妖怪という奴はつかみどころがなく、のっぺらぼうで、
 そして、本質的に姿や形というものをもたない。
 不可視の妖怪が枕辺に忍び寄るとき、得体の知れない脅迫がはじまる。
 異妖な予感として、不穏な気配として、妖怪はやってくる。
 それは呪縛する力である。

 子供達は金縛りにあい、目覚めることも眠ることもできぬ悪夢の力、
 侮蔑する現実の力に、絶望に打ちのめされる。
 絶望とは呪縛される子供の感じるかぎりもなく苦く辛い孤独である。
 声も出ず、体も動かない。呪縛とは魔法の挫折である。

 呪縛が強いるのは啓蒙ではなく幻滅である。
 幻滅は人間を解放しない。恐怖が胸を抉り、魂を苦く凍りつかせ、
 かぎりもなく暗く全宇宙を呪い、
 全世界を憎悪の怒りによって破壊し尽くすのだという
 暴力的な復讐の誓いなくして、
 打ちのめされた子供はその孤独から蘇ってくることはできない。

 このとき子供は怒りに満ちた偉大な魂をつかむ。
 怒りの神のメギドの火が全身にみなぎるとき、
 子供のなかに受胎される黒いかがやきのシンボルがある。

 〈黒いかがやき〉は、
 やがてのちに述べる〈白いかがやき〉の対極に位置するもので、
 かぎりもなくみにくいみかけのなかに
 かぎりもなく美しいものを把持している。
 それはかぎりもなく強い自我の内面的なイメージである。

 激しい殺意と熱い愛の感情のなかに、
 一度は裏切られた魔法がふかしぎな変容を遂げて生まれ変わるとき、
 この魔法は二度と決して敗北することのない不死で強靭なものとなる。
 虐げられた人々の無言の胸の中に、
 この怒りの神は必ずありありとした炎の実感を伴って受胎される。
 〈秘教〉が誕生するのはこのときである。

 ロマンチックな情念の炎のなかに生まれる自我は、
 抽象的な自由の空間から
 天使的に演繹された近代的個人主義の凡庸な自我とは
 まったく対立するものである。

 この〈黒いかがやき〉は、
 永遠に栄光の〈白いかがやき〉を纏うことはない。
 寧ろつねに〈白いかがやき〉を覆すためにだけやってくる。
 それは永遠に地上に王国をうちたてることはなく、地下にとどまる。
 それは真の大地の意志である。
 地球を憎悪し、大宇宙を憎悪する偉大な愛の意志である。
 大いなる怪獣は地底の深淵につねに炎の心臓をもって生まれる。
 瞠目すべき神秘である。

 黒い夢はもはや悪夢ではなく、
 人間がそれを食べて生きる力に換えることのできる、
 厳しいが、かぎりなく心強い夢見る力に変容している。

 〈黒いかがやき〉をだからここで一応、
 想像力/イマジネーションの語で押さえておくことにする。
 しかし、想像力=イマジネーションという
 ひよわで凡庸きわまりないことばはまだ
 〈黒いかがやき〉の偉大な神秘のかすかな片鱗を掠めるものに過ぎない。

 想像力ということばがいけないのは、とても皮肉なことだが、
 力なく現実を動かすことのできない想像として、
 それがすぐに空しくされ、
 たんに愚かな自閉した〈空想〉へと諦めるように衰退していってしまう、
 それが着せられてしまっている
 身動きのとれないイメージの濡衣のせいである。

 想像力はじつは決してそのようなイメージのもとに押さえ込まれ、
 眠らされて考えられるべきものではない。
 それは想像力というものを実に愚劣な型に嵌めてスポイルし、
 てなずけておとなしくさせておこうとしているものにすぎない。
 このイメージは想像力に押し付けられ、
 その真の正体を見失わせようとする汚名である。

 ここに愛が侮蔑にすりかわってしまうみにくい瞬間がある。
 
 母の魔法は挫折する宿命にある。
 しかしだからといって子の受胎した秘密の魔術の力は
 挫折するとは限らない。
 空想へと衰弱し、夢のおぼろさに消えうせて、
 やがて〈現実〉の厳しさに咬み砕かれたとしても、
 勝利するのは〈現実〉という実体なき妖怪ではなく、
 子のなかに転生して見知らぬ別人に変貌した
 彼女自身の魔法の力なのである。

 愚かな母親はその盲目的な愛のために自分自身の偉大さがみえない。
 かつて己れが崇拝したものを侮蔑してしまうのである。
 このようにして彼女は自分自身を裏切ってしまうので
 復讐されてしまうのに、
 その厳しさが〈現実〉からやってきたものと誤解してしまう。
 だがその〈現実〉こそ全く無力でむなしい死せる幻影でしかないのだ。

 彼女は知らない。自分自身が女神であったことを。
 もし女神でなかったとしたら、
 子供に魔法をかけることすらできなかった癖に。

 そして更に彼女は知らない。
 彼女はいまも魔法をかけ、
 〈現実〉を創造する万能の力をその手に保持し続けていることを。
 自分自身が女神であることを忘れるとき、
 母親というものは
 不断に妖怪を生み出す醜悪で邪悪な魔女になり果ててしまう。

 〈現実〉の名においてかけられる魔法、
 それ自身が魔法であるにすぎないのに
 魔法などはないのだと嘘をつきながら振り回される魔法ほど
 邪悪な魔法はない。

 知らぬ間に彼女はまた〈愛〉の名において、
 狂ったように〈愛〉なき世界をヒステリックに創造して、
 愛する子をその手にかけて殺すために全力を傾ける。

 彼女は〈現実〉の厳しさを教えると称して
 〈空想〉の死せる鏡のなかに子供の万能の力を呪縛しようと躍起になり、
 折角自分が生み出し哺み育ててきた可愛い子供の
 偉大な生命の力を破壊するためにありとあらゆることをする。

 子供から人生を収奪し、生命の自由な運動を先回りして妨害し、
 自分以外のものに恋愛すれば嫉妬の鬼となって幸福へのチャンスを砕き、
 反抗すれば親不孝の悪党と呼んで罪を着せ、
 従順な奴隷のように卑屈になれば親孝行と褒めたたえ、
 育ててくれた恩への感謝を強制し、
 己れをみにくく神格化して
 子供を親孝行以外はなにもできない無能なロボットにし、
 あげくのはてに子供の人生を破壊し尽くしたことを自慢の種にする。

 そして子供が最高の親孝行であるところの自殺をしてしまったとき、
 ああ本当に良い子だったと
 かぎりもなくみにくく美しい愛の幻想の完成を葬式の席で祝うのである。