小生もノコノコと集会に出かけて訳だが、この集会とデモは、
もっと深い意味があると小生は考える。
主催者側の訴えるテーマも一言では言えないもどかしさを小生は感じざるをえない。
今回のブラジル人の派遣切りをそれだけで考えると世界経済が悪化し、
短期契約労働者を企業が一斉に解雇して企業は生き延びに賭けた。
ということで、基本的には、現行の資本制生産様式が、日本式の終身雇用の形態から、製造業の国際競争力を高めるためにアウト・ソーシングをもってコスト管理をする時代に取って変わり、それが定着する中で今回の金融危機と不況が引き金となったと、言うことだろう。
当然、国家、経済界、企業はこの危機を乗り越えるためにすばやい対応が
必要であることは確かである。
ブラジル人労働者の多くは、ブラジルに送金している者も多いし、また、
この十年の間に定住化が進み永住査証をもって日本で生活をするものも
増えている。また、多くは自動車産業工場ラインで従事する者が圧倒的に多い事も特色のひとつである。したがって今回の派遣切りでは大多数のブラジル人にとって津波にもたとえられる状況である。
この点において、日本の労働運動の現状、組合との関係がもっと親密でなくてはいけないのだが、この点、今回のデモに関しては直接雇用、正規組合員と安価な外国人労働者との溝があることも確かであり、労働者の大きな連帯の組織化のエネルギーなど春闘の行事化などを見ても過去の産物でしかない。
もっとも、今回のデモに対して日本の労働組合や派遣切り反対の日本組織
に対して、どれだけのオルグができたのか、主催者が外国人であるだけに
疑問の点もある。
また、実際に解雇されたブラジル人の派遣労働者がどれだけ動員できたかも課題であったろう。実際に東京に来る金さえ無いだろうし在日ブラジル人の圧倒的多数は群馬、浜松、静岡、名古屋など地方に集中している。
今回のデモの主役は、地方で解雇されている同胞の支援活動として位置づけだれるだろう。「派遣首切りの中には、多くのブラジル人もおります。」と言うアピールが主題となった。この意味でブラジルの国旗が多く
掲げられたと考える。
日本のメディアにとっては、まさに望むべき映像でありニュースとなった
訳だが、この辺から問題は複雑になる。
ブラジル国旗を掲げてデモする事の意味を日本のメディアは考えているのか?
また、
日本でブラジルの国旗を掲げて日本政府に対して要求をする事がどのような事かを考えているのか?
もし、アメリカであるいはブラジルで、所謂、他民族国家において出身国
の同じ者同士集まり、その出身国を背景に抗議行動をする事が何を意味するのか・・・・。
この点において、日本のメディアでは、なんのコメントも無い。
移民100周年を、交流年と置き換えた事を報道する所は皆無であった。
明治維新を境に世界に近代国家として登場した日本は、列強の1国として
世界の植民地支配のカタボを担いだとして、いまだに史実追求?なるもの
を突きつけられているわけだが、この論理と同じ構造の中で移民政策の
責任を肩透かしされるような「交流年」を昨年お祭り騒ぎの中で私達は終了した。
移民とは何か・・。
民族、人種、国家、国籍、そして言語を超えて人類の近代史の中で水が
高みから低きに流れるように、あるものは職と土地を求め、あるものは
夢と冒険を求めた。国家や個人の責任とはいちがいに、規定できない世界経済の波の中で、形こそ違え人は世界移動してきた。
デモの主催者の本音は、このように言いたいだろう。
「日本が大変なときに、国は、移民として多くの日本人を捨てた。
そして、人が足りなくなって、ただの外国人から日系人として
日本に呼び寄せた。そして、また、いらなくなると外国人として
追っ払うのか!」
日本的に言えば、道理である。
日本人も日本のメディアも道理に弱い。
しかし、この道理に小生の心の中では、
一抹の不快感があることも事実である。
この道理を日本国民や日本のメディアも真剣に考えては
いない、なぜなら、日本という国家が国益として行政する確固たる
指針をもてないぐらい崩壊しているからである。
ブラジル人が国旗を持って行進するように、日本人は今、国旗をもって
行進できるか?
問題は日本にある。
日本の国家にある。
日本人のブラジル移民は、ブラジルの建国に貢献し日系ブラジル人となった。
なぜ、日系ブラジル人は、日本の建国に貢献し、伯系日本人を考えないのか?(日本が望んではいないのだろう)
積極的とは言わないが、天皇陛下をいただいた民族国家である日本が、
国家の有体を含め、血族と国籍の不一致を移民政策でしてしまった。
日本人の血はこの100年間で世界に雄飛したのだから。
世界はネットワークで結ばれ、このような世界で、日本国がどのようにあるべきかという真摯な考えがいまだに語られない。あるのは旧態前とした右派の国粋主義や、それと対置した、これまた古いなんでも有りの似非自由主義である。
日本の血族は増え、金髪碧眼や黒人の日本国籍者は増えるのは人類史的に
明らかである。
小生は、昨年の移民100周年で、日本とアメリカで血族、親と子が
銃を向け合うような事の無いように・・・。
「日本とブラジルは未来永劫・・戦争はしません!」と
両国政府に言ってほしかった。
そのための100周年ではなかったのか・・・?
日本国民も、また、在日の日系のブラジル人も、責任の所在をつつき合うことではなく、新たな世界と関係を作り合わなければならないと思います
なぜなら、サンパウロに住む小生の孫に、日本に銃をむけてもらいたく
ないからなのです。
もっと深い意味があると小生は考える。
主催者側の訴えるテーマも一言では言えないもどかしさを小生は感じざるをえない。
今回のブラジル人の派遣切りをそれだけで考えると世界経済が悪化し、
短期契約労働者を企業が一斉に解雇して企業は生き延びに賭けた。
ということで、基本的には、現行の資本制生産様式が、日本式の終身雇用の形態から、製造業の国際競争力を高めるためにアウト・ソーシングをもってコスト管理をする時代に取って変わり、それが定着する中で今回の金融危機と不況が引き金となったと、言うことだろう。
当然、国家、経済界、企業はこの危機を乗り越えるためにすばやい対応が
必要であることは確かである。
ブラジル人労働者の多くは、ブラジルに送金している者も多いし、また、
この十年の間に定住化が進み永住査証をもって日本で生活をするものも
増えている。また、多くは自動車産業工場ラインで従事する者が圧倒的に多い事も特色のひとつである。したがって今回の派遣切りでは大多数のブラジル人にとって津波にもたとえられる状況である。
この点において、日本の労働運動の現状、組合との関係がもっと親密でなくてはいけないのだが、この点、今回のデモに関しては直接雇用、正規組合員と安価な外国人労働者との溝があることも確かであり、労働者の大きな連帯の組織化のエネルギーなど春闘の行事化などを見ても過去の産物でしかない。
もっとも、今回のデモに対して日本の労働組合や派遣切り反対の日本組織
に対して、どれだけのオルグができたのか、主催者が外国人であるだけに
疑問の点もある。
また、実際に解雇されたブラジル人の派遣労働者がどれだけ動員できたかも課題であったろう。実際に東京に来る金さえ無いだろうし在日ブラジル人の圧倒的多数は群馬、浜松、静岡、名古屋など地方に集中している。
今回のデモの主役は、地方で解雇されている同胞の支援活動として位置づけだれるだろう。「派遣首切りの中には、多くのブラジル人もおります。」と言うアピールが主題となった。この意味でブラジルの国旗が多く
掲げられたと考える。
日本のメディアにとっては、まさに望むべき映像でありニュースとなった
訳だが、この辺から問題は複雑になる。
ブラジル国旗を掲げてデモする事の意味を日本のメディアは考えているのか?
また、
日本でブラジルの国旗を掲げて日本政府に対して要求をする事がどのような事かを考えているのか?
もし、アメリカであるいはブラジルで、所謂、他民族国家において出身国
の同じ者同士集まり、その出身国を背景に抗議行動をする事が何を意味するのか・・・・。
この点において、日本のメディアでは、なんのコメントも無い。
移民100周年を、交流年と置き換えた事を報道する所は皆無であった。
明治維新を境に世界に近代国家として登場した日本は、列強の1国として
世界の植民地支配のカタボを担いだとして、いまだに史実追求?なるもの
を突きつけられているわけだが、この論理と同じ構造の中で移民政策の
責任を肩透かしされるような「交流年」を昨年お祭り騒ぎの中で私達は終了した。
移民とは何か・・。
民族、人種、国家、国籍、そして言語を超えて人類の近代史の中で水が
高みから低きに流れるように、あるものは職と土地を求め、あるものは
夢と冒険を求めた。国家や個人の責任とはいちがいに、規定できない世界経済の波の中で、形こそ違え人は世界移動してきた。
デモの主催者の本音は、このように言いたいだろう。
「日本が大変なときに、国は、移民として多くの日本人を捨てた。
そして、人が足りなくなって、ただの外国人から日系人として
日本に呼び寄せた。そして、また、いらなくなると外国人として
追っ払うのか!」
日本的に言えば、道理である。
日本人も日本のメディアも道理に弱い。
しかし、この道理に小生の心の中では、
一抹の不快感があることも事実である。
この道理を日本国民や日本のメディアも真剣に考えては
いない、なぜなら、日本という国家が国益として行政する確固たる
指針をもてないぐらい崩壊しているからである。
ブラジル人が国旗を持って行進するように、日本人は今、国旗をもって
行進できるか?
問題は日本にある。
日本の国家にある。
日本人のブラジル移民は、ブラジルの建国に貢献し日系ブラジル人となった。
なぜ、日系ブラジル人は、日本の建国に貢献し、伯系日本人を考えないのか?(日本が望んではいないのだろう)
積極的とは言わないが、天皇陛下をいただいた民族国家である日本が、
国家の有体を含め、血族と国籍の不一致を移民政策でしてしまった。
日本人の血はこの100年間で世界に雄飛したのだから。
世界はネットワークで結ばれ、このような世界で、日本国がどのようにあるべきかという真摯な考えがいまだに語られない。あるのは旧態前とした右派の国粋主義や、それと対置した、これまた古いなんでも有りの似非自由主義である。
日本の血族は増え、金髪碧眼や黒人の日本国籍者は増えるのは人類史的に
明らかである。
小生は、昨年の移民100周年で、日本とアメリカで血族、親と子が
銃を向け合うような事の無いように・・・。
「日本とブラジルは未来永劫・・戦争はしません!」と
両国政府に言ってほしかった。
そのための100周年ではなかったのか・・・?
日本国民も、また、在日の日系のブラジル人も、責任の所在をつつき合うことではなく、新たな世界と関係を作り合わなければならないと思います
なぜなら、サンパウロに住む小生の孫に、日本に銃をむけてもらいたく
ないからなのです。
