夜な夜な想う事なんて、ろくなものではない。日が沈んだら眠り、日が出たら起きる。その間には熟睡の他は何も無い方が良い。
だから、こんなことは、こんな時間は無い方がいい。でもそう言ってもいられないときもある。眠りを司る繊細な機械の小さな歯車が、いつの間にかコトンと落ちたように、何でもないのに眠れない。
僕が今語るべき事はなんだろう。
僕には背中がある。その背中には何人か寄りかかっている。そんな感じがする。
一人ではない。二人でもない。三人以上。
三人より多くは僕の感度では計り知れない。でもちゃんと僕の背中に誰かの背中を感じる。顔は見えないけれど、大小様々な背中が寄りかかっているのは確かなことだった。
それは時に重かったり、軽かったりする。温かい時もあれば冷たい時もある。柔らかいときだって、硬いときだってある。
とにかく、そこに誰かの背中が在る。
それに対する評価は、その存在を煩わしく感じたり、嬉しく感じたりしてるから、定まらない。
評価とは別に、僕はそれを望んでいるんだろうか、欲しているんだろうかと考えてみた。
でも、それらはいつの間にか在ったもので、望む望まないや欲する欲しないは関係ないと言いたいところだけど、もう少し注意深く探らなければ大事なものを見落としてしまいそうな気がする。
たぶん欲していたのだろう。より正確にはそういう存在ができることは想定していたはずだ。ホウセンカの種を植えれば芽が出るように。
方向を定めれば、道筋は見えてくる。あとは踏み外さないように、目の前の道をたどっていくだけだ。でもそうした作業をこなすうちに、あることに気づく。
行き先がわからないんだった。あてはないんだった。いや、それはわからないんじゃなくて、見えていないだけじゃなくて、最初からないんだって事に気づく。
想定した行き先々はあっても、心から望んでいたわけじゃないんだって。
それを知るとき、何度も思い知るとき、背中の重みに対して無駄に汗を掻きながら支えようとする。
そうまでしなくても支えられるのに、何だかそうでもしないといけないような気分になる。
だから僕の書くものには汗や肉体労働のような描写が多いのかもしれない。
僕は抗おうとしているんだろうか。僕の中にある暗く湿った性質に対して。そうなんだろうか、まだよくわからない。
生きようとすることに、何らかの希求が僕の中に存在しているんだろうか。
そんなものは無いと十年も思い続けてきたのに。