現実の人生の厳しさを生きているのは子供だ。
 子供達は今、生きるか死ぬかの瀬戸際をあなたの目の前で生きている。
 あなたが放棄した人生を戦い取ろうと我が身を犠牲にし、
 人の心を失ってまで、鬼のような形相をして
 嘘ではないほんとうの殺し合いをやっている。
 
 その殺し合いをさせておきながら、
 卑劣な大人たちよ、
 おまえたちは自分たちこそ子供に甘え切って平和を貪り、
 金だの出世だのという世にもみにくいねぼけた夢を見ている癖をして、
 おまえたちが怖くて何も言えない立場に置かれた者たちを見下し、
 やれ甘えるな、寝ぼけたことを言うな、
 現実を見ろ、勉強しろ、学校に行け、塾に行け、
 よく遊びよく学べ、悪いことをするな、
 弱い者いじめをするな、立派な大人になれ、
 自殺をするな、親を信じろ、
 先生のいうことをきけ、
 邪悪な命令と恫喝と操作ばかりやっている。

 目下の人間に甘えるなとは何事だ。
 甘えるのは子供の当然の権利だ。
 それを剥奪するような大人は
 自分がいつまでも子供に甘えた大きな子供でいたいから、
 平気で甘えるなと口にするのだ。

 甘ったれの大人が一番甘えるなという言葉を乱用する。
 甘えるなという怒鳴り声以上に
 甘ったれたかぎりもなくみにくい憎むべき欺瞞はない。
 立場の弱い人間を甘ったれ呼ばわりして
 安全な高いところから冷笑侮蔑したり
 叱咤激励したりするような奴は必ずや人間のクズである。

 甘えの論理は、怠惰な強者が勤勉な弱者を軍隊式に虐待して
 屈辱と恥辱を与えサディスティックな悦びにひたるために便利がよいので
 よく愛用されてきた愛の鞭だ。

 だがその鞭を振り回す人間は
 自分こそがかぎりもなくみにくく無知で無恥で
 一番腐敗しきった甘えん坊であることに永遠に気づかない。
 それどころか
 自分は高貴なことをしてやっているつもりでいるのだから驚きだ。
 甘えるなと相手に叱れば相手は甘えることをやめ
 一人前の自立した大人になると信じきっている。

 自立だなんてとんでもない。
 その叫びのせいで一時は脅えて大人しくなってみえるだけの話だ。
 逆にその相手は
 叱り付けた人間に対する絶望的で恐怖にみちた
 少しも甘えてなどいない
 脅え切った奴隷のような依存度を強められてしまう。

 精神の自立を妨害し、残酷な恐怖で相手を呪縛しておいて、
 その相手にみっともなく甘えた奴という
 恥の意識を植え付けて誇りを傷つけ、
 そのような精神的強姦をやっておきながら、
 相手は俺に甘えてきたから俺を愛しているのだなどと
 妄想によって自己を美化し
 そのたんに野蛮なだけの暴力を正当化しているに過ぎない。

 そうやって忠実な軍人が作られるとき、
 それは教育ではなく洗脳であり、
 高貴な人間の魂は殺され、
 愚劣な空しいものの奴隷となって
 虫ケラのように働き働いて死ぬことだけが美しいと考える、
 生きるのをやめてしまったみにくい人間に改造されている。

 それは一人前の軍人かも知れないが
 子供よりも幼稚な人間であり、
 断じて一人前の大人といえるものではない。

 無意味にいばり散らし
 女子供を抑圧して下劣で怠惰な快楽にふけり、
 物欲と権力欲と性欲の奴隷となって
 かぎりもなくみにくく脂ぎって、
 自分の高貴だったはずの人生が
 駄目になってしまっていることを倒錯的に誇りにし、
 その上、よせばよいのに他人の人生にまで
 余計なばかりか有害なお節介を老婆心から焼き始める。

 冷笑だの忠告だの親切だの教訓だの
 ありとあらゆる手段をつかって邪魔立てをし、
 自分が一番頭が悪い癖に他人の人生の調子を狂わせ、
 すっかりぶち壊しにしてやった恩を押し売りして、
 俺様に感謝しろと胸を張るのだ。

 このかぎりもなくみにくい国には
 こうした精神異常の自己欺瞞的な犯罪者が野放しで闊歩し、
 そこいらじゅうをうろつきまわって、新たな犠牲者を捜し回っている。

 自分の複製をつくるために交尾をし、
 せっかく人間に生まれ人生を生きようとする子供をつかまえては
 自分がいかに己れの人生を目茶苦茶にされ
 無力で立派なみにくい人間になりはてたかの経験談を
 実に嬉しそうに何度も何度も話してきかせ、
 さあおまえも俺のように、いや、俺以上に、
 みにくく知性のない恥知らずの不幸で不自由ないかれた人間に
 なれば楽でいいぞ、
 一生懸命頑張ってこのみにくい社会と現実に適応して
 金儲け以外のことは考えられないみにくい人間になりなさい、
 さもなければお前をこっぴどく痛め付けてやると
 かぎりもなくぶきみなことを口にし、
 それを聞いて蒼くなった子供に
 可愛らしく空虚な微笑を浮かべることを強制するのである。

 限りもなく陳腐で凡庸な人生はこのようにして調教されて生まれるのだ。

 きらめきのない薄汚れた人生は
 それを美しい物語だと信じる
 みにくい多くの人間の失敗した人生から生まれる
 醜悪で難解な駄作の哲学に権威づけられて生じる。

 つまり常識と称する紋切型の愚鈍にして凡庸だが
 かぎりもなく凶暴な侮蔑的な大衆の抑圧的な哲学によって
 捏造されたものなのだ。

 それは人生を規格化し、
 強制的に凡庸化し紋切型の均一の
 蒼白い無言の労働力と購買力に変換して、
 唯一の物語であるカネに奉仕させる。

 うすよごれた白いかがやきであるカネの物語の栄光に掻き消されて、
 万人の人生のきらめきは消え、
 その物語はすべて醜悪で凡庸で退屈な
 いじましい小さな貧しい物語である〈小説〉にまで矮小化され、
 カネのご威光のもとに統合されてしまっている。

 たとえばわたしたちが書店で本を買い、映画館で映画を見、
 ビデオ屋でビデオを借り、レコード店でCDを買う。
 このとき必ずカネを落とし、わたしたちは貧しくなることを強いられる。

 わたしたちから巻き上げられたカネは、どこに消えるのか。
 わたしたちはそれを見たくはない。
 大きな、最もみにくい物語の
 呪縛する巨大な影から逃げるようにして、
 みにくく、かぎりもなく小さくみにくく
 わたしたちは閉じこもるための小さな場処を捜して足早に過ぎ去るのだ。

 だが背後では巨大な悪魔が笑っている。
 あなたには奴の下劣なざわめきが聞こえないか。ほら、
 何万部売れた、何人動員した、また儲かった、
 また一人買っていった、お買い上げありがとうございます。チーン。

 冷酷で興ざめするぞっとする別の物語が
 逃げ去る背中を指さして笑っている。
 背後を振り返る勇気は誰にもない。
 自分がレジスターのなかに呑まれてゆき、
 かぎりもなく白くうすぎたない物語のかがやきのなかに回収されて
 跡形もなく消えうせてゆく悔しい、かぎりもなく悔しく
 醜悪で恐ろしい瞬間を見たいとは思わないのだ。

 唯一の物語である資本主義の残忍で冷酷な物語。
 金持ちは益々金持ちになり、貧乏人は益々貧乏人になる。
 しかし全ての人が本当は貧困であり無名でありみにくい、
 かぎりなくみにくい虫ケラへとどんどん小さく退化してゆく。

 しかし、自分の高貴な人生をさっさと放棄してしまった
 みにくい人間に偉そうに子供に人生を語る資格はない。
 人生を強制する資格はもっとない。
 否、そもそも生きている資格すらない。
 とっとと死んでくれた方が世のため人のためわが子のためである。

 そういう人間は死んだも同然なのであるから、
 身代わりに子供を死なせるようなみにくいことはやめ、
 また自分の死体の世話を子供に焼かせて子供に迷惑をかけることをせず、
 おまえを生んですみませんと子供に土下座して謝って、
 自分で自分の人生に始末をつけろ。
 考えなしに親などになったおまえが悪いのだ。

 自分は戦士でもないくせに
 子供を前線に送って戦死させたがるような親は生きる資格がない。
 救われるだけの価値はない。
 そういう曲がった愛で子供を歪める人間が最悪の子供の敵、
 つまり真の人類の敵である。

 そういう人間は自由や幸福を愛していない。
 隷属と不幸が未来永劫人類の上にあればいいと願っている
 みにくい悪魔なのである。

 反動的な人間はどんな親切面をうかべていようと、
 またどれほど善良な良識ある小市民であろうと、
 その心がどんなにおめでたいきれいごとだけでできていようと、
 このみにくい世界の現状をしかたないじゃないかという限り、
 世界の邪悪に加担している。

 反動的な人間はどんな否定的消極的な仕方であれ
 現状追認と体制順応を受諾するかぎり、
 この醜悪な世界を美化するための新たな犠牲者の誕生を
 心のどこかで陰険に待っているのである。

 反動的な人間は己れの手を汚さず、
 己れの体を傷つけず、己れの血を流すことなく、
 世界が誰か他の人の血と命と犠牲によって贖われることを望んでいる。

 反動的な人間は、往々にして進歩主義者で、また救世主待望論者である。
 反動的な人間は科学と啓蒙の力を信じ、
 おめでたくて退屈な豊かな未来像を現在の延長線上に思い描き、
 その幻想にアグラをかく。
 しかもその幻想を決して心から信じ、
 それに忠実に生きようとさえしていない。

 こういう大人や親はみにくい卑怯な人間である。
 みにくい不誠実な人間である。
 このようにみにくい大人たちが生き、
 自分のみにくさを棚に上げて、
 子供たちを美しくしようとし、
 子供の上に美しい期待の幻想をお仕着せにし、
 子供がみにくい人間となってみにくく死ぬことを助長している。

 一番いけないのは、子供たちに自分たちのみにくい文化を押し付け、
 子供の心を呪縛して精神の自由を、魂を奪おうとすることである。
 子供に、それほどみにくい自分たちを愛させようとして
 みにくさの上塗りのみにくい嘘で
 自分たちの傲慢な支配を隠蔽することである。

 子供はそのために苦しむ。
 子供が真の世界に真に生きてゆくためには、
 こうした大人たちの作り出した美しい虚飾を厳しく引き裂き、
 そのみにくさを断固として破壊してゆく他にはありえない。

 大人たちが賢く世知にたけていて、
 子供には知性がないというのは思い上がりも甚だしい。
 否、真の知性は童心からしかやってこない。