備前岡山藩主・池田光政がた15歳の頃、京都所司代・板倉勝重に国の治め方についてたずねた。
板倉は、「四角い箱に味噌を入れて、丸い杓子(しゃくし)で掬うようにすればよい」と答えた。すると光政が「隅の行き届きにくいところはどのようにすればよいのでしょう」とたずねたので、板倉は光政に名君の素質を見出し、「大国は厳重なやり方だけでは治まりません。寛容の心をもたなければ人心を得ることは難しいでしょう。」と答えた。光政はその教えを常に心がけていたそうだ。
to be continued...✨
備前岡山藩主・池田光政がた15歳の頃、京都所司代・板倉勝重に国の治め方についてたずねた。
板倉は、「四角い箱に味噌を入れて、丸い杓子(しゃくし)で掬うようにすればよい」と答えた。すると光政が「隅の行き届きにくいところはどのようにすればよいのでしょう」とたずねたので、板倉は光政に名君の素質を見出し、「大国は厳重なやり方だけでは治まりません。寛容の心をもたなければ人心を得ることは難しいでしょう。」と答えた。光政はその教えを常に心がけていたそうだ。
to be continued...✨