★空襲で幼い命犠牲多数、初の年齢別調査で判明

太平洋戦争中の東京への空襲で、年齢が判明している犠牲者約1万7000人について精査した結果、2歳児の481人をはじめ、1~4歳の乳幼児が年齢別の死者数で上位を占めることが、「すみだ郷土文化資料館」(東京都墨田区)などの調査でわかった。

年齢別の犠牲者数の内訳が、東京の空襲に関して明らかになるのは初めて。自力で逃げることができない幼子たちが、なすすべもなく犠牲になった空襲の実態を物語る。

都などは1951~55年、遺族の申告などを基に約3万人分の犠牲者名簿を作成。その原資料が2001年に見つかり、同資料館など都内の4資料館の学芸員らが、年齢が判明している1万7294人分を精査した。

年齢別のデータで、最も犠牲者が多かったのは2歳の481人。次いで3歳447人、1、4歳が各440人で、1~4歳の乳幼児で全体の1割強を占めた

国民学校初等科(現・小学校)入学後の犠牲者は減り、特に10歳は145人、11歳は156人で、60歳未満の各年齢の中では0歳の142人に次いで少なかった。3~6年生は地方へ学童疎開しており、犠牲者が少なくなったとみられる。一方、6年生に相当する12歳は244人に増加1945年3月10日の東京大空襲では、卒業式のために都内に戻ってきた児童たちも犠牲になったとの従来の証言が裏付けられた

また14歳は401人で、1~4歳に次いで5番目に多く、16歳389人15歳383人。戦時下、国民学校を卒業した少年らが勤労動員で工場に勤めていたことが関係するとみられる。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150307-00050023-yom-soci




(`・ω・´) < 当時、日本の大人の男達は兵隊になって前線で戦っていました。

(`・ω・´) < 東京に残っていたのは非戦闘員の・・・

女、子供、老人

・・・だけでした。

m9(`・ω・´) < アメリカ軍は・・・

女、子供、老人

・・・に焼夷弾を落としたのです。









この「民間人大虐殺」の実施を命じたのがこの男・・・
  ↓
 カーチス・ルメイ少将(後に大将まで昇進)

カーチス・ルメイの指揮のもとアメリカ軍は、東京、大阪、名古屋などの大都市を皮切りに日本全国200もの中小都市に対して「無差別爆撃」を行いました。

日本全国で・・・

約100万人が死傷
約1000万人が被災
約2億坪が焦土と化し
223万戸の家が焼失

・・・しました。

(`・ω・´) < そして、その犠牲者の多くが・・・

女、子供、老人

・・・だったのです。

(`・ω・´) < 当時の日本国民はこの悪魔の所業に怒り、彼を・・・

鬼畜ルメイ
皆殺しルメイ

・・・と呼びました。

それに対して、ルメイは次のように語っています。

「当時日本人を殺すことについてたいして悩みはしなかった。私が頭を悩ませていたのは戦争を終わらせることだった」 byカーチス・ルメイ

もし戦争に敗れていたら私は戦争犯罪人として裁かれていただろう。幸運なことにわれわれは勝者になった」 byカーチス・ルメイ


(`・ω・´) < 戦時中の日本に「鬼畜米英」という戦意高揚スローガンがありましたが、アメリカ軍が「鬼畜」であったということは誇張ではなく事実だったのです。


そして、アメリカの中の「鬼畜」はカーチス・ルメイだけではありませんでした。

 戦地の恋人から「日本兵のしゃれこうべ」のプレゼントにお礼の手紙を書く女性

 日本兵のしゃれこうべで遊ぶアメリカ兵

 お土産用の日本兵のしゃれこうべを作るアメリカ兵

最後に太平洋第3艦隊司令官ウィリアム・ハルゼーの言葉を紹介しましょう。

 ウィリアム・ハルゼー

日本人などという人種は、赤子のうちに死んでしまった方がいい。彼らは、超人的存在でもなんでもなく、低級な猿に匹敵する動物に過ぎぬ。あえて猿というのは、日本兵がちょうど猿のような本能しか持ち合わせていないからだ」 byウィリアム・ハルゼー

「よし、日本語というものを地獄でなければ通用しないものにしてやろう」 byウィリアム・ハルゼー

「この戦争に勝つにはジャップを殺せ、もっともっとジャップを殺せ」 byウィリアム・ハルゼー



(´・ω・`) < 日本が降伏した後、日本軍の戦争犯罪は・・・やっていないことまででっち上げられて・・・東京裁判やB・C級裁判で裁かれましたが、アメリカ軍をはじめとする戦勝国により行われた戦争犯罪については・・・それが事実であることが明白であるにもかかわらず・・・裁かれませんでした。

(`・ω・´) < 日本本土空襲や原爆投下での民間人の虐殺、赤十字船・ミドリ十字船の撃沈、日本兵捕虜の虐待・虐殺などの戦争犯罪をアメリカ軍をはじめとする戦勝国側は行っていました。しかし、戦勝国側の戦争犯罪は裁かれることはなく、「すべての戦争の悪」は敗戦国にのみ押しつけられたのです。