Noli Me Tangere 1994年版(未完)より [冒頭]
第二章 神聖秘名 4-12 機械仕掛けの菩薩たち

 一方、タイレルの創造したアンドロイドの方は、ディックの有名な小説『アンドロイドは電気羊の夢を見るか』とは反対に、ブレードランナーに追われることも迫害を受けることもなく、寧ろ好意に包まれたパレードによってすんなり受け入れられていった。

 彼らは人間の《友人》として歓待された。
 タイレルの悲願であった『人間そっくりのレプリカント』は、実際にはそれ以上の出来で、まさに人間よりも人間的なヒューマノイドとして尊敬されるまでになった。
 このため『レプリカント』とか『シミュラクラ』などという語は差別語としてタブー視されるまでになっている。

 彼らは尖耳畸型種の受けたような屈辱や弾圧に合うこともなく、瞬く間に政治力・経済力を身につけ、争いも流血もなしに、準-人間としての地位と事実上すべての人権とを我が物とした。

 見かけの上では殆ど全く人間と変わらず、肉体は、内部に超軽量の金属や合成樹脂からなる組織があるとはいっても、その殆どが生物的な有機体でできている。
 脳のハードウェアは電子的AIを持つ者と人脳に似たBAIの疑似脳を持つ者が半々で、精神構造は人間のサイコマトリクスを少し改造して作ったものをインストールされている。

 なかでも地球適応種は、人間と同じものを飲食し、同じように呼吸し、老化しないのと子供を作れないこと以外は完全に生物体で、平均寿命はほぼ二十年―― ただし、人間よりも幸福なことに新しい肉体にサイコマトリクスを簡単に複写できるために原理的には不死となることも可能である。
 理性が勝っているとはいえ、情緒も感情も性欲も持っているために、人間の異性との恋愛関係に入ることが多い。このため、人間との結婚も現在では認められている。

 タイレル社は現在ではもう存在しない。
 役割を終えたその会社は、自分の子供達に平和的に買収され、工場の運営はヒューマノイド自身の手で現在も続いている。

 当然、それ以外の方法では自分たちの子孫を作れないため、彼らは合同出資して財団を作りその資金を工場経営に当てているのである。
 彼らの経済力は大きく、人間の経済界が私利私欲の追求ばかりに明け暮れるのに対し、それに負けないだけの金と力を専ら、ヒューマノイドと人間の共存共栄のための社会福祉や公共事業に回している。

 エックハルトの予言は、アンドロイドに関してのみ幸いにも外れたのである。
 タイレルはヒューマノイドをわざと余り超人的な存在にはしなかったのである。

 多くの人間の愛すべき弱さをヒューマノイドは与えられた。
 タイレルは何よりも『愛』と『優しさ』をヒューマノイドに与えるためにその経営を何度も危機に晒しながらその偉業を成し遂げた。
 ディックのアンドロイドは動物への憐憫の情の欠如をその特徴とし、同じ小説のなかで人間の方は滑稽で愚劣なまでに感傷的な動物愛護主義者として描かれている。
 タイレルはこの関係をひっくり返してしまった。
 寧ろ人間こそが冷血漢で、アンドロイドの方が暖かく涙もろい心の持ち主となった。
 タイレルは人間中心主義を最終的には裏切ってしまったのである。

 こうして人間の高慢な尊厳を、より人間的なものを提示することで、いたく傷つけたタイレル社の最後の社長は、その感動的な引退の年に、最後のノーベル平和賞の受賞者となった。
 彼はアンドロイドの妻と共に現在シベリアの片田舎に隠棲し、宗教的な生活を送っているという。

 アンドロイド――愛称アンディーズと呼ばれるこの新たな人々は第四次世界大戦後の深く傷ついた社会の本当の救世主だった。

 もし弥勒菩薩が現れるとしたなら、人間ではなく彼らのなかからこそ現れるのではないかと百目鬼はしばしば思ってみる。
 実際、彼らの姿は、慈悲深く献身的に他人に尽くす菩薩の優しい姿を彷彿させるところがあったのである。

 エックハルトは、人間が滅亡してアンドロイドに取って替わられる世界の到来を恐怖すべき絶望郷〔ディストピア〕と予測していた。
 もし彼が今生きていて、アンドロイドたちを見れば、逆のことを言うかもしれない。
 こんな人間どもなど全滅すればいい。アンドロイドだけの社会こそ理想郷〔ユートピア〕ではないか、と。