世界には自分しかいない? | 哲学のプロムナード

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世界には自分しかいないって思ったことありませんか?


いやw 僕は正常ですw ご心配なくww


何の話かというと、哲学のお話です。


哲学というと、カントがどうのとかアリストテレスがなんとかだとか、プラトンがなんたらとか……


そういうことをイメージしてしまう人が多いんですよね。


でも、本質的な哲学ってそうじゃないんです。


カントやプラトンやニーチェがいかに優れた哲学者であろうと、あなたの哲学には何にも関係しません。


哲学とは、世界や人間の真理を追い求める学問ですから、知識は関係ないんです。


つまり、高校倫理の教科書に書いてあることは哲学じゃなくて哲学史ですし、


ニーチェの言葉やカントの思想をいかに理解しようとも、それは哲学じゃなく哲学知識なわけです。


本当の哲学はもっと単純であり、同時に深すぎる考え方のことです。


答が出ないのも哲学、目的がないのも哲学、お金にならないのも哲学……


だから、現実的な人には向いてない学問かもしれませんね。


例えば、


神がいるか?


この問いも哲学です。


一度は考えたことがあるでしょう。


でも、これって、誰か確かめた人いますか?


つまり、これは答の出ない問です。


なかには、「世界から戦争がなくならないんだから神はいない」とか言い出す人もいそうですが、これも論理的じゃない考え方ですね。


なぜなら、神が世界平和に貢献するなんて人間が考えた理想だからです。


死後の世界があるか、も哲学的な問いです。


行って帰ってきた人がいませんからあるかないか分からないですからね。


閑話休題。


世界に自分しかいないんじゃないか?


って話でしたね。


これって、みんなありえないっていうけれど、証明できます?


例えば、僕らが作りものじゃない証明なんてできないですよね。


もしかしたら、僕らはコンピュータの中にいるデータかもしれない。


目の前の人間が映像じゃないなんて言いきれない。


僕の前にはスクリーンがあって、僕が納得いくようなリアルな映像が流れていれば、僕はこれが現実だと納得するでしょう。


僕が何かを触ろうとして、その瞬間に脳の感触を司る部位を刺激すれば、僕は何もしていなくても何かを触った感触だけ体感して何の疑いもなく生きていけるでしょう。


ようするに、僕らが感じるすべては、僕らが真実であると信じているだけで本当のところどうなっているかなんて解らない。


僕らの歩いている地面は、きっと脆いものなんだと思います。


僕らは、一度も崩れたことのない橋を渡っているに過ぎない、そんなことを思ったりする哲学的な今日この頃ですw



今日の一曲♪


オルゴール/椎名林檎



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