影を失った男は己れの失った影を慕う。
 切り離された影は、自ら生き、その不気味な生命は、本体よりも大きくなる。ブロッケンの妖怪や、ゴーレムのように。

 だから、いとおしさの裏側には勿論そうした不気味なものへの畏れとおののきがある。
 この愛はだからはじめから疚しい陰影をもっている。

 わたしは彼に影響し、そして影響してしまった者は、己れの背後の影に脅える。

 影、彼の顔に、わたしが投げかけてしまっている黒い影、彼が纏ってしまっているわたしの捨てた影、わたしたちはその不思議な影にお互いの身を縫い付けられてしまって、そこから逃れ出ることのできない奇妙な兄弟のようだ。

 ここには呪縛がある。わたしたちは呪われている。
 切り離しても切り離しても影同士は互いに呼び合い、再び一つに結び付こうとする。
 しかし解けないこの結ぼれは、だからといって二度と決して元に戻ることはない。

 わたしたちにできるのは、それをしずかに無視し、否認して、まるでそれがないかのように振る舞うことだけなのかもしれない。

 しかし、たとい無視したとしても、影はそこから消えうせることはない。
 影は自らうごめき、活き活きと生き続けている。

 この影の中には決して殺すことのできない黒くかがやく別の世界がある。不吉に黒く深くかがやき、それはいつもわたしたちを見ている。

 友の影のなかのもう一人の友、それはそこに響く、〈影〉と呼ばれる謎の友人である。

 この〈影〉がどこから来たか、わたしは知らない。
 しかし、〈影〉はいつもそこにある。
 そのことがわたしを不安にさせる。

 〈影〉は話しかけても答えない。
 それが一体何を考えているものか、それは永久に分からない。信用のならない人物だ。
 しかし、わたしはその影から永遠に逃れられない。

 ここにはいつも危険がある。
 〈影〉は友を連れてくる。敵を連れてくる。
 友を敵にし、敵を友にする。
 思いもよらぬ宝石をもたらすこともある。
 宝物を一瞬にしてみすぼらしい石に変えてしまうこともある。

 〈影〉のなかに命を拾うこともあれば、そこに命を落とすこともある。

 〈影〉は運命を呪縛し、人生の物語を書き、不可思議な出来事を演出し、世界に魔法をかける。

 おそるべき魔術師である〈影〉。
 それはほんとうにわたしの影なのか。
 その影の身の丈はどれほどなのかわたしには永遠に分からない。極めて矮小であるのか、それとも宇宙の果てまで広がっているものなのか、その影の範囲がどこまで及んでいるのかを一体誰が測定できるというのか。

 〈影〉、この不気味なわたしたちの同伴者。
 その正体をわたしたちは永遠に暴けない。

 また、おまえ、〈影〉のもたらすかぎりもなく謎めいた闇を、光の中に止揚して消し去ることは永遠にできない。
 わたしたちの世界に永遠の〈影〉の部分があることは紛れもない事実である。

 しかし、わたしたちは何かが怖くて、いつもこの〈影〉に触れまいとする。
 遠回しに避け、〈影〉を迂回して、便利な説明や解決の糸口を見つけ出そうとして、世界がすっかり目にみえる、悪魔などいない、すっかり説明のつく小綺麗な場処であることを自分に納得させようとして、その実何かに脅えるように、憑かれたように考え、そして生きている。

 そのようにして、わたしたちの〈日常〉は構成されている。
 平穏無事な退屈な終わらない日常という奴は。

 わたしたちは極めて愚劣な生き方をしているというわけだ。
 わたしたちのチンケな理性、わたしたちのチンケな良心、だがそれは極めて僅かな視界しかわたしたちにもたらしてはいない。