【1】われわれは蓋をされた無、あるいは無自体及び無限の〈否〉という矛盾自体を封印した壷の蓋のことを「無」と呼んでいるに過ぎない。このような「無」は、実は無そのものが暴走しないようにそれを収めている無の封印でしかない。無の真実の姿はこの無の蓋によって隠蔽されている。
 われわれはこの無を隠蔽する蓋の覆いを、真の無の代用品としてそれに当てている。

【2】〈無の蓋〉は、無の代理としてある〈蓋然的な無〉としての蓋然的な否定である。いかにも無らしく振舞って無の身代りの用を足すという厳密な意味で、そして必然性や偶然性とも区別して、蓋然性=確実性という意味で〈蓋然的(プロバブル)〉といっているのであるが、奇しくもそれは見た目もまことに〈蓋〉然としている。
 じつは蓋然的な無とは「臭いものには蓋をしろ」の諺どおり臭いもの、怪しいものである。

【3】蓋然的無(le rien probable)とは、去勢された無(le néant émasculé)である。というのは、それは無自体(le néant en soi)である虚無(nihil)がもつ無化(Vernihitung, néantisation )の魔力を封じられているからである。虚無は無の器の内に、封印の蓋の下に眠らされている。それは決して励起することはない。
 しかし、虚無の本質は悪魔(devil)的なものである。この悪魔は無化する力をもつ。無化を正確にいうと、それはフランス語の成語にある通り、〈réduire à néant〉(無に帰さしめる、絶滅する)、つまり〈虚無への還元〉(réduction à néant)である。