手引きの手引き
福祉の仕事をしていると「手をつなぐ」「手を引く」という行動を、毎日数え切れないくらいする。
子育てしていたり、保育所などで働いていてもそうだと思う。・・・この話はそういう人にも参考になるかもしれない。
「手を引く」というのは、実は結構力加減が難しい。
強すぎると肩が抜けてしまう。
とかそういうことではない。
転ばないように、とかそういう話でもない。・・・いや、それも大事だが、今回はそういう話ではない。
まず、「手を引く」には、相手の手を掴まなければならない。
この行動がまず問題なのである。
人が人の手を掴むときとは、どういうときか?
握手をするときを抜かすと、大きく分けて2通りある。
①導く・教える
②捕まえる・抑える
この2通り。同じ行動なのにずいぶん意味合いが違う。
ではどうすれば①になるのか? どういうところで②になるのか?・・・やってることは同じだが?
これはもちろん気持ちの問題が大きい。優しい気持ちで掴めば①であろう。そうでなければ②になるかもしれない。
しかし気持ちの問題で済むのは、あくまでお互いの「関係」ができている場合に限る。一方的な気持ちでは、「つもり」でしかない。一方的な気持ちだけでは、「導こうとしたつもり」が、「抑えられた」と思われてしまったりする。
難しい。
で、最初に言った「力加減」の話になる。
掴んだ、つないだ、その手を引く「力加減」如何で、①のつもりが②になるし、②を①にすることもできる。ちょっとの力の差で、「こちらへどうぞ」が「こっちに来い!」になってしまう。引き方ってのは、すごく重要なのである。
以前自分が中学校で相談員をやっていたとき、ある生徒が授業をサボって廊下を走り回っていた。
そいつはサボりの常習で、相談室の常連だった。自分によくなついていた。・・・そのときはそう思っていた。
自分は授業に出ないならとりあえず相談室に入れと言った。
そいつはやだねと言って、笑いながら逃げようとした。
自分はちょっとイラっとしてそいつの手首を掴んだ。そして引いた。そんなに力を込めたつもりはなかった。
瞬間、そいつは敵意をむき出しにして叫んだ。「離せよ!」
自分はハッとして手を離した。そしてその一瞬で、色んなことに気付いた。気付かされた。
・・・こいつはイイカゲンなわけじゃない。物凄く繊細なヤツなんだ。
・・・こいつは大人をただ馬鹿にしているんじゃない。常に「この大人は味方か、敵か」と不安に満ちた目で観察しているんだ。
・・・自分はこいつに話を聞いてほしくて手を掴んだ。しかし本当は押さえつけようとしていたんだ。ただ「言うことを聞かそう」したんだ。他の馬鹿な教師と同じように、大人の「力」で子どもをコントロールしようとしたんだ。・・・こいつは、それを反射的に見抜いたんだ。
ただの「手を引く」という単純な行動が、ここまで深い問題に発展してしまった。
ちなみにその生徒は次の日には笑顔で相談室にやってきてくれた。素直な子だったのと、ある程度「関係」ができていたのが救いだった。赴任直後だったら、二度と口をきいてもくれなかっただろう。
重度の知的障害者の支援の場合、「離せよ!」と言える人はほとんどいないわけで、この辺とても気付きにくい。
しかしいきなり硬直したり、なかなか前に進んでくれなかったりする事は多いと思う。
まあそれは「気に入っている支援員と手をつなぎたい」だとか、単純に「今はここにいたい」というサインの場合も多いわけだが、こちらの手を引く力の加減で、「不安」にさせたり「不快」にさせていることもまた多いと思うのだ。
特に力の弱い女性や高齢者はそうだ。手を引く力、握る力、歩く歩幅・スピード、真横を歩くか、少し前を歩くか、逆に後ろを付いていくような感じか・・・という小さな違いで、反応が変わる。もちろん人それぞれ違う。
利用者さんを「動かす」のが上手いと、「仕事ができる」と見られるようなところが、施設にはある。
一理あるが、危うい。・・・勘違いするやつもいるだろう。
大事なのは相手の目で自分を見る力である。手を引くということに限らず、自分のやっていることが、相手にはどう見えているのか、どう感じられているのか、それを想像する力である。
しかし、常に相手の目になるのは難しい。自分なぞ、まだまだだ。
件の生徒は話の2年後にバイクの事故で死んだ。教訓はより深く心に刻まれた。きっと「忘れるな」と言うことだ。
しかしそれでも実践は難しい。短気の自分は利用者さんを急かし、同僚を急かし、・・・結果抵抗を受けたり反感を買ったりしている。
せっかく手を差し伸べるところまで出来ても、つないだ手を「グイっ」と無作法に引いたのでは、元も子もない。