Noli Me Tangere 1994年版(未完)より [冒頭]
第二章 神聖秘名 3-4 容器の破砕

ベルリンに表現されている狂気の政治的抽象は、劇的なまでに具体的な行為として壁が立てられた日にその表現の頂点に達した。一九六一年八月一三日以前には、分離の目に見える徴はなく-(中略)-、そのため分割という行為にはあいまいな意味と性格が伴っていた。それは何だったのか、国境だろうか。……しかし、思うにあるひとつのことがそれぞれの人の理解から(そしておそらく多くのドイツ人の理解からも)抜け落ちていた。それは、この壁の実在が、人びとの生きている有機的な一大都市をまるごと〈抽象〉の領域に投げ込むためのものだったということである。……壁の「スキャンダル」と重要性は、それが具体的な圧政を表現していながらなお本質的には抽象的なものとして止まり、わたしたちが不断に忘れていることを思い出させるという点にある。すなわち、抽象とは単に思考の誤ったありかたというのでもなければ、明らかに不毛な言語の形態というのでもなく、抽象とはわたしたちの世界なのだということ、わたしたちが日々そこに生きて思考する世界なのだということである。
 (モーリス・ブランショ「ベルリンの壁」一九八二年 西谷修訳『ユリイカ一九八五年5月号』青土社)


  *  *  *

 かつてぼくはサニヤシンにはついていかなかった
 けれども、やがて別の者についてゆこうとしていた
 父母の愛と壁の遮断が作り出す内庭にいることにも飽き
 外に、見知らぬ土地、見知らぬ人、見知らぬ自分に憧れた

 それはまだ壁が憂鬱な気高さでぼくの世界に聳えていた頃
 クロイツベルクの激しい音が大勢の異国の人を呼び寄せていた
 日本から来たその友は両手に数多くの書物をかかえ
 ノイバウテンのライヴと安酒にまだ酔い醒めぬぼくの頭を振り向かせる

 その眼鏡にも明るい輝き、
 ガラスの瞳は右も左も曇りない憧れに燃える
 彼の声の底にも火がある、
 両手にはその聖火に捧げるための知恵の供物

 それはフランスの書物、
 犀利な知性の力を信じる彼の不思議な魔法書〔グリモワール〕
 パリに行こうと彼は語る――
  《パリに行こう、
   そこには知恵の鍵がある、外に出るための鍵が
   ぼくたちは脱出しよう、
   右にでも左にでもなく、また真ん中でもないところに
   そこは砂漠、内と外の外、
   清らかな不在の場処、不在には愛がある
   さまざまな企みを抜けて、不在の土地の遊牧民になろう
   愚かなまどろみや狡賢いごまかしのないところ、
   東と西の権力の彼方 ぼくたちはそこで
   全く見知らぬ者である全き他者に出会うだろう
   右と左は理性の両手、そうやって大きな内部に世界を閉じ込める
   ぼくたちはこのままでは息が詰まる、
   だが何処かに異貌の知恵があり
   異なる思考がある筈だ、
   差し出された右のカードも左のカードも取らず
   思いがけないジョーカーをふいに引いてみせるように
   ぼくたちがそこに逃走してゆける自由の線を引こう
   そのオールタナティヴを用いることができれば、
   この閉ざされた、馬鹿者の大きな頭蓋骨のような
   世界の箍をぐらつかせることができるかもしれない
   ぼくらは仲間から離れよう
    ――仲間からは殺人の権力が始まる
   ぼくらは外の不在にさまよい出よう
    ――そこで見知らぬ人を恋人としよう
   恋人とは世界の彼方、永遠の未来、
   現在の外側の時に住む不可視の可能性
   ぼくたちを捕らえようとする両手をすりぬけ、
   ぼくたちが全く見知らぬ者となることができれば
   ぼくたちは彼女に出会えるだろう、語り得ぬその人に
   ぼくたちは異貌の言葉を語ることによって
   その語り得ぬものに語りかけるのだ
   求めよう、全く異なる世界、
   全く他なる世界を、全く未知の道の果てに》

 ヴィム、聞いて欲しい、 その友とぼくはこの世界の閉域に噎せ返り
 外の空気に飢えていた、また、まだ見ぬ未知の恋人《他者》との
 神秘の出会いに憧れ、その憧れに連れられてきみの映画を観に行った

 これは本当だ、ぼくたちはそのとき泣いた、肩を抱き合って泣いた
 何故というに、ぼくたちが日々感じていたのは
 左右内外に閉ざされたまま
 重苦しく死んでゆく巨大な文明の
 出所のない腐臭の苦痛
 求めていたものは東西の統合ではなく、地球からの脱出
 きみの映画のフランス女はぼくらを月に誘った筈
 ぼくらは《他者》と共に世界の外に駆け落ちすることを求めていたのだ
 ぼくらは《他者》に会ったと思った、
 それはぼくらの願いが叶うという予言
 ああ、どんなにかぼくらはその日を待ち望んでいたことだろう

 けれど《他者》は来なかったよ、ヴィム

 ベルリンの壁が崩れた日、それは大きな裏切りの日
 それは解放ではなかった、
 ぼくたちにとって、大きな失望と落胆の時
 崩れ落ちた壁の向こうにはもう外はなく、他者はいなかった
 それは押し寄せてくる見慣れ見飽きた愚かしい仲間たちの顔
 壁と共に、壁の外も、逃走の夢もたち消え、あるのは一つの内部の球体
 内部の完成と閉塞の成就を祝う人々の歓声をよそに
 ぼくの日本の友は瓦礫のなかで呆然とし、誰にも見えない暗闇のなかで
 憑かれたように、見失われた何かを探し求めていた
 その瞳にはもう光はない、暗い声で彼は言う

 《これで世界はアメリカの名の下に統一されるだろう
  それは出口のない全き球体、地球は真空の惑い星となる
  やがて冷たいテクノロジーが
  ぼくたちを軽々と追い越し先回りして出口を塞ぐ、
  地球は独楽のようにアメリカの掌の上で回され、
  TVの画面へと水没する
  それは全てがコマーシャルにすりかえられる
  虚像世界〔ビルトヴェルト〕
  ハイデガーの暗い予言は成就した――哲学はもうおしまい
  すべては馬鹿げた絵空事になり、リアルワールドは覆われ消える
  ぼくらの外の夢も、他者への憧れも幻となって費え去った
  ぼくらは二つの世界を罵り、またその虚構を支えた壁を嘲ってきたが
  今となって分かる、どんなにかぼくらはこの壁に寄り掛かっていたことか

  この壁は聖なる壁だった、ドイツの友よ
  イスラエルのイェルサレムには嘆きの壁が残されている
  それは聖なる土地から締め出された民ばかりか
  あらゆる異国人をも迎え入れる祈りの場となった
  そこでは人は右と左、男と女に別れて祈る、不在の神に祈り続ける
  ここにあったのもそんな聖なる壁だった
  この壁は世界を支え、現実を支え、自由を、祈りを支えていた
  それら全ての条件であった、だがそれが崩されたとき、後に何が残る?
  夢がこんな形で叶うとは思ってもみなかったが
  奇蹟が満たされてしまったなら、願う力祈る心をぼくらは失う
  夢が叶うとは絶望のこと、聖なる力は消え、ぼくらは支えを失った
  これは現実なのか、この手応えなく漂うものは?
  ぼくはぼく自身を支えるぼくの確かな手応えですら定かならぬ、
  まるで夢の中のよう
  これから来るのは新しい時代ではない、それは悪夢の回帰だろう
  何故なら新しい時代というのもまた
  壁だけが見せ支えてくれる夢だったのだから。》

 そう告げて彼は故国へとその項垂れた肩を運び去り
 二度と戻ってこなかった、やがて便りが届き
 それは彼の死を告げる訃〔しら〕せ、
 同封されたのはぼくへ宛てた遺書
 剃刀のように犀利であったきみは、
 切りつけるべき全てを失い、
 遂に自分を切り裂いてしまったのだ、
 きみの最後の言葉は最後の問い
 《神はいま何処に消えたのか? 消えた処にいるとすれば何処に?》

 友よ、それでも残骸は残る、
 ぼくの手の中の砕けたかけらに神は宿る
 友よ、天地創造の前に破壊があったとカバラは教える
 それは神の計画の大きな躓〔しくじ〕り、
 意志の容器は粉々に砕け
 乱れ汚れた光から世界は生まれた、
 この天地は失敗と破局の結果
 神は善なるものを作り出そうとして悪を生み出し、
 恐らく傷つき、そして恐らくその時死んだ、
 砕けたかけらとなって大地に降った。
 だからこの世界はガラクタの世界、
 神ですら防げなかった敗北の子。
 砕けたかけらとは悪の結晶、
 だがそこに神は砕けながら留まっている。
 ストーカーが言ったように、
 ぼくらは悪から善を生み出すことを試みよう。
 この大きな裏切りにあっても、
 かけらのなかにはまだ夢は生き延びている。

  *  *  *

 ぼくは崩れた壁の跡地に佇み、人々から離れて闇に籠る
 やがて或る晩、ひとりの男が瓦礫のなかから近づいてくる
 それはかつてぼくがついていかなかった者の変わり果てた姿
 サニヤシンの両目にも光りはない、暗い悲しみの闇が泣いている
 彼はぼくを認め、苦しげに言う
 ――和尚ラジニーシが死んだ、殺されたのだ、と。
 アメリカ政府が彼を捕らえ、
 やがて命を奪う陰険な毒を食事に混ぜた
 どうしてなのか、何故いまラジニーシを殺さねばならない
 彼が一体何をしたというのだ、
 サニヤシンは怒りに震え、黒く窶れて汚れていた。

 ぼくは驚き、動揺する、そしてひとつの苦しい告白を
 むりやり胸骨を開いて心臓をつかみ出すように
 サニヤシンの男に差し出さずにはいられなかった。