僕は青少年期の大半を「離人症」という奇妙な病に憑かれて過ごした。
 それはきわめて「死」に近い病である。この病に憑かれている間、恐らく僕は「死」を帯びていた。
 なぜ、僕は「死」を帯びるに到ったのか、そしていかにしてそれを辛くも生き延び、そして今、何とか病を克して「命」ある世界に還ったか。以下に掲げる文章は、そのころを振り返りつつ、過去の自分と対決し、自分の精神的問題に決着をつけようとして書いたものである。

僕に関する報告(1994年頃の自己分析の記録より)

 僕が生まれる前、兄が死んだ。
 生後数カ月しか生きていなかった。
 母は僕が胎にいる間もそのことを思い出して泣いていたという。
 このことが僕の一生に初めから青白い憂愁と幻想的な影を投げかけた。
 死せる兄のことは長じても、現在に至るまで、
 相変わらず僕の精神の根底に疼き続けている。
 この疼きがどうして生じたものか、僕は知らない。
 疼きのなかに兄は奇妙な仕方で生き続けていた。
 そして、母と僕の関係に自然でない歪みのようなものが
 この兄を巡って生じた。

 妹が生まれたのは3才ごろである。
 郷里は雪国であって、彼女は輝く雪のなかに生まれた。
 それから僅かして、曾祖母が亡くなった。
 相前後する誕生と死の記憶は今もまざまざと昨日のことのように鮮明だ。
 兄の死が心のなかに滑り込んできたのは
 この二つの出来事の狭間にあってであった。
 妹の誕生によって、僕は兄となり、兄の意味を知った。
 曾祖母の死によって、
 その隣に並べられている白黒写真に写る赤ん坊がどうなったかを知った。

 それと一緒に思い出されるのは、
 京都のツタンカーメン展に行ったことである。
 死者の復活を信じた古代エジプト人が行ったミイラの魔法。
 夭折した少年王の黄金マスクの生き生きとした輝き。
 ツタンカーメンと兄がこの日溶け合った。
 この融合は今も生きている。

 死んだ少年は黄金の強力な魔力を纏い、
 神にも等しい力を僕の心の奥底に永遠に保持している。

 それは死をも現実をも覆す復活の奇跡を起こす力である。
 これは死せる兄の肯定面である。永遠の生命と無限の可能性。

 だが一方で、幼い僕はミイラの無気味さにもショックを受けた。

 小学校に上がる直前、父の転勤で三重県に引っ越した。
 僕は水が合わなくて、アレルギー性皮膚炎を起こした。
 そのため繃帯で手足を巻かれる羽目になった。
 ミイラみたいになってしまったのだ。

 入れられた幼稚園はルター派の教会にくっついていた。
 そこで初めてキリスト教なるものに出くわす。
 磔刑図。エジプト脱出。そして、ラザロの復活。
 
 牧師の話は衝撃だった。そのとき、重苦しいものがのしかかってきた。
 だが、これ以上語ると複雑になる。
 重要なのは、僕はそのとき決定的に
 エホバの神とイエスに余り心地よくない仕方で
 圧倒的に烙印を押されてしまったということであり、
 ツタンカーメンとキリストが
 《死者の復活》という一点で結び付けられながら、
 エジプト脱出の話によって緊張した対立関係におかれたということ。
 そして、僕がラザロと自分を同一視してしまったということである。

 僕は神を信じた。だが同時に心を引き裂かれた。

 アレルギー性皮膚炎はその後も暫く、秋になる度にぶりかえした。
 繃帯はつらかった。だがもっとつらかったのは、
 それをいじめのネタにされたことだった。
 僕は死せるラザロのように陰気な繃帯のなかに閉じこもった。

 外で遊ぶのが大嫌いになった。
 小学校時代は、理科好きのおとなしい子供だった。
 また、母が万年文学少女だった影響で、物凄い本好きになった。
 気質も遺伝していた。本の外には空想と怪獣と昆虫が好きだった。
 アポロの月着陸のあったのは小学校低学年の頃。
 大体男の子は宇宙飛行士に憧れたものだったが、
 僕だけは天文学者になりたかった。

 そのため星座が好きになった。
 夜空を見上げながら宇宙空間に心を開くと、
 自分がまさに真空宇宙を浮遊しているような甘美な、
 だがとても孤独な感情に捕らわれた。

 星座の話とくれば神話だ。
 僕はギリシャ神話と北欧神話に耽溺した。
 母は宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』をよく読んでくれた。
 それからリルケやハイネの詩も。

 意味の分からぬドイツ語の響きの底に物悲しいきらめきがあった。
 やがて知った、それらは、愛する者の死を歌った詩だったということを。
 また茫漠と母がカンパネルラと死せる兄を重ねていることを感じていた。

 日曜にはボーイスカウトがあった。
 これは嫌いだった。
 ただ、ボーイスカウトの拠点というのが、例の教会であり、
 礼拝と日曜学校を兼ねていたことを付け加えておく。

 つまりほぼまるまる七年間、三重県に住んでいる間じゅう、
 僕はプロテスタントの宗教教育を受けていたことになる。

 それは濃密なものではなかった。
 また我が家は浄土真宗の檀家であって、
 宗教的な雰囲気は全くといっていい程ない。
 母がそんな処に通わせたのは、
 教養を身につけさせたいという配慮からだったのだろう。
 シェイクスピアとホメロスと聖書は、西洋文化の基礎であり、
 幼いときからそれに触れさせておくのがよいというのが母の持論だった。

 だが、こうしたキリスト教との接触が
 信仰を形成するまでには至らなかったにせよ、
 そこには少し不気味な、
 無意識的な観念連合の呪縛を形成するには十分なものがあった。

 そして、なまじ敬虔な信仰というものを持たなかったからこそ、
 この無意識的なキリスト教の呪縛の力は、
 信仰以上に恐ろしい暗示の働きで
 僕の実存をその深みの奥底でがっちりと捕まえ、
 運命的に絡めとることになったのだった。

 僕の姓の最初の文字は《神》である。
 父の名は《四郎》という。妹の名は《典子》である。
 キリスト教は固有名との不気味な偶然の一致によって
 僕を個人的に呪縛していた。

 キリスト教の父なる神は四文字の名を持ち、
 法典トーラーによって支配する神である。

 このイメージは寧ろユダヤ教的・旧約聖書なものであるが、
 実際に僕がエホバについて持ったイメージは
 ユダヤ教的な恐ろしい神であった。

 現実の父や妹との関係がこうした連想の元なのか、
 それとも連想が現実の関係を規定したのか。
 父と妹に対する疎遠さ、違和感、
 漠然とした不信感や敵意めいたものの奥底に
 旧約的な神のイメージがある。

 それは心を許せる家族というより、
 契約の履行・不履行がいつも問題となってしまう
 不吉で緊張を孕んだ関係を予告するものだった。

 父は婿養子であり、また妹の名前は、
 母の死んだ叔母の名前から取られたものでもあった。

 エディプスコンプレクスとか兄弟への嫉妬とかいう
 よく知られた心理学上の事態に、
 こうした半ば神秘的な暗合はより込み入った色合いを投げかけた。

 父と妹は、僕にとって通常以上によそよそしい、
 別世界からの不気味な客人であり、
 また、威圧的で、制限的な、信用のならない権力者と映った。

 母親の愛を独占したいという幼児の強力な心性が当然、
 こうした父や妹への無意識的な敵意の背後に横たわっている。

 プロテスタントは聖母については余り語らない。
 けれども、恐らく幼い僕の空想のなかで、
 父と妹からなる旧約的《掟》の世界を排除しながら、
 母と僕だけからなる新約的な《愛》の世界のイメージが、
 マリアとイエスの関係を下図にして
 形成されていったのではないかと思われるのだ。

 《神》の家は、母と息子の繋がりだけからなる。
 それは神秘的な世界であり、現実世界に対立する。

 神秘とは何か――死者の復活である。
 死者とは誰か――死んだ兄である。
 《神》の家は、死んだ兄の幻想の上に立つ。
 それは目に見えない家である。母と兄と僕の家。
 兄の死の悲しみを共有する母と僕の間で時が永遠に止まっていること。

 母の朗読する『銀河鉄道の夜』。
 母の愛する文学と空想の世界。
 僕はそこに一体化し、幻想の宇宙そのものとなっていた。
 その宇宙は無限の愛の涙を湛えた青い海である。
 僕はそこで、兄の死を悲しむ母であり、また、死んだ兄でもあった。

 今でも、ミケランジェロのピエタを見たり、
 イエスの墓の前で泣くマグダラのマリアの背後に近づく
 復活したキリストの物語を読むたび、
 何とも言えぬ感情が胸に込み上げてくる。
 僕は僕ではなく、死んだ兄の蘇りなのだという狂おしい想念。

 背中を向けて泣いている青い服の幻の姿。
 周囲は暗く、女は永遠に若いままで、そこで青白くぼーっと輝いている。
 手前には、恐ろしく深そうな池が見える。
 彼女の流した涙がそんなに溜まったのか、
 それともその池に愛する子供が溺れて死んだのか
 (兄は乳を喉に詰まらせて死んだらしい――《溺死》である)。
 この映像、この幻が僕を呪縛する。
 僕は彼女の背後に立って、
 話しかけたい、振り向かせたいという強い誘惑に駆られるが、
 躊躇い、そして断念する。

 僕はその女に話しかけられない/或いは、話しかけてはならないのだ。

 僕はそこで宙ぶらりんになる。

 僕はその女の顔を知らない。誰であるのかを知らない。
 それは母であって母ではない。
 現実の母は年老いてゆくが、彼女は永久に若いままだ。
 もし、母であったとしても、恐らくそのとき、
 僕はまだ生まれていないのだから、彼女はまだ僕の母ではない。
 つまり、いかなるときでも、僕は彼女に語りかける術を、
 振り向かせる術を持たないのである。

 僕は彼女の背後に立ちながら、立っていることは不可能なのだ。
 そこには永遠にいることがない。
 自分が決してそこにいない場処に僕は呪縛されていた。

 これがアポリアだ。決して解くことのできないゴルディアスの結び目。
 アレクサンダーの剣だけがこれを両断するだろう
 ――そして、ゴルディアスの結び目を解くものはアジアの霸者となり、
 東と西を一つにするだろう。
 それがゴルディアスの結び目に関する予言である。
 《東と西を一つにする》――この言葉は考えれば考える程不気味である。

 だが、現実の時間を超越することの不可能性だけが問題なのではない。
 僕の声が彼女へと届くことを不可能ならしめるこの遮断は、
 僕の心の躊躇のなかに、谺し続ける掟の声のためでもある。
 掟といっても近親相姦のタブーなどという分かりやすいものではない。
 その掟にはもっと深い響きがあるのだ。

 掟とは《ノリ・メ・タンゲレ》という謎の言葉である。
 《我に触るるな、我いまだ父の元に上らざるが故に》。
 イエスはマグダラのマリアを振り向かせるが、
 直ちにそう言わざるを得なかった。

 《ノリ・メ・タンゲレ》とは何を意味するのか。
 僕はやがて長じてからもこの言葉の謎の結び目に
 縛り付けられ続けていたように思う。

 この言葉が僕の心のなかに、
 アンデルセン童話の『雪の女王』に出てくるカイ少年の
 目の氷/硝子の破片のように、突き刺さって心を奪い、
 心を凍りつかせてしまっていたのだ。

 《我に触るるな》――同じ言葉をナルシスはエコーに言った。
 エコーは消えて彼の言葉の空虚な谺となり、
 美少年ナルシスは十六歳の若さで、
 己れの泉に映る姿を恋して死ななければならなくなる。
 彼の死んでいったその水面にも《ノリ・メ・タンゲレ》はある。

 テイレシアスの予言がその裏面をなす。
 《彼は自分自身を知ったときに死ぬ》と。

 だが《汝自身を知れ》とは、
 デルフォイの格言であり、哲学者の使命である。
 ということは哲学とは死に向かう運動なのだろうか。
 ソクラテスは確かに毒人参を飲んで自殺しなければならなかった。

 もうひとつ、注意を促しておきたい。
 マグダラのマリアは振り向くことで恋人を見るが、
 そのとき愛する人を永遠に失ってしまう。
 これはオルフェウスと同じなのだ。
 《我に触るるな》のもうひとつの裏面は
 《振り向いてはいけない》という返り見の禁である。

 僕にとって、キリスト教の教義など、どうでもいいことだった。
 マグダラのマリアとイエスの場面には、
 オルフェウスとナルシスの二つの悲劇が
 もっと深遠な仕方で切り結んでいる。
 付け加えて言えば、
 イザナギとイザナミのあのひどい話も
 そこに本質的に書き込まれてしまっている。
 そして何より、それはこの僕の問題だったのだ。

 マリアはイエスであり、イエスはマリアである。
 僕は、だから、内心、知っていたのである。
 あそこで泣いている若い母親が誰であるのかを。

 母ではない。彼女は僕なのだ。
 それが僕の心であるからこそ、どうしても話しかけたいのだ。

 だが、僕はそれが恐ろしい。
 そのとき、彼女を永久に失ってしまうかも知れない。
 或いは、振り向いたその顔は
 イザナミがそうあったような恐ろしく醜い化け物であるのかもしれない。

 彼女を失いたくないからこそ、
 僕は彼女が泣き続けるにまかせ、
 彼女の背後で沈黙の掟を握り締めて立ち続けていた。

 僕は恐れていた。
 彼女の背けられた貌を恐れながら魅せられてもいた。
 呪縛とはこのこと、距離を於いて立ち、眺めることである。
 正気で生き続けるということが呪縛なのだ。

 こうして僕は理性的であり、かつまた、卑劣にも、
 神の子であり続ける羽目に陥っていたのである。

 だが、いつ僕は彼女の貌を見たというのか? 
 見もしないうちから、どうして恐れるのか。
 彼女――僕の《神》の素顔は本当は美しく、優しいのかもしれない。

 それなのに恐ろしい。
 恐れているのは何か――《死》か、《狂気》か。
 だが彼女の本当の名前は何なのか? 
   
 マリアの原像――聖母マリアにしてマグダラのマリア。
 彼女たちは別人ではない。それは同じマリアである。
 僕はそのことを洞察している。

 そして、実際、今や知識においても知っている。
 処女崇拝や処女懐胎の信仰は、
 キリスト教の三位一体論のいかがわしいドグマよりも
 より一層深いものであり、
 また、古く、更に根源的なものであるということを。

 ところで、三重県時代に僕が触れた宗教的なものは、
 キリスト教だけではなかった。
 僕は、僅か1学期だけだが、
 浄土真宗高田派の本山の付属の中学校に入学し、
 そこで、仏教の宗教教育も受けている。

 三重県時代は、宗教との出会いに始まり、宗教との出会いに終わる。
 受けた授業は精々お釈迦様の一生の話程度のものではあったが、
 既に小学校中学年ごろから歴史に大層興味を持っていた僕は、
 古い仏像や寺院の雰囲気を愛し、
 また、さ程遠くはなかったので、奈良や京都にもよく旅行に行っていた。

 三重県に住んではいたのだが、伊勢神宮には余りピンとこなかった。
 神社には全く関心はなかった。
 僕が引かれたのは常に寺であり、仏像だったのだ。

 恐らく、ツタンカーメンの黄金仮面は、
 黄金の仏像に変容していったのだと思う。

 僕は兄の幻を、仏像の姿のなかに移していたのだ。
 けれどもそれは兄が成仏したというのではなかった。

 寧ろ兄は仏(如来)であってはならなかった。
 寧ろ、彼は菩薩の段階にとどまりながら偉大なものでなければならない。

 僕がキリスト教の中で《前世》の位置を割り振った兄は、
 仏教の空間に入ると、《来世》となり、
 未来仏へと理想化されてゆくことになった。

 はっきり意識していた訳ではないけれども、
 いつの間にか兄は弥勒菩薩のイメージに重なっていたように思う。

 兄の名は《稔》という。
 念仏の《念》の文字が入っていることが、
 兄の仏教空間への転生を助けたのかもしれない。
 またミノルとミロクの音が何となく似ていたことが
 作用していたのかもしれない。

 もうひとつ、中学一年の七月のこと、
 三重県を去る直前に、
 僕の精神に重大な変容が訪れたことを述べておかねばならない。

 ヘルマン・ヘッセの『デミアン』を読んだのである。
 この魔力ある書物は、晴天の霹靂だった。
 だが、簡単に述べるに留めておこう。
 突然、自我が目覚め、僕のなかで、激しい思春期が始まったのだ。
 同時に、それは、さして信じてもいなかった
 キリスト教の神の不可思議な死をも意味した。

 この書物を読んだ子供が突然、
 自我のデーモンに取り憑かれるといった話はありふれている。
 典型的なことが起こっただけだが、影響は甚大だった。

 僕は俄然、仏教的世界に強い共鳴を引き起こし、
 ウパニシャッド哲学に直ちにのめりこんだ。
 ヘッセの本は、東京に移るころには殆ど読み漁り尽くしていたと思う。

 僕が驚くのは、その頃の信じがたいまでの吸収力である。
 また、このときの夏、初めての神秘体験があった。
 目の前でものが輝くように実在の強度を強め、
 僕は僕が《在る》のを知り、宇宙が頭上で若々しく拡大するのを感じた。
 単に観念だけではない。《梵我一如》とは存在感覚そのものだったのだ。
 それは歓喜の体験である。
 それはニーチェやドストエフスキー、ポー、
 コリン・ウィルソン等の世界に急速にのめりこんでゆく
 中学時代の化け物じみた乱読の嵐の前触れだった。