なぜ学校で数学・理科を勉強するのか | あるプログラマーの頭の中

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たまに日々思ったことを書いたりもします。

「なぜ学校で数学・理科を勉強するのか」





中学校で「5教科」といえば、国語・数学・理科・社会・英語ですね。



国語はもちろん、日本語のことですが、これができないと日本で生活するのは大変です。



日本語を学ぶのは非常に大切で、僕が最も重要視している科目でもあります。



そして、社会。 これは歴史や地理や現代社会について学ぶものです。



現代社会がどのような状況にあり、自分がその中のどのような立場に置かれているかを理解する上でとても重要です。



自分の立ち位置を理解するからこそ、その先に何をしたいか、何をすべきかを考えられるのだと思います。




英語はもう小学校での教育も義務化されていますが、



世界公用語のひとつであり、日本のとても仲の良い国が使っている言葉でもあるので、



英語を学ぶのは、当然と言えば当然です。





さてここで、数学と理科です。



現代社会では、ほとんどの人が高校に進学し、高校でも数学・理科を学びます。



僕はもともと、数学も理科も好きだったので、学ぶのが苦にはなりませんでしたが、



それでも中学校の頃から「なんのために?」という思いはありました。







よく言われる学ぶ理由は、「論理・数理的思考力を身に付けるため」ということです。



この意見には僕も賛成ですが、学ぶ理由の全てではないと思っています。



それだけが理由なのであれば、高校に入ってまで勉強する必要はありません。



高校でやるような小難しい公式や塩基配列を憶え込むよりも、



論理パズルや数理パズルを解きまくるほうが思考力だけは身につくと思います。



高校に入ってからも勉強する理由は別にあります。





さて、直接本題に入る前にちょっと考えます。



いま皆さんはこの記事をどのような形でご覧になっているでしょうか。



多くの場合は、パソコンかスマートフォンだと思います。



さてではそのような情報媒体は、何で出来ているのでしょうか。



金属とプラスチックと半導体、という話ではありませんよ。



簡単に言うと「数学と物理学で出来ている」ということになります。



その動作の全てを数学と物理に基づく電子制御に頼っています。



素材は化学の知識をフル活用して作られています。



パソコンやスマホだけではありません。



テレビも自動車もエアコンも、全て数学や科学の計算に基づいて動作しています。



そして生活用品の多くの物が工場で作られ、工場にある製造機械もまた、数学と科学によって動きます。



現代の社会では数学と科学がなければ成り立っていないものなのです。

(めんどくさいので、これ以降、「科学」=「科学+数学」の意味で使います)



日本の主力産業は情報通信業や製造業であるとも言われています。



ひとつ注意しておきますが、理工系の人間はよく「科学こそ至高」というようなことを言いますが、



僕はそういう考え方はしていません。



科学を使ってどんなにすごいものを作ろうと、それを使いこなす人がいなければ意味が無いからです。



商売が上手かったり接客が上手かったりするのも重要な能力で、



残念なことに僕にはその適正は無いわけですが・・・。



喋るのが上手だったりしてそれが強みになる人の中には、実際に科学と全く無縁の仕事をして、



全く無縁なままの人生を送る人もいて、その人たちも社会にとって重要な役割を担っています。



「では、そういう人は科学を勉強する必要がないのではないか」と考えるのが普通だと思います。



しかし正確には「結果的に科学を勉強する必要がなかった」と言うべきです。



この点が非常に重要です。



つまり「勉強する必要がない」ことと、「勉強する必要がなかった」ことの違いです。





ここで考えたいのが、



高校のときに自分の人生について完全な見通しがあるという人がどれくらいいるのかということです。


あまりいないのではないか、と僕は思っています。





卑近な例ですが、とても自動車が好きな友人がいます。



その友人は科学が基本的に苦手なのですが、



大学選びのときに自動車を学ぶのには科学の知識が必要だということを知り、



高校の後半から数学・物理を勉強して、理系の学科に入学したそうです。



その友人が中学・高校で科学を教えられていなかったらどうなっていたか、ということですが、



科学への非凡な適正と相当以上の勉強量が無ければ、理系学科の受験は諦めることになっていたでしょう。



その友人は大学受験のことを考えるまで、ろくに科学を勉強していなかったそうです。



その友人は結果的に「科学の勉強が必要だった」ということになりますが、



中学や高校の段階で、科学の勉強が必要かどうかをどうやったら判断できるのでしょうか。



中学・高校で科学を勉強していなくて、その友人のように急にその勉強が必要になったとしたら、



それから勉強を頑張っても、ほとんどの場合、



現代社会の技術に求められるだけの知識を身に付けるのは困難でしょう。



科学に限らず、基礎学力をつけるのはとても時間が掛かることです。



必要だと気付いてから勉強しても遅いのです。



将来がどうなるか分からないから、とりあえず勉強しておかなければならないのです。



非常に消極的ですが、理系に進む可能性が1%でもあるのであれば、



その可能性を潰さないというのが、僕が考える科学を勉強する理由です。



国語を除くすべての科目は、ある個人にとっては全く意味のない知識となる可能性を秘めていますが、



それでも勉強するのは、その方面に進む可能性が、多くはなくとも必ず残っているからです。



日本語ですら、ある一定以上の能力は求められない場合が多いのです。(漢検1級とかね)




ここまで、個人が科学を勉強する理由を書いてきましたが、




科学を勉強させるということは日本という国として見ても、産業を守るためにも必要なことです。



先ほども述べたように、製造業や通信業など、理系の知識を使う産業が日本を支えています。



誰かがその仕事をやっているし、誰かがやらなければならないのです。



これから大人になる人の中の誰かも、その産業を仕事としていくことになります。



「誰か」というのがとても重要です。



国としては「誰か」にその産業の担い手となってほしいわけですが、



「誰か」が「誰であるか」を特定することは極めて難しいことです。



科学を学ばせないと、その知識に触れる機会もなくなってしまうので、



理系に進む人もほとんどいなくなってしまいます。



自分から勉強して知識を習得しようとする人はごく僅かでしょう。



つまり、工業系産業を支える「誰か」を見つけたいから、学校で全員に科学を勉強させるのです。



とりあえず全員に勉強させておけば、僕のように興味をもって理系に進む人もいるし、



先ほどの友人のように、その知識が必要だと後から気付く人もいます。





小売産業やサービス産業は消費者からとても目につきやすい産業なので、



言い方は悪いですが、放っておいてもそこ働きたい人は出てきます。



しかし、「ものづくり」と呼ばれれる産業は普段の生活では目に見えないものが多いので、



その方面を志す人も少なくなりがちです。



それではとても困るのです。



国が困るし、その国で生活する人も困るのです。



だから、そういう産業に進むきっかけとして科学を勉強するという意味も、とても強いと思います。







まとめると、数学や理科を勉強する理由は、



・理系に進むかもしれない人の科学を勉強する機会を消さない


・学生の理系に進む可能性を少しでも残して理系産業を守る



というのが僕の考えです。




いちおう、もう一度書きますが、



一般的な言われる「論理・数理的思考力を養う」というのも重要な理由の一つですよ。






以上です。



久しぶりにこの手の記事が書けて満足です。



また何か思いついたら書きます。



では。