夜風が、気ままに左から右に流れていく。僕の肌をなでたりさすったりしながら。そこで、僕は思った。
僕は風にとって障壁なんだろうか。邪魔なんだろうか。はたまた逆らっているんだろうか。
僕は目をつむって、意識を集中した。
僕の意識は風に乗って、左から右に流れる。体を離れて、ベランダから空へと飛んでった。それでわかったことは、風は僕など全く気にしていない。
気にしているのは僕の方だ。僕だけだ。勝手に僕が気にしてる。
「そういう事ってあるよね」
「何が?」
「気にしてるのは自分だけって事」
彼女は、あごの下に出来た吹き出物を鏡を使って懸命に手入れしながら、僕の話を流した。
「私は、知らないのは私だけって事の方が気になるよ」
相変わらず鏡を見つめながら、彼女はそう答えた。
その夜、僕は夢を見た。僕は日本海に浮かんでた。仰向けで、大海原に浮かんでた。
体はとても疲れていて、泳げなかった。浮かんでいるのが精一杯。ふわふわと波に身を任せるより他はない。
僕はそこで自分の人生を振り返っていた。あの時はこんなことがあって、その時僕はこんな判断をしたんだっけなって。丁寧に、ひとつひとつ振り返った。
海はとても深かった。底は冷たそうで暗かった。僕の過去も思い出している割に、全然はっきりしなくて、冷たく暗かった。
ふと、サメがいるかもしれないとも思った。サメはお腹が空いたら僕を食べるのかな。食べられたら痛いのかな、でもいいやって思った。
次の瞬間、場面が変わった。
僕は病室にいた。体に全く力が入らない。僕は相当弱っている。
すると、医者が僕に話しかける。
僕は癌らしい。末期だって。延命処置をするかどうかを尋ねる。
僕は断った。
「とても苦しいですよ」
「頑張って耐えます」
「本当にいいんですか?」
「いいんです」
病室で、僕は独りになった。
また昔のことを思い出してた。そこにはもう語るべき言葉はなかった。赤茶けた無音の映像が、途切れ途切れ、流れているだけだった。
とても落ち着いていた。この瞬間こそ、こうした時間こそ、ずっと待ち焦がれていたものだと痛感した。僕は、運命の恋人に再会した時のように、感動して涙した。
もちろん、これは夢だ。目覚めてから、僕は末期癌の苦しさを想像した。想像を絶する苦しさなのだろう。
僕は本当に延命処置を拒否できるだろうか。痛みや苦しさに耐えかねて、延命処置してしまうんじゃなかろうか。拒否できるだけの心の強さと覚悟が必要だと思った。
これからはそれを、僕は身につけなければならない。ここ10年で最も一生懸命に、積極的に。こういうのって、本当に久しぶりだ。