1992年にソヴィエト連邦は存在しない。その年の12月に独立国家共同体CISが創設され、ゴルバチョフは完全に失脚し政界の表舞台から姿を消した。


 1992年にはP・K・ディックも存在しない。1982年2月18日、心臓発作で倒れた彼は3月2日に帰らぬ人となり世を去った。彼が最高傑作『高い城の男』を発行した1962年にこの世に生を享けたわたしが『VALIS』の邦訳書を手にして彼のことを知ったのは同年の5月の頃でそのときディックは既にこの世にはいなかった。それから暫くして彼の原作による最初の映画化作品『ブレードランナー』が公開された。


 『VALIS』は1992年には存在しないソヴィエト連邦で出版された架空の辞典を参照することから始まる。この架空の辞典はやはり現実には存在しないアメリカの映画『VALIS』(デイヴィド・ボウイ主演のニコラス・ローグ監督作品『地球に落ちて来た男』が現実界における対応物であるらしい)を参照している。

 

 そして小説『VALIS』はこの架空の映画『VALIS』を巡る物語だ。

 

 架空の映画『VALIS』は1977年に製作され、それに言及する『大ソヴィエト辞典第六版』は1992年に刊行された。いずれも現実の歴史世界には実在しないが同じような意味で実在しないのではない。1992年刊行の辞典の方はその母体となるべき歴史世界=ソ連邦そのものが丸ごと消えてなくなってしまっているのだ。

 その問題の引用文は次のようにVALISについて語っている。


 VALIS――Vast Active Living Intelligence System(巨大にして能動的な生ける情報システム)アメリカの映画より。自発的な自動追跡をする負のエントロピーの渦動が形成され、みずからの環境を漸進的に情報の配置に包摂しかつ編入する傾向を持つ、現実場における摂動。疑似意識、意志、知性、成長、環動的首尾一貫性を特徴とする。(大瀧啓裕訳)


  VALISはしかしVast Active Living Intelligence Systemとのみ字解きされうるものではない。

 それは、ドイツロマン派の詩人ノヴァーリス(Novalis)の名前から意図的に英語で否定を意味する前綴りNOを削除して創作された名前であることは明らかだ。

 『VALIS』は電脳空間のグノーシス主義を展開する魔術的観念小説の性格が強いが、ノヴァーリスはフィヒテを批判することを通して形而上学を魔術的観念論として構想するに至った詩人哲学者だった。

 

 ディックがノヴァーリスを換骨奪胎して『VALIS』を構想していったのはほぼ間違いない。

 ノヴァーリスはゲーテの『ウィルヘルム・マイステル』を批判して、良い教養小説はメールヒェンでなければならないと考え、『青い花』を書いている。

 ディックが『VALIS』のやや重苦しいグノーシス主義に対する反省をこめて書いたその続編『聖なる侵入』は神の子イマヌエルを主人公としたメールヒェン風の教養小説であって、個人的にはディックの作品中で最も優れている名作だと思っている。きらきらと光る優しい風が作中を吹き抜けていて爽やかな読後感がある。これに比べると『VALIS』は非常に重苦しい。

 『VALIS』は、二人の親しい女友達の相次ぐ死に直面して苦悩し次第に狂って行く主人公ホースラヴァー・ファットの神と救済の問題を巡る孤独な探求とその神秘体験や幻視を綴る前半部と、その体験や思索と符合する不思議な映画「VALIS」、更に映画の背後にいた小さな救世主ソフィアとの出会いと悲しい別れを描く後半部とに分かれる。

 ところがこのソフィアという少女の名はドイツ風にはゾフィー、ノヴァーリスの若くして死んだ運命の恋人の名前なのだ。

 

 『VALIS』に出てくるソフィアは2歳の幼女で主人公たちがやっと出会ったのも束の間、不運な事故で命を落としてしまう。ノヴァーリスが出会ったゾフィー・フォン・キューンは12歳、彼とは十歳も年の離れた少女だった。二人は翌1795年3月15日にひそかに婚約する。しかし翌年には少女は胸部結核に伴う肝臓腫瘍で重態に陥り、一時恢復しかけるが、97年3月19日、婚約記念日から四日後、15歳の誕生日の二日前に死んでしまい、ノヴァーリスの魂を打ち砕く。

 これに追い打ちをかけるように彼の弟エラスムスが4月14日にやはり結核で死ぬ。二日後の16日は復活祭の日曜日、青年はゾフィーの墓参りに出掛ける。その二日後4月18日、恋人の死後一カ月後から二カ月半(110日間)ノヴァーリスは『日誌』をつける。そして5月13日ノヴァーリスはゾフィーの墓で、後に『夜の讃歌』に結晶する幻想的で運命的な神秘体験をし、救われる。

 青年がノヴァーリスになったのはそのときだった。

 翌98年、彼ははじめてノヴァーリスという筆名で天才の霊感の閃光に満ちた断片集『花粉』を発表し、魔術的観念論を展開し始める。このときノヴァーリスは26歳だった。1800年9月、28歳のノヴァーリスの健康状態は悪化する。10月28日もう一人の弟のベルンハルトが入水自殺する。この報せがノヴァーリスを打ちのめし彼は遂に喀血、病状は悪化の一途を辿り、翌年3月に彼もまた病死してしまう。

 このエピソードは『VALIS』の前半部に反映している。


 まず、ノヴァーリスの二人の弟の死(病死と自殺)が順序を入れ替えて二人の女友達の死に変わっている。まずグロリア・ナドソンがビルの十階から飛降自殺をする。続いてシェリー・ソルヴィグが癌で病死する。
 肝腫瘍を患うゾフィーの病状の推移はそのまま癌を患うシェリーの病状の推移に反映している。シェリーは末期の癌患者だが一時的に緩解している。しかし急激に病状が悪化して死んでしまう。
 ホースラヴァー・ファットはグロリアの自殺によって打ちのめされるが、神秘体験によって救われる。それから彼はノヴァーリスのように霊感を受けながらやはり『日誌』を書き始め、それから断片を抜粋・集成して『秘密経典書』を編んでゆく。
 シェリーの死をきっかけにしてファットは彼にとって運命の恋人=婚約者(つまり運命的に〈契約〉によって結ばれている者)であるといえる、〈神〉が彼に約束し予言した〈五番目の救世主〉を捜す旅に出掛けようとする。その矢先、彼の友人のケヴィンが映画『VALIS』を彼に見せ、ファットは運命の恋人ソフィアに至る手掛かりを得る。それは小さな女の子だった。

 この物語の展開はファットが実は何者であるのかを教えている。作中でディック自らが種明かしているように、ファットという名前は「太っちょ」を意味し、ドイツ語訳すると「ディック(Dick)」という単語になる。つまりディックは自分の名前をファットに英訳しつつ、逆にそのファットのドイツ語訳として己れの名前ディックをドイツ語化しているのである。ディックは自分を想像的にドイツ人化している。そしていうまでもなくノヴァーリスはドイツ初期ロマン派の大詩人である。ディックはファットのオリジナルはドイツにあることを己れの名において暗示している。すなわちファット及び『VALIS』の物語はノヴァーリスの人生と作品の英語への翻訳=変換-翻案なのだということを示唆しているのである。

 

 ホースラヴァー・ファットはノヴァーリス=NOVALISの転生であり、VALISの化身である幼女ソフィアはゾフィー・フォン・キューンの転生なのだ。


 しかし『VALIS』はディック自身の体験を元にしたかなり自伝的色彩の強い作品でもある。ホースラヴァー・ファットは単に名前の上のみならず中身においてもディックその人を意味している。

 

 ファットはディックであると同時にノヴァーリスである。それはディックがファットであると同時にノヴァーリスであるということに他ならない。つまりディックは自分自身をノヴァーリスのパロディないし変奏された反復として描くことによってノヴァーリスに己れの運命の臍の緒を結び付けようとしているのだ。

 ディックに生まれてすぐに死んだ双子の妹がいたことは知られている。

 その名はジェーン。『VALIS』の幼女ソフィアの余りにも早すぎる死のエピソードにジェーンの影が落ちていることは明らかである。

 

 双子の妹の死こそディックの人生と文学を運命的に決定してしまっている深刻で胸をえぐるような凄まじいトラウマでありその核心である。

 彼は現在その双子の妹――恐らく彼にとって最愛の何者にも代えがたい女性と同じ墓に眠っている。

 

 彼は生涯何度となく結婚と離婚を繰り返した。

 恋愛しては関係が悲劇的に破綻する凄惨な人生を送った人である。

 それはこの死せる妹への執着がどれ程のものであるかを物語っていて痛ましい。

 だが、彼の小説が普通のSFと違って何か胸を突き魂を揺さぶるような吶咸と慟哭をもっているのはそのためなのである。

 アメリカのSF作家に生まれ変わったドストエフスキー――それがフィリップ・K・ディックだ。

 しかし、それだけではない。奇怪なことにディックはその実人生においてもノヴァーリスの恋人ゾフィー・フォン・キューンの影響下にも置かれている。


 ゾフィー・フォン・キューンは1782年3月に生まれ、ディックは1982年3月に死んだ。3月はゾフィーとノヴァーリスにとっても運命的な月だ。婚約したのが3月15日、ノヴァーリスが死んだのは1801年3月25日。婚約記念日から僅かに10日後で死因も同じ結核だった。それはゾフィーの死から4年後、その命日から6日後であった。そのときノヴァーリスにはユーリエという二人目の婚約者がいたのだが、彼女とは結婚できなかった。ゾフィーとノヴァーリスはそれ程に強く結ばれていたのだ。

 また、ノヴァーリスがゾフィーに出会ったのは1794年11月17日である。

 1794の数字が位置を入れ替えた1974年の2~3月『VALIS』のファットの見神体験の元となるディック自身の神との出会いが起こる。

  ピンク色の神の情報ビーム、自分が1974年のアメリカにいると同時に初期キリスト教時代の古代ローマにもいるという奇妙な体験、その時代のトマスという別の人格が自分の中にいるという分身体験、自分のよく知らない言語である古代のギリシア語で物を考えたりそれを書き取ったという体験、そして『釈義』と称する厖大なメモを書き綴り、自分にエリヤの霊が降りたのだと考えるに至ったこと等、ファットの体験として書かれていることは実はそっくりそのままディックの身に起こったことを忠実に再現しているに過ぎない。


 実は『VALIS』は奇妙な叙述法をとって書かれた書物であって、ディック自身に他ならないSF作家のフィルという人物が副主人公として出てくる。このフィルが第一人称の語り手〈わたし〉を名乗り、その視点からまるで別人のように自分自身を突き放して語っている。この突き放された第三人称の人物がホースラヴァー・ファットという偽名で呼ばれている。無論二人は同一人物なのである。しかしフィルは至って冷静客観的で批判的な観察者、ファットは逆に少々愚鈍で頭のいかれたお人よしの神憑りの滑稽な人物として描き分けられ、殆ど相互に独立した人格をもった友人同士というまでに徹底した自己分裂の相で登場させられている。この奇妙な一人芝居に彼らの友人たちまでが付き合っているので、まるでそこには実際に二人の別人がいるかのような錯覚を与える。

 

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