Noli Me Tangere 1994年版(未完)より [冒頭]
第三章 蒼蝿の王 3-12 サロメの手中に揺れる問い

[承前]


 では、逸脱するがままに任せよう。無為にして成る。その通り、どこに何が転がっているか分からない。この世界には思わぬところに神秘な伏線が張り巡らされているものなのだ。変な袋小路だと思っていたところにあっといわせるような曲がり角が潜んでいて、それまで無駄な戯言だと思っていたものが後で解明の手懸かりになる。どんなに小さな星屑と見えても、宇宙の秩序に不可思議な結び付きを秘め、巨大な星に目配せを送っているかもしれない。寧ろ一層、先を急がず、何一つ見落とさないようにゆっくり回ってゆくのが常に最善の道なのだ。わたしは必ずあなたの顔の処に戻るだろう。そう、あなたがまさに《神》であるが故に、わたしは大きな弧を描いてゆかなければあなたの顔の前に辿りつけない仕組みになっているものらしい。


 わたしは預言者ヨハネの首をもつサロメのように、その不可思議な双面神〔ヤヌス〕の頭部を右と左の両手で捧げもち、彼の――それとも彼女の?――首を回しながら、この神の性のいずれであるのかを不安げに問いかける。
 しかし、瞑目し、その瞼の下に己れの真実を秘めて明かさぬ首は何も語らぬ。
 わたしはあなたにくちづけしたいのに、あなたはどちらの貌をもわたしに差し出してはくれない。
 わたしの手の中で、天球儀は回りながら、その軸受けを微かにぐらつかせ、この僅かなぐらつきのなかで、神の首は小さな《否(ノン)》をいうように横に振られ続けている。
 ぐらつき、今にも倒れそうな独楽の輪舞のように。


 独楽のこの僅かに頭を揺する動きは、《章動》と呼ばれ、地球の地軸、極の小さな揺れとなって観測される。北極――ヒュペルボリアの土地を微かに揺さぶるものは、主として月(アルテミス)の引力であるといわれる。


 月は地球以外の天体(特に太陽)からの引力を受けるので、固定した楕円軌道を描くことはせず、その回転は楕円から少しずつズレてゆく。このズレが地球へと伝えられて《章動》となる。
 その周期は18.6年、つまりおおよそ19年の周期となる。


 古代中国人は、19年間に7日の閏日を設ける太陰太陽暦を作った。
 そこで19年の周期を《1章》と呼び、この暦の根幹をなす一九年七閏の基本定式を《章法》と名付けた。《章動》の語はこれに由来する。


 この暦は、本来無関係で通約不能な筈の、月と太陽の齎す別々の現象をひとつに結合させようとした努力の成果であった。
 暦の一月〔ひとつき〕を齎すのは元々月の満ち欠け(朔望)である。
 一方、太陽の齎すのは四季と更に細かくは二十四の節気の変化である。これが《季節》である。
 この両者を結び付けて《一年》という統一体を古代人は掴まえようとしていたのだ。


 ところがこの《一年》の内部には解消不可能な小さなズレの綻びがある。
 《章動》の僅かな微動は次第次第に《一年》の内側に無気味な亀裂を広げてゆく。
 そこでは二つの暦がそれぞれ別の一年を勝手に描き始め、《一年》は自己分裂の危機に陥ってしまうのだ。


 つまり季節を忠実に数えようとする太陽暦と、月の満ち欠けを忠実に数えようとする太陰暦が齟齬をきたし、《一年》それ自身の回転軸を脱臼させ、地球は月と太陽の間の不和の真空に宙吊りとなり、時の混乱の海のなかに危うく漂流する宇宙の永遠の闇の迷い子となりかねなかったのだ。


 太陽と月は天球上に別々の経路を描く。


 太陽の径は黄道(ecliptic)といわれ、天の赤道(equator)との交点である分点(equinox)と最遠点である夏冬至点(solistice)によって、四季を定める四つの日(春分・夏至・秋分・冬至)を生み出す。


 一方、月の径は、その名の通り、英語では moon's path、和名では白道と呼ばれる。月はこの白道を一巡しながらおよそ二十八日で満ち欠けの一周期を結ぶ。
 しかし、この月の周期自体が実は二重である。正確に月が地球を三六〇度回る公転周期は《恒星月〔サイデリアルマンス〕》といわれ、二七・三二日。太陽に対して月が天球を一周する周期-つまり新月から次の新月までの正確な周期は《朔望月〔セナディックマンス〕》といわれ、二九・五三日。この間には微妙なズレが存在する。


 古代人は言うまでもなく、朔望月をもって一月の単位とした。月の満ち欠けする形象の変化は、何よりも目を引くものであったのだから。また満ち欠けの現象のより大いなるもの-日蝕と月蝕にも彼らは敏感であった。


 日月蝕(eclipse)は、当然のことながら、太陽と月の出会う処、つまり黄道と白道の交点の付近で起こる。この特別な交差点――昇交点〔アセンデイングノード〕と降交点〔ディセンディングノード〕の二つの《節〔ノード〕》 を、西洋占星術では古くからそれぞれ《龍の頭〔カプトドラコニス〕》・《龍の尾〔カウダドラコニス〕》と呼んで重視していた。
 太陽や月を呑みこむ暗黒の、不可視の巨大な龍を古代の人々は天空に想像したのだ。
 このふたつの《月節》は、実在の星ではないが疑似天体(イマジナリー・プラネット)と考えられた。


 カルデア人は更に、この《蝕》の闇を齎す幻の月を考えた。
 もうひとつの闇の月、月の影ともいわれるこの想像上の天体は、やがて《リリス》の不吉な名で呼ばれ、今も占星術の一部に生き延びている。


 リリスはイヴに先立つ真に最初の女、アダムの最初の妻であったが、アダムと神に逆らい、魔王サマエルの妻となった魔女。エデンの蛇になったのは彼女だったとも、また最初の殺人者カインはリリスの子供だったともいい、数々の伝承伝説には事欠かない不思議な存在。中世では夢魔、吸血鬼として恐れられた無気味な女だ。


 疑似天体(一部の占星学の書物では未発見天体としている)としてのリリスは《前世》を司る。その記号は《φ》。太陽が《龍の頭》に回帰する一食年で三回天球を巡るのだという。だから、リリスの周期はおよそ119日。


 太陽と月を食べる魔物の話は世界の神話のいたるところに見いだされる。
 日本ではスサノオがそれに当たる。スサノオは姉のアマテラスを天之岩戸に封じ込め、世界に暗黒を齎す。北欧では一層恐ろしく、《狼》であると考えられた。


 世の終わりに先立ち、二頭の狼が、太陽と月に追いついて彼らを食べてしまう。そして、最も恐ろしい狼フェンリルまたはヘンリーは、天空神オーディンを呑みこむというが、これはイメージの同語反復に過ぎない。オーディン自身がその両目によって太陽と月を意味しているものだからだ。