます。
それなら後ろにもスロープ作って車椅子席そこにすればいいじゃん、なんで前の方にばっかり追いやるんですかぁ~って思いますか?

 じゃあ、気づいたら火事でもうもうと煙に巻かれそうな時に知らない車椅子の障害者助けに後ろの席まで上がって連れて逃げますか?
 すみません僕死にたくないので無視します。

 でも僕みたいな薄情なやつでもね、目の前で車椅子の人がマゴマゴしてたら流石に押すなり引きずるなりして一緒に逃げますよ。

 いやいると思いますよ、煙の中助けに行く人。そういうヒーローって。僕は違うけど。

 でもね、そもそも煙がすでに充満してたら暗い映画館で自分の後ろにどんな人がいたのか全部把握できるのはジェイソン・ボーンか陸軍中野学校出身の人くらいですよ。

 つまり設計した人はもし災害があっても自力で最短で逃げられる場所を、そしてもしトラブルで障害者が動けなくても後ろから来る人の良心と勇気に賭けてこの配置にしたんです。

 どうでしょう?配慮義務にかけてますか?愛がありませんか?障害者は隅に追いやられて社会から迫害されてますか?

 たしかに映画を観るという目的のためには少し場所は悪いかもしれない。でもまず人命優先でしょ?お客さんの安全第一でしょ?
 え?金払って観てるのに不公平?

 だから僕ら障害者は1000円とかで映画観られるんですよ、障害者価格で。
 いろいろ配慮はしてるけど立地条件や上映の都合上どうしたって障害のある人に我慢させてしまう部分は出てきてしまう。

 だからこの上ない「配慮」をしてくれて障害者割引があるんです。 

 別に障害があって可哀想だからでもなく、まして特権があるからでもありません。

 健常者より不便を感じさせてしまうかもしれないから健常者よりあらかじめ安いんです。
 障害者も健常者も関係なく観られる映画館が開発されたら料金一緒になりますわね。でも実際は難しいんです(日本土地狭いし)。だからなんです。

 そういう意味をわかってる当事者どのくらいいるんですかね。

 僕はこういう説明書や配置図から人の意図やこだわりを見出すのが好きなのでわかるのかもしれません。
 でもこの図を見て、そこまで悪意で障害者を迫害したいと思ってこういう配置にしていると思うのは流石に心が歪みすぎてないでしょうか?
 ちなみに映画館によってはポップコーンや飲み物が飲めるように車椅子席にテーブル持ってきてくれるそうですよ?

 さてここでさっきの中嶋氏の行動を振り返ってみます。
 ご自身で仰ってるように二人の女性が大変そうに持ち上げてくれてリクライニングに座ったそうです。
 この女性たちは何度も言うように結婚してほしいくらい素敵な方だと思います。

 でもその善意の女性スタッフたちですらも先程の映画館の基本的なスタンスから考えると安全面では褒められる行為では有りません。

 大きな火災や地震が起こったらどうしますか?

 中嶋氏はゆったりとしたリクライニングシートにへばりついたまま「あう~あう~」言うてるだけで焼け死ぬかなんかしますよね。
 4段が自力で上がれない人が這って逃げられるとも思いませんし。そうなった場合劇場の責任で賠償請求ですか?冗談じゃない。
そのスタッフが助けに来ないと駄目ですか?

 障害者健常者関係なく「あたしリクライニングじゃないと観られぬぁ~い」て港区アホギャルみたいなこという人のためにそんな親切な心の女性たちが命を張る必要はないでしょ。

 そういうことですよ。

 だからマネージャーの方はもっと適したシアターで観てくれないか?と言わざるを得ないですよね?責任ある立場の人というのはお客さんと同時に従業員の安全を守る義務もあるんです。


 そして第3の問題。

 小さいようでめちゃくちゃ大きい問題です。
 女性スタッフが大変な思いをして上げてくれましたって御本人がおっしゃってますが、本当に大変だったと思います。
 僕も人を乗せたまま車椅子持ったことありますが、前述の通り人も落としちゃいけないしでめちゃくちゃ力もいります。
 普通の車椅子は「持ち上げる」ということを前提に作られていないので、持ち方を知っていても重いですし、持つ部分を間違えるとバーが手首とかに変な形で当たったり自分の膝やスネにガンガン当たるんですよ。これが痛い。
 これを一般の女性にやらせたのかと。しかも見てて大変そうって思ったんでしょ?わかってたんならマジで人間として最低ですよね?

 あんた人を落とさないように運んだことあるのか?持ったことない重い物もって4段でも階段上がったことあるのか?ないですよね。なんで知らないのに普通のことみたいに言うんでしょうね?

 障害者の大変さを知らない人がいるようにあなたも健常者の大変さで知らない部分があるとなぜ考えないんでしょう。

 めちゃくちゃ怖いし危ないし痛い辛い。

 世間に向けて「障害者の大変さや不便さ、辛さを想像してみて欲しい。そして理解して欲しい」というようなことを訴えかけてる自称インフルエンサー(笑)の人がですよ、なんで目の前でウンウン言うて頑張ってくれてる人のことを想像も理解もしないのか?
 なんで障害者を助けてくれる人の思惑やその苦労を理解しようとも共感しようともしないんでしょう?思いやりを求めるのに、自分は思いやりは持たないんですねぇ・・・

 もしその時想像できていたら一回目はわかってなくても「うわ、めちゃくちゃ大変なこと頼んでしまったな…えらい無理させちゃった」と思うのがごく普通の可愛げのあるまともな人間の反応ですよね。
 え?それを毎回やってもらってたって?マジですか?10代の子どもならちょっと分別ないな~で済みますが、おいくつでしたっけ?


 そして第4の問題点

 これはですね、社会的にというより僕が個人的にめちゃくちゃ引っかかる部分でした。
 
 「悲しい」「悔しい」

 この言葉で他人を攻撃するやつ。死ぬほど嫌い。

 久しぶりに悔しかったじゃねぇよ。何自分が100%被害者みたいな表現してるんですかね。

 この「私は悲しいの…」っていう攻撃方法はですね、相手に反論・反撃をさせる余地を残さないように追い詰める巧妙な言葉なんです。
 とくにこういうケースの場合ですね。

 「お前バチクソムカつくわ~」って言ったらね、相手に「お前も悪いとこあるやろがい」って言わせる余地があるじゃないですか。殴り合いが対等になる。

 でも絶対に自分がヒールにならないように受け身の言葉だけを使って「悲しかった」「悔しかった」というのは「皆さ~ん、今私何もしてないのになぐられてますよぉ~」「私は弱者なので全部あいつが酷いんです」っていう周りへのアピールなので本当に虫酸が走ります。いやどこが弱者やねん。

 「お~い姉ちゃんわしをちょっとそこまで運んでくれぃ」っていう面の皮厚いおっさんオバハン普通に見たことあります?

 嫌いだな~~~~

 これだけでもなんで炎上したのか一目瞭然だと思います。何が?とか考える余地もなかったなぁ…

正直、仕事の関係で動画配信とか見てて中嶋氏の配信してる主張とかセンスとか全然共感できないな~と思ったし、あまり品性も感じなかったので

 嫌だな~~~

 と思ってましたが、大人なので黙ってました。まぁ僕が直接関わるわけじゃないし。

 イデオロギー的に絶対相容れない・・・



 僕は障害で全く話せないですからお店とか行くと困る時があります。
 筆談のものとかとっさに見せるカードとかあらかじめ自分で作って用意してます。でもたま~に忘れるんですよね。焦りますよね。
 店員さんが機転の効く優しい人で察して対応してくれたりすると心底「助かった~」と思います。

 「今度から忘れんようにせな…」って思います。普通のことだと思うんです。

 「おいコラ、前の店員はちゃんと察してくれよったぞ?あ?なんでお前はわからんのじゃおぅ?」
 って僕が言うと思いますか?いや、物理的に言えないんですけどね~(笑)

 こっちがウッカリしたせいでコミュニケーションがもたつくことはたまにあります。そんな時に親切にしてくれる人はいっぱいいます。それはとてもラッキーなことで、ラッキーな日なんです。いい日だなぁと思えばそれで十分です。当たり前とは思わない。

 獣医さんにネコを連れて行くときも大切な猫のことだから間違いがないように一生懸命先生にわかりやすいように要点をまとめていきます。
そうすると先生も一生懸命読んで「なるほど」と言って丁寧に説明してくれます。

 僕みたいなマイナーな障害を知ってて準備してくれてるなんて無理ですし限界がありますから、自分から相手を困らせないように準備するんです。


 それは気を使ってるとか障害者だから申し訳なくてやってんじゃないです。


 僕も社会の一員として、他の人とスムーズにキャッチボールができる手段をいつも考えているんです。人、つまり社会に対してできることというのは、まずどうすれば相手に不快感を与えず気持ちよくコミュニケーションできるだろうか?って考えることだけです。


 それって障害者かどうか関係あります?



人間が人間と関係を作っていくことでできることってそんなもんじゃないんでしょうか?
それが唯一のよい社会を作る方法じゃないんでしょうかね。障害者である前に一人の人間でいられないでしょうか?

 インフルエンサーとか別にいらん
 しょうもない障害者イベントもいらん


 各々の障害者が自分の周りの人と良い関係を築いていればそれで世界が良くなるでしょ。


 健常者・障害者関係なく自分ガー自分ガーと言うてるからそうならんのです。


 事業所に入った時もそういう自分からキャッチボールして「社会を築いている」人とたくさん出会うかなと期待してました

 結果はまぁ・・・www


 今回の中嶋氏の炎上で唯一良かったことと言ってはあれですが、結構な数の車椅子の人や障害者が、「いやそれは違うやろ」と言ってたことですね。
「僕らは業務以上のことをやってとか思ってない」とか「自分を犠牲にしてまでやってもらってもそれは違う」とか「要求が親切の域を超えてるやろ」ということを当事者が言ってることが救いに思いました。僕と同じように自分で社会との関係を築いていこうとしてる人って結構いるんやなっていうのは嬉しかったです。
そういう障害者仲間なら出会いたいですよね~。なかなかおらんけど…。

そして一部の過激派を除いては、この事案はかえって車椅子ユーザーの人が迷惑なんじゃない?困るんじゃない?と冷静に見てる人も結構多かったです。


 それを「障害者が卑下してる」と考えたり感じたりする人はもう重症ですよ・・・


 せっかくそういう人たちが増えて、少しずつ確かにまだ全然足りないけど障害者と健常者というボーダーが薄れつつある流れを中嶋氏は逆行させてしまいました。


 その罪は非常に大きい。


 障害者の辛さや大変さを知ってほしい、理解して欲しいって本当に思ってる人ってどのくらいいるんやろう。
 僕はこんな辛さ知ってほしいとか微塵も思わないし理解してもらったからと言って大変さがなくなるとも思えない。僕が大変かどうかと通りすがりの誰かと関係ないですよね?

 実質的に物理的に僕ができないことを補うシステムがあったり手伝ってくれる人がいてくれたらそれは本当にありがたいと思います。


 でもそもそも生きてて辛くない人のほうが少なくない?健常者だろうと。
 
 僕はそういう健常者にも寄り添える強い障害者を目指しています。

 リクライニングシートにふんぞりかえって「写真撮ってくれ」とかいう人間になろうとは夢思わないですねw


 中嶋涼子氏ももしかしたら最初はそういう思いもどこかに持っておられたのかもしれません。


 勘違いしちゃったんでしょうね、盛大に。インフルエンサーとか言い出して。障害者としてケアしてもらったりチヤホヤされているうちにそれが「特権」のような感覚になってしまったのかもしれません。そういう障害者の方は大なり小なりおられるような気がします。


 こっちは車椅子なんやぞ?退けや!みたいな態度の人。蹴り飛ばしたろか思います。僕も障害者なんやし対等やろ?


 自分を理解してほしければ、まず人を理解するべきだし、自分が支えてほしいのなら、自分がまず支えになるべきです。障害者の問題を考える前にまず人として当たり前の感覚を持つべきです。

今回中嶋氏がやったことは障害とはなんの関係もありません。
ただのサービスを過剰に要求する悪質クレーマー事案です。

コンビニでタバコの番号言わずに「いつものや言うとるやろ」ってキレるおっさんと一緒です。おっさんやったらシバいたろかな思うでしょ?

 車椅子やから相手が謝罪したんですよ。それ逆差別ですよね。車椅子の人には何言われても謝らなしゃあないってそんな世の中住みやすいですか?障害者にとっても。
 新たな差別を生み出して何やってんでしょうねインフルエンサー。

 女性スタッフに「よく考えたら無理なことさせててごめんね」って言うて来いマジで。それやったらちょっと見直すし救いはあると思う。

 自撮りばっかりせんとそこにいる「人」のことももっと見て。

 世間が悪意しか持ってないみたいなそんな見かたしかできないことこそ「障害」ですよ





 昔車椅子バスケの選手に、「通路塞いで人が通れんやろ、ちゃんと謝れ」と教えてました。

 なんでやろ、車椅子は最優先で健常者は無条件で譲るみたいな風潮


 僕はそれがほんとに嫌いで、選手には「お前が動きにくいとかそういうのは他人には関係ないねん。お前が塞いでるっていう事実に対してだけすんませんと謝ればいい」と教えました。

 そこには「障害者ですんません」「車椅子ですんません」という卑下をした意味は微塵もないんです。
 自分より急いでるかもしれない人に対して邪魔したことを「すんません」と言うだけ。


 車椅子の人に健常者が「ちょっと通してもらっていいですか?」って普通に言える社会こそが僕の見たい社会なんですよね。
 その時初めて平等と呼べる立場になると思いますよ。


 障害者に生まれたから、なったからと言って他の健常者の人より不幸という概念はいい加減捨てましょう。自分が社会の一員として、まず思いやりを投げかける側になってみてはどうでしょうか。


 誰かに「ありがとう」と思わず言わせる障害者、いやそういう「人」になりたいものです

 

 

 以下あとがき的加筆(読みたい方はどうぞ汗)

 

 前置きもあり、めちゃくちゃ長文になってしまいもしここまで読んで頂いたのでしたらありがとうございます。

 長くなったついでにもうちょっと書きます(汗

 

 今回の件、僕はリクライニングシートで障害者が映画を観るべきでないとか分不相応とかは思ってません。むしろ「障害者もリクライニングシートでも気楽に見られるようにしてもらえたらな~」という可愛げのあるつぶやきであったなら「炎上」には至らなかったと思います。車椅子席が若干不便なのもそうですし、僕ら障害者にとって不便なところは社会にたくさんあると思います。そこを改善していくことを求めることは当然していいと思います。それって健常者の人だって生活の中でありますよね?

 社会が不十分だから助けあいが必要なんです。でもそれは「助け合い」なんです。どんな問題も片方だけが我慢するというのはいずれ争いになります。その大きいのが戦争じゃないですか。

 

 どちらもが「歩み寄る」という点であまりに相手にばかり負担をかけたことが今回の騒動になった発端かと思います。

 

 あとは攻撃的な晒し上げ。これも良くなかった。彼女はフォローかのように「イオンシネマ全体をせめないでくださいね」と言っていますが同時に調布?の映画館をわざわざハッシュタグで名指ししていますよね。

 これって裏を返せば「調布にはガンガン言うたれ」って意味にしか取れないんです。トランプとかプーチンとか「扇動」が上手な政治家が本当によく使う逆張りの煽り文句ですよね。これは分かる人には反感を買いますよ。

 

 あとはやっぱり高級シアター…。僕も映画大好きでサブスクも3つくらいしてて、映画館もちょくちょく行きます。でも中嶋氏と違って普通のギリギリ貧乏障害者ですので、みたい映画を絞って「今月はやめとこう」「あれだけは見に行こう」と小市民な発想が普通です。

 こんなの健常者の方でもこの不景気のご時勢、まして障害者割引ないのでホイホイと時間あいたから映画館行ける人ばっかりじゃないですよね。

 そこに来て3000円特別シートですから…。感情的に反感持った方も結構おられたのではないでしょうか。いや、これは完全に妬みですよ。でもその上でのあの態度か?というのはけっこうな追加燃料になってしまったのでは…

 これが普通の映画館で「車椅子席が空いてなかったのでスタッフさんが頑張ってくれた」なら逆に美談だったのでは?

 

 可燃物だらけの所でタバコのポイ捨てくらい燃える要素あったんですよね…

 

 僕はこの件で中嶋氏が今後どうされるかとかどうなられるかとかは興味ありません。ご自分で蒔かれた種はご自分でなんとかしていただければ。

 

 今回この文章を書いたのは、あくまで障害者ってそんなにみんなみんな健常者に反感持ってないでとか、もう少し気持ちも自立してるでということを知ってもらいたかったからです。

 

 大きい声の人がどんなに大きい声出してもそれは一つの声でしかないです

 

 

 僕らが唯一社会で平等にほしいのは「チャンス」だけです。

 チャンスさえもらえたらあとは自分の戦いじゃないですか、誰でも。

 

 社会ってソフトウェアやと思ってます。

 だから使ってみないとわからない。障害者がどんどん外に出るようになって、不具合の部分も見つかるようになりました。

 

 だから少しずつアップデートするしかない。社会Ver.2.0.xみたいに。

 

 

 まだの部分はね、少し我慢したり、少し助けたり、少し工夫しましょ。