九鬼はアリストテレスの命題論における対当関係の方形によって
 四様相性の相互関係を説明しようとしている。

 そこで、必然性は全称肯定(略号A)
     不可能性は全称否定(略号E)
     可能性は特称肯定(略号I)
     偶然性は特称否定(略号O)に該当する。

 このことは矛盾律の発生を考える上で非常に興味深い。

 正常な四様相性の真偽値はその質(肯定か否定か)に対応して定まる。

 必然性は全称肯定であるから真。
 不可能性は全称否定であるから偽。
 可能性は特称肯定であるから真。
 偶然性は特称否定であるから偽。

 という風に、正常な真偽値は定まっている。

 では、どの様相性から出発して
 他の様相性を正常な値に確定できるかの思考実験を行ってみよう。
 
 まず必然性がその正常値・真をとると、
 反対対当の不可能性は偽。
 矛盾対当の偶然性は偽。
 大小対当の可能性は真となり、全ての真偽値は確定する。

 次に不可能性がその正常値・偽をとると、
 反対対当の必然性は真偽不定。
 矛盾対当の可能性は真。
 大小対当の偶然性は真偽不定となり、可能性しか確定できない。

 次に可能性がその正常値・真をとると、
 小反対対当の偶然性は真偽不定。
 矛盾対当の不可能性は偽。
 大小対当の必然性は真偽不定となり、不可能性しか確定できない。

 最後に偶然性がその正常値・偽をとると、
 小反対対当の可能性は真。
 矛盾対当の必然性は真。
 大小対当の不可能性は偽となって、全ての真偽値は確定する。

 必然性か偶然性かから出発した場合のみ、
 全ての真偽値の確定に成功する。
 可能性や不可能性から出発すると、
 可能性と不可能性が矛盾律によって値を定めるだけで、
 共に必然性・偶然性の真偽値を確定できない。

 では逆の場合を考えてみよう。
 様相性が異常値をとった場合にはどうなるか。
 単純に上の結果が逆さまになるだけである。

 まず必然性がその異常値・偽をとると、
 反対対当の不可能性は真偽不定。
 矛盾対当の偶然性は真。
 大小対当の可能性は真偽不定となり、偶然性しか確定できない。

 次に不可能性がその異常値・真をとると、
 反対対当の必然性は偽。
 矛盾対当の可能性は偽。
 大小対当の偶然性は真となり、全ての真偽値は確定する。

 次に可能性がその異常値・偽をとると、
 小反対対当の偶然性は真。
 矛盾対当の不可能性は真。
 大小対当の必然性は偽となり、全ての真偽値は確定する。

 最後に偶然性がその異常値・真をとると、
 小反対対当の可能性は真偽不定。
 矛盾対当の必然性は偽。
 大小対当の不可能性は真偽不定となって、必然性しか確定できない。

 可能性か不可能性かから出発した場合のみ、
 全ての真偽値の確定に成功する。

 必然性や偶然性から出発すると、
 必然性と偶然性が矛盾律によって値を定めるだけで、
 共に可能性・不可能性の真偽値を確定できない。

 二つの矛盾概念対「必然性-偶然性」と「不可能性-可能性」が
 正常値・異常値のそれぞれの相関関係の中で
 決定的で主導的な役割を果たしているのが分かる。

 「必然性-偶然性」は現実性の様相である。
 これに対し「不可能性-可能性」は非現実性の様相である。

 しかしわたしは寧ろこの非現実性を
 もう一つの対等な現実性であるという積極的な意味をこめて
 反現実性の様相と呼びたい。

 真偽値がすっかり裏返ったこの様相の別世界では
 寧ろ不可能性が必然的であり、可能性が偶然的である。

 九鬼は現実的様相空間の中に基本的に定位している。
 そこから見ると非現実性の領域は
 反現実的というよりもむしろ無現実的である。

 九鬼は「現実-非現実」の
 単純な二項対立(二値論理)には収まり切らない
 様相空間の背後からの溢れ出しを看取していた。

 様相空間のなかにこの現実を置き据え直すことは
 それを通してこの現実の真相を問い直す
 形而上学的反省の契機となる。
 そのことは過小評価されてはならない。

 しかし狭隘な二値的現実主義から超現実的に脱出して
 九鬼が見いだした様相空間はいまだ現実的様相空間であったに過ぎない。

 わたしは九鬼の脱俗風流の姿勢をよりラディカルに徹底させたい。
 現実的様相空間に留まることなく
 更に反現実的様相空間にまで突き抜ける突風となってこそ風流である。
 更に反現実的様相空間のから現実的様相空間を覆しつつ
 現実性の不可能性の核心へむけて
 熾烈に破壊触発する疾風怒涛の爆風となってこそ「いき」である。