【1】〈深淵〉は〈壷〉ないし〈容器〉とも言い換えられるものである。
 前者はパンドラの壷、後者はカバラにおける原数セフィロトの容器として神話化されている出来事に関連している呼称である。
 〈壷〉や〈容器〉は、渾沌ないし洪水である〈影響〉を収納することによって鎮圧する根源的な治水である。イツハク・ルーリアのカバラではこの運動のことを〈収縮〉(ツィムツーム)といっている。
 〈深淵〉とは要するに〈無〉のことである。この〈無〉はしかしただの無ではない。それは一種の特異点であり、そして一種のブラックホールである。この〈深淵〉として初めて出来してきた原初の無の観念を、特にその吸引力に着目して〈否のブラックホール〉と名付ける。

【2】デルフォイの銘文〈汝自身を知れ〉は、無の〈否のブラックホール〉の吸引力によって、〈渾沌〉が、つまり放射能的な〈影響〉がすっかり壷に収まるように収まり、無の内部空間である〈深淵〉の内なる秘密に変えられた後でなければありえない。無とは、まさしくこのような壷である。

【3】壷には〈口〉がある。この〈口〉には封印のための栓または〈蓋〉がされなければならない。さもなければ、〈不在〉という〈渾沌〉の治水は完了せず、封印・鎮魂は完成しない。そして、そればかりか〈無〉の口にされているこの〈蓋〉を開けてしまうことはきわめて危険である。
 この無の口にされている〈蓋〉が〈否定〉である。
 〈否定〉は〈否〉とは異なる。〈否定〉はむしろ〈定められた否〉であり、〈固定された否〉である。
 〈否〉それ自体は、定まるところ、限定されるところをもたず、たちまち無際限化して暴走する危険をはらみもつものである。
 〈否〉は災厄的である。〈否定〉の蓋はこの野蛮な〈否〉を飼い馴らしている。すなわち〈否定〉とは、むしろ〈否〉への首輪なのである。

【4】 〈否のブラックホール〉とは、このような〈否定〉が否定されて自壊し、〈否〉が無際限化して収拾がつかなくなったパラドクサルな超否定的矛盾体である。
 それは懐疑論の自己矛盾の限界を突破し、絶対的否定自体となったような〈否〉であり、その災いの凶星である。

【5】〈否のブラックホール〉の境位において、〈否〉はこのとき、〈非在〉とも〈不在〉ともちがう〈否在〉、或いは反存在、〈反在〉ともいうべき恐るべきものへの変貌を遂げる。否定の否定は肯定ではなく、原初の〈否〉そのものの野蛮な回帰であり、その全滅性の解放である。

【6】〈否定〉の蓋を外された無の壷は災厄を溢れ出させる。或いは、同じことであるが、その中を覗き込んだものを〈否のブラックホール〉である無の本性のなかに吸い込み、引きずり込んで無限に無化してしまう。