京極夏彦『絡新婦の理』レビュー | 哲学のプロムナード

哲学のプロムナード

読書・音楽・映画のレビュー・感想文、創作小説、日記などが話題の中心です。投稿サイト「小説家になろう」やTwitterでも活動中。

当然、僕の動きも読み込まれているのだろうな―二つの事件は京極堂をしてかく言わしめた。房総の富豪、織作家創設の女学校に拠る美貌の堕天使と、血塗られた鑿をふるう目潰し魔。連続殺人は八方に張り巡らされた蜘蛛の巣となって刑事・木場らを眩惑し、搦め捕る。中心に陣取るのは誰か?シリーズ第五弾。

・レビュー



 これは、少なくとも今作までの百鬼夜行シリーズの中では文句なしの最高傑作だと思う。更に、個人的には今まで知った創作物で最も面白いと感じた。姑獲鳥の夏、魍魎の匣、狂骨の夢、鉄鼠の檻を読んでいることが前提であるように思うのでここまでのシリーズがあってこその傑作かもしれない。とはいえこれを単体で読んだとしても☆を5つ付けただろうとは思う。そういう意味では『絡新婦の理』の評価は☆6といっても良さそうだ。
 まず、素晴らしい点は「伏線と伏線回収」「テーマと物語の親和性」「構成美」。正直なところ、京極夏彦の百鬼夜行シリーズに関してはどの作品もこの3点は素晴らしいのだけれど、今回は過去4作を凌駕している。基本的に複数の事件が重なって生じ、真実が見えぬまま混乱が最大になった時点で、京極堂――中禅寺秋彦が登場し謎を明らかにし不思議を分解することで全て綺麗に収まる。これがこのシリーズの流れなのだけれど、今回はそれが明瞭で著しい。だがそれだけによりシンプルであり読みやすい。だからミステリの色が非常に濃いが、かといっていつもの宗教、哲学、心理学、民俗学などの知識面が霞むわけではない。
 面白いのは、いままでは「偶然」が複数の事件を混同したりかけ離したりして全容が判らなくなるというパターンなのに対し、人間による恣意的な操作がそれを起こしている、つまり黒幕あるいは犯人がいて、しかもそのような存在が小説の1行目で現れる。「あなたが――蜘蛛だったのですね」と京極堂が言い暫し「蜘蛛」と小難しい話をするところから今作は始まり、時は遡り、全ての事件が終わり最後にこの冒頭に物語は戻ってくる。最初は全く意味が解らない冒頭が最後に読み返すとピタリと用意された箱に収まる感じがする。
 今回の敵は冒頭からずっと「蜘蛛」であり、全てを操作しようとする。全く関連性のないような事件が「蜘蛛」のワードで繋がることが示唆される。構成も仕組みも舞台も何もかも蜘蛛。約1400ページと、冒頭の再読が終わるまで、読者はまさに蜘蛛の巣にかかったようにもがくことになる。最強の敵である蜘蛛が一体誰なのか、ミステリとしても非常に完成度が高い。



文庫版 絡新婦の理 (講談社文庫)/講談社
¥1,481
Amazon.co.jp
分冊文庫版 絡新婦の理(一) (講談社文庫)/講談社
¥679
Amazon.co.jp