もう少し。
もう少しでアイツは来る。もう改札を抜けて向かっているはずだ。もうアイツの気配を感じる。
俺の方が強い。そういう気が漂ってきてる。もちろんその気は僕のにおいを嗅ぎ分けて向かってくる。
ダークサイドだ。周りの空気が冷たくなってきた。緊張で、空気が張り詰めてやがる。
果たして俺の攻撃が通用するのか。アイツの練り上げられたら筋肉に。とてつもないヤツと対決することを改めて思った。
でも。通用しないからこそ、120パーセントをぶつけられるとも思う。実力が拮抗してたり、相手の痛みを感じては得られない興奮が湧き上がった。
俺のすべてをぶつけられる。
そう思うとビリビリと肌が震えた。アイツの気配と興奮が刺してくる。決戦はもう目の前だ。
すると、アイツが現れた。
ほら、やっぱり来た。
黒のタンクトップからのぞく盛り上がった肩の筋肉、太い首、分厚い胸筋、よく手入れた鍛え抜いた腕。
そして見ただけで噛みつかれそうな鋭い目つき。俺の方が強い。すぐそこまで来たコイツの気が、俺を包囲し始めた。
全く惚れ惚れする。よくぞ、そこまでビルドアップしたもんだ。よくぞ、そこまで天稟に恵まれたものだ。
アイツが一歩一歩近づいてくる。ダークサイドが色濃くなる。悪い知らせを聞くのように重くのしかかった。
対峙する。
神々しさすらする見事な肉体と意志。ビリビリとした戦慄に震え上がった。もう、後悔など遅いのだ。
突然、火蓋は落とされた。
じゃあ始めるか。
コイツの一言で始まった。
砲丸玉のような重く詰まった拳が伸びた。まともに顔面にヒット。避けようと思う暇すらなかった。
その一発で鼻の軟骨が折れた。急いで構えるが、遅すぎた。逆の拳が、わき腹に命中。
この一瞬で息が出来なくなった。鼻血が流れ出し、呼吸を邪魔した。圧倒を超えた驚きが頭の中でスパークした。
思わず何歩か後退した。たまらい。でも、これでやっぱり規格外にコイツが強いことを思い知った。
もちろん、コイツは迫ってきた。グングンというより、ひと跳びで。ダメだ。
腕を交差し、重心を後ろに置き、防御を固める。
ふんっ、と鼻で嗤うと構わず十字に固めた腕に殴りかかった。完璧な打撃だった。打撃のインパクトが完璧だ。
俺の腕が早くも悲鳴をあげた。このままじゃ折れる。皮膚は感覚を失い、冷たさすら感じた。
でも、俺には分かった。渾身じゃない。せいぜい背筋で撃つ打撃だ。試してやがる。
それでも十字を解くわけにはいかない。反撃しなきゃ…。この状況を抜けださねば。
左右の打撃の隙を図る。リズムがある。そのリズムの隙間を狙うんだ。
右、左、右、左…。
よし、今だ!
軸足を左に置き、半円を描いた、俺の渾身の膝蹴り。
相手の脾臓を正確に狙った。
でも…当たったのはコイツの右の掌だった。
ニヤリと笑った。
俺はまさかと思った。タイミングはちゃんと計った。反撃も正確だ。
でも、コイツ。…笑ってやがる。読まれてた。
次の瞬間。ふぅぅと深く息をすると、コイツは言った。悪魔のように微笑みながら。
…これで、終わりだ
ズドン!!
コイツの左足が地を蹴った。
ぶわっと砂埃が舞う。
すると、精巧な機械のスイッチが入ったみたいに、高速で足首、膝、腰、背中、肩、肘が順に動いた。
もちろん、伸びてきたのは左の拳。
ズゴン!
俺は片足を上げたまま、思い切りぶっ飛んだ。
自分の身体がこれほど軽いものだとは今までついぞ知らなかった。俺だって70キロある。でも、コイツの手に掛かると驚きの軽さ。
重いというより、腕の前で爆発が起こったみたいだった。もちろん、十字は解かれて、顔面を撃ち抜いた。何メートル飛んだか分からなかった。
地面への作用反作用と関節の加速度で打撃はどこまでも威力を増すことができるとは、聞いた事があった。
でも、まさか自分がそれを体験するとは夢にも思わなかった…。
半端ねぇ…
大の字で倒れながら、俺は思い続けた。
手も脚も出なかった。
完敗だ。
あの子がここにいなくて良かった。
そう思いながら僕は麻痺した全身が再起動するのを待ち続けた。
そして、とめどなく流れる涙の意味を考えた。