井戸と穴掘りと僕 | 不思議、大好き!

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文章はすべてフィクション。ほぼ1話完結。

僕には、信じたいことが、どれだけあるだろう。

こういう事を考えるのは夜がいい。視界は闇に遮られる。正確には、光は反射する物を失い、僕の目には何も入ってこず、いや違う、そもそも光など、どこにも届いていないのだ。

タバコのけむりをくゆらせながら、考えてみる。紫のそれが縦横無尽に漂う気配を感じる。でもそれは僕が生活経験からそうイメージしているだけで実際はどうかわからない。

そもそも僕には信じたいことなんかあるんだろうか。タバコのけむりのように、イメージが勝手に一人歩きしているだけじゃないのだろうか。

この真偽を見極めることはとても重要だ。僕は意識を集中する。眉間に深いシワが刻まれた。

深く考えたいときの手順は明白だった。用意をして井戸を捜して、井戸を降りて掘るんだ。深く、深く。

まずスコップを肩にのせ、タオルを首に巻く。つぎに、近くにある井戸を地図でさがす。これが逆だと、たいてい止めてしまう。

井戸は3つあった。どれもそう遠くはない。あるいて20分くらいのところだ。

僕はそのひとつを選ぶと歩きはじめた。ここでは、歩きながら何を考えるかが大事だ。掘るんだ、ということ以外は考えない。

もちろんたくさんのことが頭をよぎる。家族や仕事のこと、いくつかの印象的なニュースなんかがよぎる。でも、敢えて見過ごさなければならない。

井戸に着くと、深呼吸した。そして降りる。井戸の底に水はなかった。

でも、水脈は必ずある。土に耳を当てて探った。じわっとした冷たさを耳に感じる。

微かな水の気配を感じた。この方向だ、と目星をつけると僕はスコップを肩から下ろして、ザクッと掘り始めた。すぐに背中と腕の筋肉が張った。

ザクッ、ザクッ、ザクッ。

無心に掘り進めたいのだけれど、なかなかそうはいかない。

ザクッ、ザクッ、ザクッ。

様々なことが、折り紙を風に乗せたように、頭をよぎる。

ザクッ、ザクッ、ザクッ。

でも手を止めてはいけない。リズムを崩すと、何もかも崩れてしまう。体力が消耗しきるまで続けなければいけない。

ザック、ザック、ザック。

ペースが乱れてきた。疲れてきたのだ。汗が額を這い、頬に垂れる。

ザック、ザック…。

心臓が踊っている。発狂した少女のように、テンポを加速度的に速めて刻む。手や背中がピリピリ痛んだ。

僕は手を止めて、タオルで汗を拭った。重いボールが海に沈んでいくように、疲労感が足元に降りていく。僕は肩で息をして、熱い呼吸をしていた。

深く掘った。井戸の底からさらに下に掘った、不細工な穴の中に僕は居た。 深呼吸をして、上を見上げる。

夜空が小さく見えた。ちょうど親指と人差し指を丸めたくらいの大きさだ。僕は現実社会からずっと離れているように感じた。

でも、これ以上休むと、スコップを持てなくなる。僕はまた掘り始めた。疲労がもたらした怠惰が、僕の意識をぐっと縮めた。

僕は閉じていった。小さな星空を注意深く眺めるように、集中した。グッと手に力が入り、熱いものが頭に昇った。

ザックザック、ザックザック。

人は時折、僕を強い人だとか、タフだとか言う。

でも、そんなことは全然ない。

僕は自己完結的な人間になろうとしただけだ。誰にも頼らず、降りかかる様々な問題を自分一人で処理できるようになりたかっただけだ。有能な事務が独りで煩わしいことをすべて引き受け、処理するように。

僕はその基礎を作るのに4年かかった。ちょうど20歳から24まで。それまでは人に頼らなくてはいけなかった。

ある時は夜中に友を起こし、一晩中話した。ある時は行き釣りの女の子を抱いた。またある時は、とても物わかりがよく、気立ての良い人の世話になった。

でも、全部、全員、こう言うのは申し訳ないのけれど、僕を救えなかった。

だから、僕の言う自己完結性とは諦めに近い。諦めざるを得なかったのだ。それほど僕は僕なりに、その4年の間に疲れ果て、絶望し尽くしたのだ、僕なりに。

だから、僕は全然強くないし、タフでもない。人に対する希望を諦めた人間を強いとは僕は言わない、タフだとは言わない。

僕は独りで地中深く沈み、さらに深く掘り、沈み続けるだけだ。

独りで掘り、沈み続ける先には何もない。誰もそんな僕に気づかないし、誰の人生にも本当の僕は現れない。それでいいんだ。

その時。僕の意識は真っ白になった。考えるべきものが、信じるべきものが、何もなくなったのだ。

手のひらは強く握った握り返しや掘り進める時の振動で赤く腫れあがった。腕や背中、脚は凝り固まり、痙攣していた。身も心も疲れたと思った。

僕は崩れ落ち、尻餅をついた。そして、うなだれた。上を見上げる力も気力もなかった。

何も聞こえない。何も感じない。在るのはうざったい僕の存在感だけだ。

しばらくの間、沈黙が流れた。みんな僕に気を遣って、音を立てないようにしてるような沈黙だ。何もかもが嫌で、うざったくて、そうしたことすら感じてしまう諸悪の根元である、消したいけど消えない自分の存在が、嫌で厭で堪らなくなった。



ふと、誰かが泣く声がした。しゃくりあげるような、声の高い、泣くことを恥じない泣き声がした。幼いそれはとても僕の気を引いた。

声は、明確に誰かの助けを求めていた。助けてくれる誰かを呼んでいた。優しく抱きしめられ、安堵することを望んでいた。

僕は、徐々にとても悲しい気持ちになった。

その泣き声は痛いほど僕を同調させた。

僕の心は仁王様のようなマッチョにギュッと鷲掴みされ、グイッと引っ張られるように、泣き声にひかれた。

頭を撫でてやり、優しく抱きしめ、大丈夫大丈夫と声を掛けてやりたいと強く思った。

それが助けになるのかどうかわからなかったけど、何かしてあげたかった。何かせずには居られなかった。僕でよければ、僕しか居ないのならば、僕はそうしてあげたかった。

僕は立ち上がり、スコップと汗や泥まみれのタオルを捨てて、穴をよじ登った。

その時は、疲れも痛みも孤独もなかった。夢中だった。とにかく、早くそばに行ってやらなくてはと、そればかり思っていた。

泣く事なんてない。僕が付いてる。大丈夫。

それを伝えたくて必死だった。ただただ必死だった。僕はよじ登り続けた。

やっと外に出られた。

辺りを見まわした。

でも、いつの間にか泣き声は止んでいた。

いつから、どうして止んだのか分からなかった。気づかなかった。僕は渇いた口で息をついた。


僕はその時、僕は決して救われなくても、誰かを救いたいという気持ちが僕にあることを、知った。