Noli Me Tangere 1994年版(未完)より [冒頭]
第三章 蒼蝿の王 2-3 よみがえる娘と生き返らない息子
[承前]
『昼子〔ヒルコ〕』だ、と娘は答える。それはあなたの母の代表作、そして最後の作品だった。
* * *
若い母親は、幼くして死んだ娘を葦船に乗せて海に流す。
娘がいつか帰ってくることを祈願して。
やがて彼女は待ち切れなくなり、自分自身も船に乗って、遥かな、死者が蘇るという魔法の国エジプトに旅立つ。
その国で死者の王オシリスの神に出会い、彼女の訴えに心打たれたオシリスは、息子のホルスに命じて、一時だけ彼女の願いを適えてあげようとする。
ナイルの上流にある青く麗しいケペレシュという名の湖に行って、その真ん中で太陽に祈るようにと母親に告げる。
その湖の真下には真っ白な古代の神殿が沈んでいる。
母親はその水に沈んだ神殿の真上に漕ぎ出し、オシリスに言われたとおり、正午、天頂に輝く太陽に祈る。
太陽は彼女を見て深く哀れみ、ホルスの目の形となって彼女のために一粒の涙を落とそうとして、その潤んだ目を微かに閉じようとする。
そのとき天地は暗くなり、太陽は黒く異様なその本当の姿を取る。
紫のコロナの翼が真横に長く伸びて荘厳に燃え、蘇りの鳥といわれる不死鳥〔フェニックス〕が忽然と現れるのだ。
太陽の涙はその皆既日蝕の大きな黒い瞳から白く円くこぼれおちて、曾てインドでシッダールタ王子を母のマーヤーに運んだとされる神聖な象を出現させる。
象に不死鳥の翼が与えられ、その象が彼女の処に羽撃いてやってくる。
彼女は歓喜して象を迎える。
何故ならその象の背には、彼女が慈しんだ愛児の昼子の小さな姿が乗っていたのだから。
だがそれは太陽が自分自身に魔法をかけた一瞬だけに許されたこの世での逢瀬だった。
若い母親は愛児を抱き締めた瞬間に命を落とし、昼子を連れて来た象の背に乗って、子供を抱いたまま黒い太陽のなかに姿を消す。
太陽が再び暖かい日差しでケペレシュのおもてを照らすと、澄んだ水の上にもう誰も乗っていない小さな船だけがいつまでもいつまでもユラユラと揺れている。
* * *
そのケペレシュというのは、むこうの言葉で《青い冠》を意味するのだ、とあなたは娘に教えた。それはファラオが戦いのときにつける冠なのだよ。
それから何故かとても悲しそうな顔をして付け加えるのだった。
そのナイル上流のヌビア地方にある青冠湖は、昔ナセル湖と呼ばれ、今では海のように大きく広がった水の底にふたつの原初の丘が沈んでいる。
ひとつは、ナイルの真珠と謳われたフィラエ島、そしてアブ・シンベルだ。フィラエの方には昔イシスの神殿があった。アブ・シンベルからは神殿は二度も別の場処に移された。ダムが幾つも作られたので、二つの島はすっかり水に沈んでしまったのだ。その移った先のアブ・シンベル神殿に父がちょうど学者仲間と皆既日蝕の観測に出掛けて留守だったとき、青冠湖の外れ、少しそこからは下流にあるアスワンの街に程近い、エレファンティネ島でぼくは生まれた。
そこには牡羊の頭をし、轆轤を回して人間を造ったというクヌムの神の神殿やローマのトラヤヌス皇帝の神殿の遺跡がある。その辺りは古代の伝説で、どこかにオシリスのふくらはぎが埋まっているとされ、また、昔ナイルの水源があったといわれている。
フィラエ島から移転されたイシス神殿のレリーフを覚えている。ナイルの女神であるハピが二つの水瓶から水を川に流し込んでいるとても古い図柄。ハピはときに男の神で、オシリスとも同一視されていたそうだ。
ぼくの見たレリーフは、やがて水瓶座の象徴となり、古いタロットの17番目の大アルカナに写された。その札は《星》と呼ばれた。女神はときにネフティスとも呼ばれ、頭上にはベツレヘムの不思議な星が描かれている。水瓶座とはまた、『ルカ福音書』に出てくる水瓶を運ぶ者でもある。最後の晩餐に向かうイエスの一行をその謎の人が導いたという。
母はその話の通り、日蝕の異様な太陽を見て産気づいた。
そのとき、その象の幻も見ているんだ。
でもね、彼女はその象を本当はとても怖がっていたんだよ。それはとても恐ろしい象で、彼女を踏み潰す程巨大で、とても獰猛そうだった……ちょうど虎か何かのように。
その母の見た幻にひとり喜んだ父は、学者仲間からも何か吹き込まれたらしくて、いい気になって、ぼくのこの名前をつけたんだけれど、母はとても嫌がってたんだ。
本当は《実〔ミノル〕》にしたかったのかもしれないが、何より、彼女の見た象が余り不吉な感じがしていたものだから、それが《神》などであるとは決して思いたくなかったんだよ。
母はだからぼくの名がとても嫌いで、またぼくがその象の魔物に殺されるのを恐れて、こっそりコプト教会に行って洗礼させ、父の涜神の罪の許しを主なる神に乞い願い、そのときつけてもらったダニエルという洗礼名でいつもぼくを呼んで、ぼくの本当の名を決して口にすまいとしていた。
また、ぼくに女の子の服を着せ、象の悪魔の目を欺こうとさえしていたんだ。その頃は優しかったけど、日本に帰るとさすがにもうダニエルとは呼びにくくなって、かといって本名では呼べず、やがて何が気まずくなったのか、殆ど口もきいてくれなくなった。そして、ぼんやりしたり、また、突然思い出したように、『実、実』と兄の名を呼んで泣き出すことが多くなった。そして、とうとう……。
ふいに声が咽び、あなたは顔を覆った。
ぼくは……一度でいい、『実』と呼んで欲しかった。
あなたは泣く、あなたはそのとき、本当に体を震わせて泣いていたのだ。
ハピの神の両の水瓶から溢れ注いでやまない愛の水のように。
あなたに分かってほしい。その涙の真実をうべなってほしい。
涙が溢れ出すのは、心が溢れ出すからだ。
その悲しみを憎まないで。それをどうか受け入れてほしい。
何も失われはしないのだ。女神の持つ水瓶が涸れ尽きることはないだろう。どんなに溢れ出しても甕の底には無限の水を涌き出すことのできる泉がある。その泉がどんなに綺麗か、あなたに見せてあげたい。
その泉こそあなたの心、あなたの命なのだ。
水瓶を塞がないで。そのなかにいるのはあなた自身だ。
あなたとは愛だ――無限の愛の海に生まれたひとよ、どうか水瓶を砕かないでほしい。それはあなたじしんを壊すことでしかないのだから。