Noli Me Tangere 1994年版(未完)より [冒頭]
第二章 神聖秘名 4-8 ヴェニスの商人と複製人間

 人体のクローニングと記憶の複製は元来違った経緯で発展してきた技術である。

 クローニングの方は元々臓器移植等の医療目的で研究開発されてきたが、現在では《シャイロック法》の悪名高い《人間細胞管理法》によって厳重に凍結されている。

 この法律は実は非常に評判が悪かった。
 それはそれ自身のうちに致命的な矛盾を孕んでいる。
 それ自身が製造を禁止しているまだ存在すらもしていない架空のクローン体の『人権』を根拠にして、この法律は、臓器や眼球の部分的なクローニングすら厳重に禁止している。
 この倒錯した法律の最も奇妙な点は、クローンを造った人間と実際に造られたクローン人間に対し、どんな凶悪な殺人犯でも今日もはや頼んでも処してはもらえない《死刑》をわざわざ野蛮な過去から蘇らせている点に露骨に現れている。
 それは一切の人権の剥奪である。

 誰の目にもこの自家撞着〔パラドクス〕は隠し切れないところがあった。
 クローン体の『人権』を根拠にする法律が、その人権保障のためと称して、同じクローン体から一切の『人権』を奪ってしまうのだから。

 この法律は当然あちこちで暗礁に乗り上げていた。
 いわゆる《現代の『ヴェニスの商人』裁判》が、世界各地で頻発、跡を絶たない有り様だったのだ。
 闇医療でクローン心臓の移植を受け、一命を取り留めた人に対する処罰をどうするかで、『体制側』の法学者は頭を抱え込んでいた。

 法律は「ただ一つのクローン細胞の存続も」禁止していたのである。

 従って、この人肉裁判の被告である現代のアントニオたちからいかにして《胸肉きっかり1ポンド》を切り出すのかを醜怪〔グロテスク〕にも真剣に考えざるを得ない羽目に陥った。

 この悪法に逆らって移植手術を断行した英雄的な医者たちの方は、『人命を救った』廉で死刑にしてしまえば法律の面子は保たれたが、哀れなアントニオたちの方を生かすことも殺すこともできないという情けない二重拘束〔ダブルバインド〕に現代のポーシャ姫たる裁判官たちは置かれた。
 結局、いかに改良され高性能になったとはいえ、所詮クローン心臓よりもはるかに不都合な人工心臓の再移植というひどい判決を判で押したように続ける外に道はなかった。

 このことに世論の反感は募り、『進歩派』の法学者のなかには改正どころかこの法律自体を断固撤廃するべきだと叫ぶ者まで現れていた。

 だが、一向に《シャイロック法》を改正する姿勢は、どの国の政府も見せなかった。
 彼らも困り果てていたのである。

 クローン技術が解禁されたら、社会構造そのものに重大な変化が齎されてしまうだろうということは馬鹿でも理解できることだった。
 暴動に繋がりかねない社会不安を解き放つ勇気のある者など誰もいなかった。

 それにクローン問題は、単に『人権』のパラドクスの問題であるだけではなく、近代法理論の根拠をなす自己同一的『個人』の概念の危機でもあり、あの古くからの哲学的難問である『人格』を巡る水かけ論に法学者と哲学者を再び投げ込んでもいた。
 議論は膠着状態のまま進展せず、誰もが法のパラダイム自体が変わらなければならないのだという役に立たない繰り言をぶつぶつ言いながら、結局頭上に重くのしかかる《シャイロック法》をどうすることもできないでいた。

 《シャイロック法》は、臓器・器官の部分的クローン培養をも人体解剖の一種と見なして「人道的見地」からこれを禁止していたが、医療関係者や重病人、それにその大半が「サイボーグ」という隠然たる差別語で呼ばれる人々の非難は、特にこの点にのみ集中しており、問題の《死者の復活》をも含む完全クローニングの禁止条項にまでは矛先が向いてはいなかった。

 既に、人体高速培養槽や免疫系注入技術、及び筋肉培養制御剤の開発により、クローン体を原型〔プロトタイプ〕そっくりに再現することは《シャイロック法》施行前には可能になっていた。

 ただ、それは魂を吹き込まれていない肉の容器としてだけであり、クローンボディは当時人間とは見なされていなかった。まだ部分培養技術が未発達でコストが懸かった時代でもあったので、当然、完全クローン体を解剖して臓器を移植することが盛んに行われていた。癌でさえこのことにより克服されたと言われる程だったのである。

 しかし、いかにクローン体とはいえ、人体解剖は人体解剖である。

 解剖されるクローン体が、その十分発達した体に、乳幼児程度の知能をもつ精神を宿らせていることは事実だった。
 医者たちのやっていることは精薄児の生体解剖と殺害に何ら選ぶ所はなかった。
 やがて人々は人道に反するこの医療行為に恐怖した。
 とりわけ当時既に世界規模に膨らんだ圧力団体と化していたキリスト・イスラム宗教会議が扇動して反クローンキャンペーンを張った。
 既に少数ながら当時存在していたクローン人間たちもこの呪わしい人体解剖を糾弾した。

 WHOの事務局長にピーター・ブラウニングJrが就任した年、彼を中心として、一切のクローン技術の人体への適用を永久凍結する条項を含む、今日の《シャイロック法》の原型が作られた。
 翌年には、世界中の国々が、国法レベルで同工異曲の人間細胞管理法を採択していた。
 この功績からノーベル平和賞を受けたピーター・ブラウニングJr自身がクローン人間だったことは皮肉なことである(法律施行以前のクローン人間については生存権が保障されていたのである)。

 こうして地球全体が《シャイロック法》の監視網に包まれた。
 いや、ラグランジュポイントと月・火星、それに火星の二つの衛星に存在するスペースコロニーに於いても、事は同様だった。

 事故発生率が非常に高いアステロイド群開発計画だけが僅かな特例である。

 そこではアンドロイドたちに混ざって、大勢のクローン人間たちが働いていた。
 合法的に行われている《死者の復活》。

 夢物語だといわれた脳への記憶注入を阿礼父社が可能にしてから、名実共に原型〔プロトタイプ〕と全く同一の人間を造ることが可能になった。

 阿礼父社の《兜》は、最初は脳からの指令の直接入力機器に過ぎなかった。
 これにやがて外部から脳波状態をコントロールするブレインマシン的なバイオフィードバック機構がつき、《兜》は、次々に性能向上したバージョンを生み出してゆく。
 STM(短期記憶)からLTM(長期記憶)へ、更に自己人格記憶をも含む巨大な深層記憶へと《兜》がコンピュータと人間とを媒介できるチャンネルは増えていった。
 こうしてサイコマトリクスといわれる人間の脳の中身すべてのデータ構造体のコンピュータへの抽出が可能となった。
 ヒューマノイドの性能の向上は、この人間から取られたサイコマトリクスの研究と応用によって加速した。

 このサイコマトリクスの調査と貯蔵は、後に――つまり第四次世界大戦後の今日、ファントムの創造の下地となった。
 ファントムは大勢のサイコマトリクスを重ね合わせることから炙り出されてくる集合的無意識の研究に元々根付いて生まれてきた存在である。

 それと同時に、戦後の一つの社会問題である《電子霊〔スペクター〕》と呼ばれる多くの困った存在をも生み出すことにもなるのだった。

 端的に言って、これこそエックハルトの予言した新たな形態の国民そのものである。
 言わば電子の霊界――否、チベット仏教で、次の肉体に輪廻転生を遂げる前の霊魂の状態を指す語を用いて《中有〔バルドゥ〕》の状態といった方がよりふさわしいだろう――に住む意識だけのクローン体というべき代物、通常はサイコマトリクスという死せるデータのROM構造体でしかないが、シミュレーションのなかで、恰も生ける霊魂のように、見、聞き、話しし、その複製元の人格を演じてみせるという疑似意識体である。