ひとつのかぎりもなく陳腐で凡庸なものの話をしよう。
 それは〈みにくいもの〉についての話である。

 しかし、〈みにくいもの〉ほど謎めいていて正体不明なものはない。
 それはわたしたちを呪縛しているからである。
 わたしたちは常にそれを無視するように条件づけられている。
 
 〈みにくいもの〉は己れのみにくい顔をとてもみにくいと思っている。
 〈みにくいもの〉はだからわたしたちの視界から
 跡形もなく姿を消してしまっている。
 また、その〈みにくいもの〉を
 わたしたちは余りにもみにくいと思っているので、
 それを無視してしまう。

 みにくさというのはそれの陳腐さと凡庸さである。
 わたしたちはだからそれを侮る。
 しかし、わたしたちのこの〈みにくいもの〉への侮蔑ほど
 不毛なものはない。
 そしてこの侮蔑はつねに危うい不安定さをはらんでいる。

 〈みにくいもの〉はふだんは静かにおとなしくしている。
 〈みにくいもの〉ほどやさしいものはない。
 みにくいアヒルの子がちいさくなって脅え切って
 群れのなかでしずかにしているとき、
 その子は群れのなかで最もおとなしいいい子で、
 お母さんのアヒルはその子の控えめなやさしさに
 慈しみと哀れみの一瞥をただ送り向けるだけだ。

 わたしが侮蔑という強い言い方で名指しているのは
 このかぎりもなくやさしい愛のことだ。
 このかぎりもなくやさしい愛が世界にやわらかい魔法をかける。
 この魔法の働きは優美である。
 
 優美さはしずかに作用し、うすよごれたみにくさは消えうせる。
 みにくいアヒルの子はおのれのみにくさを忘れて、やすらかな眠りにつく。
 お母さんアヒルはその子の顔に魔法をかける。
 お話をやさしい声で読んできかせる。
 きれいな童話をきれいな声で読んでやって、
 心からその傷つきやすいやさしい子をいとおしむ。
 だからその子は母の翼の下で安心して眠りにつくことができる。
 こわくない、やさしい夢をその子は眺め、眠りにつく。

 お母さんのひとみで、その子の寝顔をみつめてごらん。
 その子のみにくさはきれいに消えうせている。
 その子は別に目が覚めるほど美しいわけではないが、
 その顔はやすらかで、そして、とてもきれいだ。

 魔法はこのように平和を作り出す。
 平和とはこのように自然なやさしい微笑みのことである。
 それは単純な平安であり、安らぎと慰めにみちた暖かい空間である。

 この平和には栄光はない。かがやかしさはなく、
 それはみすぼらしい貧しさのなかにある。

 みにくいアヒルの子はひとりではない。
 どの子供も同じようにうすよごれしていて、
 その毛並みは灰色でぱっとしない。
 似たり寄ったりの凡庸な顔をうかべて、
 ちいさな未熟な場処に身を寄せあって眠っている。

 母の翼がそれを保護する。それは愚かしい光景である。
 子供たちの見る夢も愚かしい。
 下らない幼稚な空想であることはたかが知れている。
 その陳腐な凡庸さをわざわざ指摘してやることほど
 凡庸な老婆心というものはない。

 だが、それ以上に、陳腐で凡庸では済まない問題がある。
 その老婆的人間のお節介な冷やかしは
 有難迷惑であるばかりか破壊的な作用を及ぼす。
 友好的な表情を浮かべたいやみな人間が忍び寄るとき、悪夢が始まる。

 子供達は魘されて怪物の夢を見るのだ。
 怪物が姿のはっきりとみえるゴジラのような怪獣であるならまだいい。
 いけないのは妖怪だ。