前2つの指摘は賛否両論あると思います。
私は言葉の選択が、不適切あれば指摘すると思います。ここは置いておくとして、
えー、賛否両論?
1番組の短い時間ですら感じたのは、質問の本筋の回答は、せず「言葉の選択を間違っている!不適切である!不愉快だ!」って感じなことばかりを攻め立てて、相手に「ごめんなさい」と謝罪を促したい、それだけが、目的になってることに賛成なんてあるのか?
不適切だと一言、指摘して、その上で質問者の質問の意図を汲み取り回答するから会話が、足りたつのでは?
それを一方的に、キレまくり「間違ってる!不適切だ!不愉快だ!」しか言わないなら、何の話しも出来ない。
これは、質問の本質を理解出来ないから答えられないのか?
答えると自分の不利になるから、はぐらかしているのか?
電波の無駄遣い・見てる方が、不愉快・話してることが、全くつまらない。
岸田と一緒「よくここの位置まで来たな」でしかない、中身無さすぎ。
それを「ここは、置いておくとして」と切り返すのは、同類論法でしかないと思う。
市長時代のこと(居眠りしてる市議へ、ばっさり指摘してるとか)は、完全な切り取りで「良善な市長vs古い体質の市議」に見せられていただけだな。
市長の責任も「任期も途中で辞めて!」とか批判されてるけど、寧ろ、辞めてくれて良かったのでは?
どんな奴なのか、全国区で自ら広めてる。
ガーシーと同類、ネットでバズって注目されたい。
民主主義における政治の責任が帰するのは国民である。
これは原則です。
故に彼の主張は極々当たり前です。
そういうルールで我々は民主主義を運営しています。
原則的なルールから成り立っているからこそ、それを、
主張は極々当たり前
何故?改めて、主張しなきゃいけないのか?
極々当たり前のことが、何故、問われなきゃいけないのか?
擁護するのは、自由だけど、火のない所に煙は立たない。
それに「選んだ者の責任」と候補者が、言うってことは、責任転嫁としか見えない。
選んだのは、投票した有権者。
だけど、それ以前に立候補したのは、候補者本人の意志なのだから「選ばれたとて、責任はない!責任が、あるのは有権者だ」とか言う位なら、最初から立候補するな。
もちろん違法行為を行えば議員本人が罰せされますが、その体たらくのツケが、選挙でそのクソ政治家を選んだ投票者がいけないのです。
選ばれた責任を持たないから、クソ政治家が、生まれるんでしょう。
選ばれた者には、選ばれた責任が、ある。
第三者が「選んだ奴が、悪いんだ」は、分かる。
が、立候補しといて、その身で「選んだ奴等の責任」って・・・それを無責任と言うのでしょう。
市長選に出て、市長に選ばれたのに任期を全うせず「市議会じゃ日本は、変えられない」みたいに、それらしい正義感炸裂させておいて、蓋を開けたら「選ぶ者に責任がある」 これって、絶好な免罪符でしかない。
政策を打ち出して成し得なくても「選んだ有権者の責任」と言って、いくらでも逃げられる。
極端な話し、やってるふりでも、済まされる。
市議会でも、厄介払いが、出来て良かったし、市民も、良かったのでは?
全国区で「やべー奴」を知らしめて、この先、政界は、閉ざされたでしょう。
NPO経営するか?宗教団体まがいな組織を立ち上げて「あの都知事選で接戦だった!」を売りにして、全国のお年寄りや騙されやすい人達から、大金を巻き上げて「詐欺ではない!貰った物だし、くれた者の責任!」とか言って裁判沙汰になって、法廷でも、あの論法して、裁判官も困らせるor裁判官に論破されてしまえ!
二度公に出るな。
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