6.2 「プラウド・ボーイズ」:「君たちは連邦議事堂を襲撃したいと思っている」

2016年の創立以来、暴力は、「プラウド・ボーイズ」の使命にとって本来的なものであった。「我々は、お前を殺す。端的に言って、それが「プラウド・ボーイズ」だ」と、その創立者は述べた。

新入りメンバーは、自らが「西洋文化優位主義者(Western chauvinist)」であることを堂々と認め、西洋文化についての排他的で過度に勇ましい解釈を広めようとしている同グループの規則で定められた誓に従うことを宣言する。彼らに共通しているのは、彼らが彼らの敵とみなした者たちに対して蔑視と嫌悪感を抱いているということだ。同グループは、倫理的に多様性が多少あるものの、彼らの公私にわたるメッセージは、白人優越主義的で、外国人嫌いでありかつ反ユダヤ的な非難を伴っており、ますます悪化している。

「プラウド・ボーイズ」は、その創設以来、抗議運動に参加し、あるいは促進してきた。彼らは、公共の場での暴力的な争いを好む「ストリート・ブロウラー(street brawler)」と長い間知られてきている。しかし、2020年は、同グループにとっては重要な分岐点となる年であった。抗議運動が全米で広がるにつれて、「プラウド・ボーイズ」は、彼ら自身を法と秩序の代理人、すなわち脅威とみなされる勢力に対する自警団であると認定した。彼らは、それ以上に先導者の役割を担った。彼らは、自らを反対抗議者であると描き、彼らの組織的な敵を定めることが困難であったものの、「ブラック・ライブ・マターズ」と「アンテイファ」を彼らの運動のターゲットに特定してきた。

2020年9月29日の大統領選挙候補者間での討論会の間に、トランプ大統領は、「プラウド・ボーイズ」を含む極右過激派を非難するかどうかを尋ねられた。大統領は、同グループを明確に非難しなかった。逆に、彼らの役割を支持したような態度であった。「引っ込んで、待機していてくれ(stand back and stand by)」と、ランプ大統領は「プラウド・ボーイズ」に告げ、その後、「しかし、『アンテイファ』と左翼に関して誰かが何をしなければならないかを告げるだろう」と加えた。大統領の言葉は、同グループに衝撃を与え、彼らの新規メンバー補充と活動に新たな命を吹き込んだ。

同グループと共にかなりの時間を費やした映画製作者で、特別委員会で証言を行ったニック・クエステッドによれば、「プラウド・ボーイズ」は、トランプ大統領が彼らの「救い主」であることを発見したとのことであった。

メンバー歴の長い「プラウド・ボーイズ」幹部であるジョセフ・ビッグスは、トランプ大統領の討論会での発言を過激派のソーシャル・メディアのプラットフォームの「パーラー」で直ちに喧伝した。1月6日に関連して扇動共謀罪で有罪を認めている「プラウド・ボーイズ」の指導部層の一人であったジェレミー・バーティーノによれば、「プラウド・ボーイズ」の規模は、トランプ大統領が同グループを明らかに支持したことに反応して3倍増となった。同様に、エンリケ・タリオともう一人の「プラウド・ボーイズ」のメンバーであるジョージ・メザは、大統領のコメントが同グループとって極めて重要であり、同グループが活性化する契機であったと特別委員会に証言した。

同グループは、まさにその日の夜に、「引っ込んで、待機していてくれ(stand back and stand by)」のスローガンをキャッチコピーにした彼らの新しい商品の販売を開始した。

大統領選挙の票集計が行われるにしたがって、「プラウド・ボーイズ」は、トランプ大統領が敗北することになる見通しに動揺した。2020年11月5日、ビッグスは、「彼らが、この選挙を盗むなら、戦争となる。」と、ソーシャル・メディアに投稿した。 ジョー・バイデン前副大統領の勝利が明らかになるにしたがって、「プラウド・ボーイズ」の指導者たちは、彼らのいらだちを政府に向けた。

タリオやその他の幹部と一緒の「プラウド・ボーイズ」のライブストリームのショーで話をしたビッグスは、「政府職員は邪悪な人間の屑であり、彼らは全員売国奴としての死に値する」と、警告した。連邦議事堂襲撃を主導することを支援したと疑われているもう一人の「プラウド・ボーイズ」の指導者のイーサン・ノーディーンは、これに呼応した。白人至上主義者ウイリアム・パームの小説「The Turner Diaries」における「売国奴人種」の大量リンチの日である日に言及して、「ああそうだ、『ロープの日(Day of the Rope)』だ。」(訳注:「ロープの日」とは、ネオナチ主義者によって書かれた小説で描かれた日であり、現実の世界で同様のシナリオを呼び掛けるか、約束するために使われるスローガン。)

1月6日以前のワシントンでの「プラウド・ボーイズ」

選挙日から数日以内に、全米で「盗みを止めろ」の抗議集会が組織された。「プラウド・ボーイズ」は、2020年11月7日のハリスバーグにあるペンシルバニア州議会議事堂の外側での抗議集会を始めとする、それらのいくつかに他の右翼過激派グループの共に参加した。ワシントンDC における2020年11月14日と2020年12月12日の2件のイベントは、同グループの展開にとって特に重要であったことが判明した。

これら2日の日中に行われたイベントは、暴力や大きな混乱なしに終わったが、日が暮れるにしたがって、「プラウド・ボーイズ」を主とした極右過激派グループと反対抗議者との間の衝突を原因とした暴力的紛争が勃発した。極右過激派の中では、「プラウド・ボーイズ」が11月と12月の双方で最大の動員数を誇り、11月14日の集会での「プラウド・ボーイズ」の数は約200名から300名であり、12月ではそれと同様あるいはそれ以上の数であった。第8章で論じるように、彼らは、1月6日の連邦議事堂襲撃用と同じ部隊構成を修得したのだった。

11月14日の集会は、タリオにとって集会の指導者達や極右の著名人たちとの交流の機会を提供した。実際に、タリオのワシントンDCまでのプライベート・ジェット機による移動は、パトリック・バイルンによって支払われたようである。パトリック・バイルンは、トランプ大統領が大統領であった最後の数週間に彼のアドバイスを聞き入れており、12月18日の会合で彼は、大統領に投票機の押収を奨励していた。タリオの証言とその日の写真は、彼がその日の晩に「盗みを止めろ」運動の主催者であるアレキサンダーと会い、彼ら二人がお互いに祝杯を挙げたことを示している。タリオは、その日のイベントをトランプ支持者の「歴史的な」集会として描いており、アレキサンダー、ジョーンズ、そしてジョーンズの「インフォワーズ」の共同ホストのオーエン・シュロイヤーと共通の地盤を共有する機会として祝福した。シュロイヤーは、その後、1月6日の議事堂襲撃中に犯した犯罪で告発されることになる。

1か月後、「プラウド・ボーイズ」は、米国の首都に戻った。12月11日の夕刻、ロジャー・ストーンとシュロイヤーと共にタリオとノーディーンによる即興の拡声器による演説を聞くために、ワシントンDCの市内に「プラウド・ボーイズ」とその友人たちが集まった。ストーンは、群衆に「最後まで戦うこと」を要請した。

その翌日、「プラウド・ボーイズ」が大挙して通りを行進している間、タリオは、彼がホワイトハウスで持った会合についてソーシャル・メディアの投稿でもったいぶった話をした。
単なるホワイトハウスの一般ツアーであったそのホワイトハウス訪問は、「Latinos for Trump(トランプ支持の中南米人たち)」のリーダーであった友人のビアンカ・グラシアが仲介したものだった。集会が終了した次ぐ日、「プラウド・ボーイズ」は、再び街頭に出た。その晩、2件の重要なイベントがあった。

最初に、「プラウド・ボーイズ」のメンバーは、ワシントンDCの市内にある歴史的な黒人教会から「ブラック・ライブ・マターズ」(訳注:アフリカ系アメリカ人のコミュニティに端を発した、黒人に対する暴力や構造的な人種差別の撤廃を訴える、国際的な積極行動主義の運動の総称。Wikipediaによる。)の垂れ幕を引きはがした。彼らは、それを燃やしている彼ら自身を自撮りした。タリオは、最終的に器物損壊で起訴された。タリオは、2021年1月4日に逮捕され、またワシントンDCに入ることを禁止され、議事堂で同グループに参加することができなかった。しかしながら、第8章で説明されているように、タリオが逮捕されたことは、タリオが1月6日について「プラウド・ボーイズ」のメンバーと共謀することを防止することにはならなかった。垂れ幕が燃えた数分後、黒い服を着た一人の男性が、「プラウド・ボーイズ」の群れの中に歩いて入った。彼らは、その男が「アンテイファ」(訳注:アンティファとは、反ファシスト(アンチ・ファシスト)を意味するドイツ語や英語の短縮形で、ファシズムや人種差別などに反対する極左の運動家や組織の総称である。暴力や破壊行為も辞さないと言われている。Wikipediaによる。)の関係者であると想定し、彼をつつき、いやがらせを始めた。そして、彼はそれに反応してナイフを取り出した。その後の乱闘において、タリオの側近のバーティーノを含む「プラウド・ボーイズ」の4名が刺し傷を負った。バーティーノの傷は深刻であり、生命を脅かすものであったことから、彼は1月6日にそのグループに加わることができなかった。

「冬宮殿の襲撃」

「プラウド・ボーイズ」は、トランプ大統領の12月19日のツイートを受けて、彼らの作戦の方向を変更し、1月6日に焦点を絞った。バーティーノが刺されたことに刺激されたことが一部の原因となって、「プラウド・ボーイズ」は、「自衛省(Ministry of Self Defense=MOSD)」のような用語を用いたグループ・チャットに彼らの新しい階層型組織を集中させた。

しかしながら、「自衛」という用語は誤解を招くものであった。エンリケ・タリオやその他の者たちは、すぐに攻勢に出た。そして、「自衛省」は、2021年1月6日襲撃に関する彼らの組織的足場として役立った。

2020年12月20日、タリオは、「全米集会企画委員会」を設立し、彼らの活動を組織するための暗号化された「自衛省」チャットを設定した。タリオは、1月6日の暴動において主導的な役割を果たし数名を含む「プラウド・ボーイズ」のリーダー達を追加した。

その後の数週間において、「プラウド・ボーイズ」は装備についての推奨をやり取りし、法執行機関の位置に関するマークを付した地図を共有し、指揮命令系統を確立した。「地上軍(Boots on the Ground)」と名付けた別の暗号化されたチャットが、1月6日にワシントンDCに展開する予定の歩兵のために設定された。

「プラウド・ボーイズ」の1月6日に関する計画は、同グループの進化において重要な一歩であった。それ以前は、彼らは漠然とした組織であった。「自衛省」が、明確な指揮を伴った「上意下達の仕組み」を強制するために設立された。タリオは、その隊員たちに彼らが「適応する必要があり、それができない者は去ること」と告げて、指揮系統を強調した。

「自衛省」チャットメンバーたちが1月6日に選挙人票の集計の妨害に大きな関心を持っていたことは、最初から明白であった。2020年12月20日、ある「自衛省」リーダーが、「その内部で行われることを考慮した場合、抗議運動のほとんどは議事堂の建物で行われるだろう」と述べた。2020年12月29日、「自衛省」に対するグループメッセージの中で、あるメンバーが、「私は、イベントのほとんどは「フリーダム・プラザ」が中心になるだろう」と書いた。タリオは、「違う。彼らは連邦議事堂を中心に集まる」と書いた。

2020年12月30日、タリオは、「1776年の復活(1776 Returns)」(訳注:1776年はアメリカ独立革命の年)というタイトルの興味深い文書を受け取った。その文書は、南フロリダの暗号通貨投資家から彼に送付されたことが明らかであった。同文書の著者らは、連邦議事堂周辺のいくつかの連邦政府建物を占拠する目標にして、「侵入、実行、破壊、占拠そして座り込み」という5つの部分に彼らの計画を分けた。

その計画は、具体的に下院ビルと上院ビルを挙げ、それらを占拠する手順を定めていた。その著者たちは、「大衆がビルを急襲し」、市内中の火災報知機を鳴らすことでその地域の法執行機関の注意をそらし、特定の上院議員のオフィスをターゲットにし、新型コロナ用マスクで参加者の身元を隠すことを求めた。

同文書で言及されていたある提案は、「冬宮殿を襲撃する」というタイトルであった。これは、ウラジミール・レーニンが彼の部隊にペテログラードにあったロマノフ家の邸宅の奪取を命じた1917年ボルシェビキ革命の劇的な再現への言及である。「冬宮殿」には、「ボルシェビキ」革命に対して抵抗したロシアの臨時政府が置かれた。「プラウド・ボーイズ」は、1月6日の彼らの行動を「アメリカ革命」の一部として構成していた。しかしながら、「1776年の復活」文書は、少なくとも彼らのインスピレーションが一部70年以上にわたる全体主義的支配をもたらした「共産主義革命」から生まれたものであったことを示していた。どんな歴史的事件もこれ以上、非アメリカ的な出来事であったことはなかった。

「プラウド・ボーイズ」は、「1776年の復活」を全面的に採用してはいなかった。「プラウド・ボーイズ」の数名のメンバーは、それが公表されるまでその文書の存在を知らなかったと証言した。しかしながら、同文書は、「プラウド・ボーイズ」の手元にあった間に大幅に編集されたことが明らかなようであった。その文書をタリオに送った人物である、彼の元ガールフレンドのエリカ・ゲンマ・フロレスは、「革命は何よりも重要です」とコメントした。これに対して、タリオは、「それは、すべての覚醒の瞬間を構成しているものだ。・・・・私はゲームで遊んではいない。」と、応じた。

1月3日、タリオは、「テレグラム」に人目に立つ疑問を投稿した。「我々が侵攻した場合は何が起こるか?」これに対する最初の反応は、「1月6日はアメリカのD-デイである」であった。(訳注: D-デイ(D-Day)とは、戦略上重要な攻撃もしくは作戦開始日時を表す際にしばしば用いられたアメリカの軍事用語。Wikipediaより。)「プラウド・ボーイズ」の指導部グループのメッセージの上で内密に、計画は続いた。「自衛省」の一人の指導者であるジョン・スチュアートは、「連邦議事堂ビルの正面入り口」周囲を中心にしたプランを提案した。
1月3日午後7時10分、スチュアートは、「自衛省」の指導者層に次のように書いている。

「したがって、我々は、これらのステージの残りとその他を無視することができる。そして連邦議事堂ビルの正面入り口周辺を中心とした作戦を計画することができる。「ペンシルバニア・・アベニュー」ではなくて「ナショナル・モール(訳注:ワシントンの中心に位置する国立公園であり、ここで1月20日の大統領就任式が開催される。Wikipediaより。)」を使うことを強く勧める。「ナショナル・モール」は広いオープンスペースであり、すべての方角からやってくるものがすべて見える。」

次ぐ日の1月4日の朝、タリオは、「自衛省」指導部の同じグループにボイスメールを送り、告げた。「今までこのボイスメールを聞いてはいなかった。君たちは、連邦議事堂を襲撃したいと思っている。」

タリオの「プラウド・ボーイズ」の指導部層の仲間の一人であるチャールズ・ドノヒュー(公式手続きの妨害に対する共謀と数名の当局者に対する攻撃、抵抗そして妨害に対する有罪を認めている。)は、後に、1月4日までに、彼が「自衛省」指導部層のメンバーたちが連邦議事堂襲撃の可能性について議論していたことを知っていた」と当局に語った。ドノヒューは、「連邦議事堂の襲撃は大統領権限の移行を政府が実現することを阻止するという同グループの目標を実現することになると信じており、連邦議事堂襲撃は違法であると理解していた。」翌日1月5日の夕方には、タリオは、翌日に関する「戦術計画」を「プラウド・ボーイズ」のその他の幹部と議論していた。 彼らの「目的」は、「選挙人団票の認証を妨害し、邪魔しあるいは干渉することであった。さらに、「プラウド・ボーイズ」が「連邦議会」に対して我々国民がこれを仕切っていることを示すためにこれを実力と暴力で実現することになる」と、ドノヒューは理解していた。

1月6日、チャールズ・ドノヒューは、「プラウド・ボーイズ」指導部の彼の二人の仲間であるイーサン・ノーディーンとジョー・ビッグスが連邦議事堂を襲撃する機会を探っていたと理解した。

12月12日の夜に刺された「プラウド・ボーイズ」の指導者であるジェレミー・バーティーノは、その後、当局に彼の過激派の仲間が平和な政権の移行を阻止することを企てたと告げた。 2022年10月に、バーティーノは、「扇動共謀罪」その他の犯罪に有罪であることを認めた。バーティーノは、「プラウド・ボーイズ」が「選挙人団票の認証を阻止するために」20201年1月6日にワシントンDCまで進んだことを認めた。彼らは、「その目標を実現するために警察その他に対して、実力を行使することを含み、必要なことを行うつもりがあった。」

バーティーノは、特別委員会での証言で、1月6日の夕刻にタリオと交換した携帯電話でのメールを思い出した。「私は、『なんてこった』というようなこと、あるいはそれに似たようなことを彼に告げた。そして、『私はこれが起こっていることを信じられない。1776年だ』」と述べた」ことを、バーティーノは思い起した。

タリオは、バーティーノに応えた。「冬宮殿だ。」

(「6.3 「オース・キーパーズ」:「彼が我々を議事堂に招集し、そこをワイルドにするように望んだ!!!」に続く。」)