廣松渉は〈もの〉や〈実体〉を〈こと〉という関係性に還元してみている。
 関係の一次性はニュートラルな認識論的・存在論的見地から一応は語られているが、問題はそれが現実の社会関係に媒介されて否応無く別の意味を負わされてしまうことにある。
 それは実体に対する否定的な見方と関係の優位性という或る種の価値観である。
 そこには個人を単なる社会関係の結節に過ぎぬものとし、その主体的自立性を解体し、共同主観性に還元してゆくべきだという反動への倒錯がゆるやかだが恐ろしい力として無気味に働いている。
 廣松の思索はそれはそれとして学問的意味においては妥当だし優れたものとして評価されていいしまた現にされている。だが思想の問題はそれとは別である。
 そこには価値意識の問題がマルクスの価値形態論などとはまた違った意味において倫理的かつ政治的な位相において避けがたく迫ってくる。
 〈もの〉に対する〈こと〉、〈実体〉に対する〈関係〉の優位は、実際には〈個人〉に対する〈社会システム〉の側からの圧倒的で抑圧的な規定性の強化の動きに裏付けられてでてきたものにすぎない。〈こと〉の暴力性がはっきりとしてくるのは八〇年代半ばのあの醜悪なエコノミニックファシズム、所謂「バブル景気」の時代においてである。
 わたしはちょうどその殺人的な精神抑圧を受ける立場と世代の位置にいたが、そのとき廣松哲学は既に全く魅力を失っていた。否、その当時は憎むべき敵にさえみえていた。
 八〇年代初頭、クーンやフーコーを引合いに出してパラダイムチェンジだのエピステーメーの布置の移動だのというやけに景気の良い議論が賑っていたものである。
 わたしの考えでは、確かに八四年にフーコーが死んでから八六年にチェルノブイリの原発事故が起こるまでの間に学者共が何かしら嬉しげに預言していたそれが、認識論的切断とでもいいたいような異変が、非常にぞっとする最低最悪のかたちで本当に起こってしまったのである。
 その十年後の一九九五年、阪神大震災だのオウム真理教だので日本は蜂の巣をつついたような大騒ぎになった。だが何を今更になって大変な時代になった大変な時代になったと慌てふためくのだ。まるで茶番劇ではないか。九五年や八九年が重要ではないのだ。
 非常に重要なそして何か決定的で不可逆的な悪がなされてしまったのは八五年である。
 八五年、日本には異様な言論統制と戒厳令が敷かれていた。不可視だがどんな可視的な戦争よりも遥かに悪い戦争、同胞が同胞を傷つける戦争、核兵器よりももっと悪い情報という名前の核爆弾のキノコ雲が日本の空を覆っていたのだが、誰もそれについて指弾するものがいなかったのだ。
 チェルノブイリの原子炉やベルリンの壁に罅が入ったのはそのときである。
 バブルも本質的には既にそのとき弾けていたし、現在のような不景気は既に来ていたのだ。
 オウム真理教やM君のみならず、親が子を殺したり、子が親を殺したり、大人が幼女や少女を性的倒錯の玩具にしたり、要するに同胞が同胞を襲い社会を自己を他者を絶望的に破壊することは現在日常茶飯事になっているが、その原因となるような巨大で深い致命的で社会的なトラウマは八五年に万人につけられたのである。そのトラウマは恐らく阪神大震災の被災者が受けたものより遥かに大きい。
 否、比類ないほど大きくそして非常に複雑に屈折して込み入った精神外傷となっている筈である。今後その外傷に溜め込まれた破壊エネルギー、当時はただ抑えつけておく他になかった攻撃性は更にとめどなくさまざまな異様なかたちで洪水のように溢れ出すだろう。オウム真理教事件はわたしの率直な意見では起こってよかったのだ。まさにあのようなことを民衆は待ち望んでいたのだし、あれのお陰で幾らかの抑圧は解除されたのだ。何よりわたしたちは怒りや不満や敵意を表現する能力を手に入れた。そして自己を言語化し、金儲けや俗悪な話題以外のことを、つまり話したくとも話せなかった多くの本当のことを話せるようになった筈である。

 

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