Noli Me Tangere 1994年版(未完)より [冒頭] 
第一章 夜鬼逍遙 2-3 歓喜天の叛逆

 では、何故この女神は、自分に二重に敵対している筈の存在に騎乗しているのか?

 エディプス・コンプレックス。子供が父親に反逆する、父親殺しの願望か?
 すると、海から登ってくるこの半象半鯨の怪獣の尻尾の謎も説明がつくかもしれない。

 背後の宇宙の海は、女神=母の子宮を意味する。
 尻尾の形は子宮回帰の願望を、更に女神を乗せているというのは、母親との近親相姦的な結合を意味する。
 するとこの壁画の月女神アルテミスは、ガネーシャの母にして恋人であり、ガネーシャは、父シヴァから母を奪い取るために叛旗を翻しているのだ。
 しかも、父の配下である全ての軍勢を引き連れて。

 何故なら、ガナパティという彼の別名は、思い出すなら、「ガナ」が多数または軍勢を、「パティ」が主または所有者を意味し、併せて軍の総司令官を、つまり父シヴァの全眷族、ガナデヴァタの四大神群を統率する大元帥を意味しているのだから。

 エディプス・コンプレックスがこのガネーシャという神にあるというのも、ガネーシャの神話を思えば察しがつく。
 ガネーシャはシヴァ神の息子といっても、元を質せば、シヴァの精液によらず、女神が一人で自分だけのために造った息子。

 シヴァ神后パールヴァティーは、夫の留守を狙い、自分の垢を捏ね上げていわばゴーレムを作り、命を吹き込んで言う。《わたしのために尽くせ》と。
 最初の用事は門番だった。パールヴァティーの入浴中、誰も彼女の裸体を覗かぬよう、家の見張りに立ち、誰が来ても中に入れてはならないと。
 そこへ家の主シヴァが帰宅する。シヴァとガネーシャは父子の仲とは合い知らず、ちょうどオイディプスと実父・テーバイ王ライオスのように争いになるが、結果はオイディプスとは逆になる。父シヴァが息子とは知らずにガネーシャの首を刎ねてしまう。
 首を切るというのは、去勢するというのと同じ意味で、エディプス・コンプレックスの典型的象徴表現だ。
 パールヴァティーは嘆き、シヴァは、やむなく通りすがりの象を殺して首を取り、ガネーシャの首無し死体を蘇らせる。象頭の由来はここからくる。

 今、ガネーシャはそのときの恨みを晴らそうと父シヴァに刃物を向けている。戴く女神が処女神アルテミスであると同時に母なるパールヴァティーでもあるとすれば、そこには更に別の形態も隠されている筈だ。

 ガネーシャは水蓮の華を持っている。水蓮はパールヴァティーの象徴だ。

 パールヴァティーといえば、ヒンドゥー教のヴィーナス、ヒマラヤの雪に譬えられる『山の娘』、絶世の美女にして女性の理想像として最大の称賛を与えられた女神。だが、ひとたび怒れば、その強さと恐ろしさは夫シヴァを凌ぐ凶暴な魔神に変ずるという。

 虎に乗る姿で知られる怒りの炎の娘ドゥルガー、更にそのドゥルガーが激しく怒るとき、その貌は黒変して、血に飢え狂い、敵の首を切り落としてとめどもなく、全世界を打ち砕くまで破壊のダンスを続けるという、世界の神話で最凶最悪の暗黒女神カーリーになるといわれている。

 カーリーとは男の首を切り落とす者であり、骸骨の首飾りをぶら下げ、夫シヴァを踏み付けにし、赤い舌を出し、犠牲者のまだ血の瀝る生首を持つそのおぞましい姿で知られる。この姿は、神話の表層では触れられていないが、シヴァを殺害・去勢してしまっていることを象徴的に表している。カーリーとは、夫シヴァの殺害者に他ならない。

 ガネーシャは、月に呪いをかけた神話で知られる。
 月に嘲られたことを恨み、ガネーシャは右の牙を折って、月に投げつけて言う。《今後おまえは呪われ、誰一人おまえの姿を仰がなくなるであろう》。
 この呪いのため、月を見た者すべてに災いが降り懸かるようになる。
 月は忌まれて万人から目を背けられるようになる。
 悲観した月は水蓮華〔パドマ〕の陰に身を隠してしまう。
 こうして暗黒の夜が続く。
 神々はガネーシャを諌め、呪いを解くよう説得する。
 ガネーシャはしぶしぶ呪いを和らげるが、完全には解かなかったという。
 このため月は満ち欠けをするようになったと説明される。

 つまり、戴く月の女神を呪うとは、月の呪われた姿を召喚すること、黒い月を、恐るべき暗黒女神カーリーを呼び出すことを意味する。

 壁画の象の右の牙が折れているとは、この優しい女神アルテミスが既に呪われていることを、つまり、シヴァを殺害する者として呼ばれ、かつぎ出されていることを暗示しているに違いない。

 ガネーシャはまた、四本の腕を生やし、四つの武器を持つ。
 そのうち剣を除く三つはヴィシュヌの武器だ。

 ヴィシュヌといえば、ヒンドゥー教に於いて、シヴァと主神の座を争うライヴァル的存在だ。
 しかも、その別名を思い出すなら、チャトゥルブジャ(四つの武器を持つ者)である。

 更にヴィシュヌにはナーラーヤナの別名がある。 これは、《宇宙の水を住居とする者》を意味する。壁画の象の下半身は鯨であり、まさに宇宙の水、ヴィシュヌの家から出てきたところが描かれている。またヴィシュヌの10の化身〔アヴァターラ〕の一つに、巨大魚マツヤという存在がある。ガネーシャの奇妙な鯨身は、このマツヤへの変身を暗示しているのかもしれない。

 壁画の象の下には、なお四匹の奇妙な獣群の姿がある。

 そのうち一番上は異形の鳥であり、大きく四枚の白い羽を広げ、二つの頭を持つ。
 一つは鳩に似た丸い形の頭をちょうど真上から見た形をしており、その嘴に紐を銜えている。
 女神を乗せた巨象は、古代の戦車が馬に牽かれていたように、この紐で地上へと引っ張られている。

 もう一つの鳥の頭は大白鳥のもので、鳩頭の真下から長く首を伸ばし、途中で向かって右に曲がり、嘴には女神の持っているあの異常に長大な矢を銜え、それをまさしく槍のように鳥の真下に横たわる、鹿の頭をした奇妙な裸体の男の心臓に突き刺している。
 血は流れていないが、鏃の水晶が恰も血を吸ったように赤く染まり、ルビーの結晶に変わっている。

 残り二匹の獣は、向かって右が白い虎、向かって左が金色隻眼の水牛で、左右対称のかたちに上の異形の白鳥の両翼の真下からこちらへと一歩踏み出してきている。
 その踏み出した前足で、下の鹿の頭をした男の体を左右から踏み付けにしている。

 虎、牛、鹿はひとまず措くとして、白い異形の鳥が象の戦車を牽引していることに百目鬼は着目する。
 このような鳥の像を百目鬼は見たことがなかったが、形こそ全く違えど、インド神話には異形の鳥神がいない訳ではない。

 龍神をも喰らうというガルーダである。
 迦楼羅天とも金翅鳥とも呼ばれる赤い翼の怪鳥だ。

 鳥類の王者と呼ばれるこの鳥は、また、ヴィシュヌ神の乗物としても有名だ。
 壁画の鳥を強引にガルーダと同一視するなら、ガネーシャはここでもヴィシュヌを模倣していることになるのではないか。

 ガルーダは龍=蛇であるナーガの天敵。
 ナーガというのはインドコブラを神格化した存在で、また、シヴァの象徴でもある。
 壁画の白鳥はシヴァを殺して喰うというガネーシャの父親殺しの意志を裏書きしているのではないか。

 ガネーシャは、父シヴァを否認して親子の縁を切り、自らをヴィシュヌの子であると主張し、ヴィシュヌと母パールヴァティー=カーリー、更に、シヴァの配下の軍勢すら引き連れ、徹底的にシヴァを孤立させた揚句に殺そうとしているのだ!